孤独な踊り、あたたかな踊り
わたしの父と母は、それぞれ鹿児島と大分で生まれ育ち、それぞれに東京に進学して出会い、お互いに恋に落ちて学生結婚をした。
就職してからしばらくは東京で生活をしていたものの、ふたり目の子どもであるわたしができたことで、われわれ家族は父の地元、鹿児島に移住した。
それ以来、母はずっと、独特な孤独を抱えていたようにわたしは思う。
見知らぬ土地、わからない方言、独特の風習や習慣。標準語を話すことで感じる疎外感。
子どもながらに感じる、ほかのお母さんとは違う彼女の “なにか” の正体はたぶん、 “ヨソモノ感” だった。
それでも母は、子育てや趣味のものづくりを通じて多くはないけれど友達ができ、夫を亡くした今となっても変わらず、鹿児島とたまに帰る大分との生活を楽しんでいる。
そんな母の娘であるわたしも、言葉は標準語、長期のやすみは大分で過ごすというデュアルライフな子ども時代を過ごしながら、まわりとは “なにか” がちょっと違うという適度な自由とともに、適度な孤独も、手に入れることとなった。
わたしはいつも、踊っていた。部活の吹奏楽、習っていたピアノ、趣味の読書や映画鑑賞、お料理やお菓子づくり。そういった自分の世界のなかで、わたしはいつも頭や心でリズムを刻み、踊っていた。
わたしは人にはそれぞれの、孤独があると思っている。その孤独を、自由とともに噛みしめながらひとり踊り、たまにそれを誰かと持ち寄りあって、一緒に踊る。
誰かと踊る喜びは、音楽でセッションをしたときなどに得られるものとよく似ているなと、子ども心にいつも感じていた。
わたしはひとりで踊るときの孤独も楽しさも、他人と一緒に踊るときのわずらわしさもあたたかさも、知っている。
そして踊りには、さまざまな感情がつきまとうことも。
うれしさや寂しさ、楽しさ、気恥ずかしさ。時には怒りや悲しみ、生きる喜びのような感覚だったりと、ポジティブとネガティブが、踊りには常にまとわりつく。
そのわずらわしくもあたたかい、血の通った感覚を、わたしはここ九州で、これからもっともっとたくさんの方々と共有したいと思っている。
基本的に人はみんな、孤独だ。その孤独と闘うことをせず自由に踊っていられるのは、おせっかいでわずらわしくてあたたかい、この九州だからこそなのだと、孤独のプロフェッショナルを自負するわたしは、考えている。
そう、“踊る” とは、“生きる” なのだ。
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