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教員のための「総譜」

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教員として働く中で、どんな価値基準も持つべきなのか、どんな語彙を持つべきなのかを考えていくマガジンです。もうすぐ教員生活も10年目を迎えてしまうので、今まで出会ってきた言説をまと…
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記事一覧

ナショナリズム幻想と「発話」による排除

「〇〇人である」という規定の不可能性 「日本人」とは一体誰なのか。  結論から言えば、「…

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名もなき「当意即妙」のために

 「当意即妙」…その場にうまく適応した即座の機転をきかすさま。  この当意即妙の様が主題…

小田垣有輝
4か月前
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教員の「問い返される」権利

いつだって、教員は生徒から「あなたの言葉は正当なのか」という問いをつきつけられている。 …

小田垣有輝
4か月前
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無言を分かつ ~小池陽慈『ぼっち現代文 わかり合えない私たちのための〈読解力〉入…

 みなさんもご存じの通り、小池陽慈という作家は「学習参考書の皮を被った哲学書」をバンバン…

小田垣有輝
7か月前
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「べき論」を恐れる必要はない

noteを書くときにデフォルトで表示されている「ご自由にお書きください」って文字を見るたびに…

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「弱さ」をシェアするチームになる

「弱さ」を受け入れるための「強さ」  生徒と信頼関係を築くためには、教員が自身の不安と向…

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「文学教育」の領域はどこからどこまで?

 これが発端だったわけだけど、やっぱり『高瀬舟』で安楽死を論ずるのはかなりやばい営みだと思う。 『高瀬舟』の愉しみ方  『高瀬舟』の物語を十二分に楽しむためには、間違いなく羽田庄兵衛と同じ立ち位置に立つことが条件になる。  喜助の「足るを知る」という言葉に意表を突かれ、ついには喜助に聖性を見出していく。ついには、弟殺しの内情を告白する喜助に対して同情し、同心の身でありながら「殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解

生徒が教員の言うことを聞かないのは正しい

 教員になってから「どうして生徒は言うことを聞いてくれないのだろう」と悩むときが来る。し…

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「やれ」と「やってみよう」はいずれにしても「やらない」を許さない

 むかーしの日記で尾崎豊の歌詞を引用した気がしたのですが、やっぱり学校にあるものはどこま…

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グローバル社会を再検討するための「遅さ」

 前回の記事では、教育現場における「遅さ」の重要性について論じてきた。  良質な議論を形…

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「遅さ」に重点を置こう

 先週の記事では、決断することに疲れているのではなく、合議することに疲れ、忌避していると…

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道綱母を見習って「合議」の道へ

決断ではなく「合議疲れ」  「決断」という言葉に着目して今のところ議論を進めているけど、…

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決断を忌避する「男」たち

 前回の続きですが、『メロス』に登場する暴君ディオニスこそ、「決断疲れ」に憑りつかれた人…

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「教員の不安」を起点にした対話を

暴君の本質 「決断疲れ」を回避したいがゆえに暴君に成り果ててしまう人間の心情を、太宰治が極めて端的に表現している。  他者に対して強く叱責したり、暴言を吐く人間がなぜそんな行動に出ざるを得ないのかといえば、他者を怖れているからに他ならない。自分とは決して同化できないものとして現前する他者、決して自分の思い通りにならない他者を怖れ、力によって自己と同一化させようとする。  小学生のころに那須正幹の『ヨースケくん』という児童文学をよく読んでいた。話の大筋は忘れてしまったが、