「イレーヌと漂いつつ」(7)

 私が起きたときにはお母さんはもう仕事に出かけていた。「取材で遅くなります。私の分の晩ご飯は必要ありません」という書き置きが机の上にあった。スマホ全盛時代の中で書き置きなんて古典的だったが、お母さんの字は溌剌としていた。部活動で休日もいろんな土地を飛び回る学生を思い起こさせた。それって本来は私の姿じゃないか。私は何をしている? 学生である私は10時まで惰眠をむさぼって、今学生の模倣である母親の書き置きを見ている。お母さんは退化してしまったのか。お母さんが本当になりたい自分って、退化した自分だったのだろうか。
 冷蔵庫を開け、たまごを取り出し、適当にスクランブルエッグをつくる。同時にパンをトーストし、バターを薄く塗る。余熱で少しかためにつくったたまごをトーストにのせて、仕上げにタルタルソースをぽつぽつとたまごの上に置く。皿も使わずにすらすらと食べて、食べ終わったらフライパンと菜箸を洗って、流しを簡単に拭く。洗練された動作だった。反復によって洗練された動き。何も考えなくたって、朝ご飯をつくって、片付けることができる。洗練とは何も考えなくなることだ。行為の上達と引き換えに、思考を失っていく。私の料理は洗練されていた。なんのために? もうあまり考え事はしたくなかった。
 やることもないので布団に戻って横たわる。目を閉じれば鉛筆を動かすガリガリという音が響いてくる。教科書をめくって、マーカーを引く音が聞こえてくる。受験に関わる参考書はすべて捨てた。使わなくなった教科書も捨てた。私にはもう必要ないものだった。何も考えたくないのに、何も聞きたくないのに、頭に勝手に音声が再生される。
 スマホの画面が光った。電話だ。画面には「お父さん」という名前が表示されていた。離婚しても、お父さんはお父さんだった。少し躊躇したが、電話に出た。
「もしもし」
「おはよう。起きてたか」
「うん」
「こころは」
「もう仕事行っちゃった」
「日曜も仕事か」
「最近多いよ」
 ため息。
「進学先、決まったんだってな」
「うん。お母さんから聞いた?」
「連絡きたよ。おめでとう」
「ありがとう」
「指定校推薦か?」
「うん。入学費免除になるから」
「そうか」
 お父さんの声の他に聞こえてくる音はない。静かな空間。静かな休日。昔の私の家。
「こっちに戻ってこないか」
 お父さんは変わらない声で言った。
「保育士を目指すことはもちろん素晴らしいことだ。人の人生の始まりに深く関われる仕事だ。その仕事を目指すことには僕も大いに賛成する。でも、僕はほのかには大学に行ってほしい。大学に行って、いろんな見聞を広めて、それから保育士を目指したって遅くはない。教育系の大学に行けば幼保両方の免許が取得できる。国立の旧師範学校にいけば、小中高の免許取得も目指せる。専門学校だと保育士の資格は取れても、幼稚園は二種しかとれなかったりする。ほのかがいく専門学校もそうだろう。あまりにも人生の選択肢が狭まる」
 選択。生きるということは何かを選ばなければならないということだ。私は、専門学校に行くことを選んだ。何かを選ぶということは、何かを選ばないということであり、何かを選べないということであった。
「僕のところに来れば、学費の保障もできる。こころだって、本当はそれを望んでいるはずなんだ」
 たぶん、お母さんはお父さんのこういうところが死ぬほど嫌だったのだろう。お父さんの優しさは、いつだって正しい優しさだった。正しい優しさによって、お母さんは思っていることまで決められる。お母さんが何を考えているかということもお父さんが決める。でも、その決めつけも絶対に正しかった。お母さんは正しくあるべきということから脱したかった。だから離婚した。そして、このことをお父さんは死ぬまで気が付くことができない。お父さんは自分の何がいけなかったのかをずっと考えながら死を迎える。でも、答えなんて出るはずない。お父さんはいつでも正しかったからだ。じゃあ、お母さんの選択は間違っていたのだろうか。
「ほのかに大変な暮らしをしてほしくないんだ」
 どうして私が専門学校に行くことと私が将来大変な暮らしをすることが結びつくのだろう。
「本当だったら、お母さんと再婚したいと思ってる。でも、それは叶いそうにない。でも、ほのかはお母さんの子どもであるけど、僕の子どもでもある。お母さんがほのかの幸せを願う権利があるのなら、僕にだってその権利はあるはずだ」
 私が私の幸せを願う権利は? 私が今の私のままでいいと願うのなら、お父さんの権利の主張は傲慢なのではないか?
「そうだね」
「指定校推薦が決まってしまったら、断りにくいこともわかってる。でも、絶対にできないことじゃない。経済的な問題が解消されれば、先生も動いてくれる。受験勉強だって今からやれば間に合う。なんだったら浪人していい大学を目指しても構わない」
 正しい。間違っている箇所がどこにもない。第三者がお父さんとお母さんの主張を聞いたら、絶対にお父さんの正しさを支持する。母親が傲慢だ。自分の人生のことしか考えず、子どもの人生のことを何も考えていない。やりがいだけで仕事をして搾取され、子どもも低賃金の保育士にしかなることはできない。貧困が連鎖している。はやく母親は目を覚ますべきだ。女性である前に母親なんだったら、早く父親の元へ戻れ。正しい。絶対に正しい。お母さんは間違わなければ、一人の女にもなれないのか。女性が女性になるなら、間違わなければならないのか。正しさから逸脱しないと、女になれないのか。
「お願いだ、ほのか」
 そうする、と言えば、私の人生は全く違ったものになるかもしれない。
 全く違う可能性を見つけることができるかもしれない。
 間違ったお母さんから抜け出して、正しいお父さんの元に戻れば。
 正しいってなんだろう。間違うってなんだろう。
 価値を判断しなければ、人は生きていけないのか。
「考えておく」
 電話を切る。
 私ができるのは漂うことだけだった。
 漂着することのない、漂い。
 ふとんの海を、漂う。

(続く)

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