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高校1年生のかおり💚

高校生の部活での出来事が
私の人生を大きく変えました。
当時のことを思い出してダラダラと書いてみます!*⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝*

私はスポーツ推薦でIF高校に入学しました。
JOCが年末まであったので、高校の練習に本格的に参加したのは年明けからです。

入学当初から私が生意気だったらしく、女性コーチS先生にはめちゃくちゃハマりました。(※“ハマる”とは言葉選ばずにいうと理不尽なことで怒られるという意味)

ハマる人はある程度いつも一緒で、ボールを1本でもはじくと、目をつけられてクタクタヘトヘトになるまでボールを飛ばされます笑笑

1年の7月頃から、Aチームにちょこちょこ入れるようになり、国体のメンバーの12人目に選ばれました。Aチームの先輩方は、新米の私がプレーしやすいようにフォローしてくださって、とっても尊敬できる先輩方でした。背中を追いかけるのに必死になって緊張しながらも、楽しんでいたのを覚えています。(⁎⁍̴̛ᴗ⁍̴̛⁎)

しかし、その時期に小学生の時にも発症していた、腰椎分離症を再発させてしまいました。(※腰椎分離症とは、腰椎へ伸展・回旋ストレスが繰り返され、関節突起間部が慢性的に疲労骨折すること。発育期のスポーツ選手に好発する。)

それからの練習は、とにかく痛みと恐怖との戦いでした。チャンスを逃すまいと、週2回治療に通い、痛み止めを飲みながら練習に励みました。

そんな状態で練習を続けていたら、ついに立っているだけでも激痛が走るようになり、精神的にも相当こたえました。単純に痛すぎて辛い、いつか練習出来なくなるかもしれないという恐怖、リハビリ期間を経た後もちゃんと活躍できるのかという不安。

怖くて休むことに対して強く抵抗していましたが、これ以上は出来ないと判断し、先生に泣きながら相談をして自ら国体メンバーを降りることにしました。

その日の帰り、これから半年間練習を休んでリハビリ生活が始まると思うと辛すぎて涙がボロボロぼろぼろ止まりませんでした。

私が抜けたところに1つ上の先輩が入ることになったので、国体のジャージをその先輩に渡したのですが、その時に私の放った一言がとても嫌だったそうです、、。

私は国体ジャージを先輩に渡す時、「頑張ってください」と言ったのですが、その先輩には嫌味に聞こえたというか、怪我で断念した後輩の代わりに出るということがとても辛かったと。

後々キャプテンと副キャプテン、その先輩の3人に呼び出され、お前は無神経か!ありえない!とキツめに怒られました。

その時の私は、自分が怪我して試合に出られない苦しさで、自分のことだけで精一杯でした。今の自分でも、その時先輩になんて言えばよかったのか、何も言わなかった方が良かったのか、しっかり言葉を選んで言わないと、余計なことを言ってしまいそうです💦💦笑

とにかく自分の器がいっぱいになった時、
人に優しくできないと学んだ時期でした。

それから半年間に渡るリハビリ生活が始まるのですが、この期間もかなり神経をすり減らしました笑

練習が始まったら体操までは他の部員と一緒に行い、それから私のリハビリをします。ひと通りのリハビリメニューはだいたい1時間半で終わります。

リハビリを終えたら、ボール渡しをしたりタイマーで時間を測ったりして、チームから疎外しないよう心がけました。

しかし、先生と先輩から「そんなものやる必要ない、トレーニングしていなさい」と言われる。

その後半年間、リハビリに励み2年生になる春休みに復帰しました!✨️

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