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【日本神話】スサノオノミコトが暴れる理由から、大和王朝のルーツを考える

古事記の問題児・スサノオノミコトの乱行エピソードから
「スサノオは遊牧民と漁労民の神が融合して出来た存在では?」という話をしてみます。

■単なる乱暴にしては尖り過ぎ?


天岩戸伝説で、須佐之男が皮をはいだ馬を投げ入れる場面があるが、単なるイタズラ・乱暴にしてはトリッキー過ぎないだろうか?

須佐之男の乱暴により天照大神の機織り女がホトを突いて死んだという話もある。

うーん。暴れるにしてもどうやってその発想に至ったんだ…

単に太陽神を怒らせたエピソードにしては、ストーリー設定が変化球すぎるように思う。

馬を宗教的儀式で捧げ物として使用するのは、周礼などの古代中国の文献にも見られる。

馬の皮を剥いだのは、むしろそうした儀式が変異して伝わったのではないだろうか。

機織り女が死んだのも、わざわざ「ホトを突いた」という表現が気になる。

多少暴れてもそんなトコ突かんだろ、と。

これも、単なる須佐之男の乱暴というより、神と巫女が交わる的な宗教的な儀式と考えた方が良いのではないだろうか。

須佐之男のルーツは遊牧民?

そう考えるとスサノオの前段の乱暴も、そのままDQNエピソードと捉えるべきではないのかもしれない。
田の畦や溝を壊すのは典型的な遊牧民と農耕民の対立の典型と言える。

糞をまくのは呪術でもよくあるが、これは乱行か呪術かの判断はつかない。

スサノオは、古事記のトリックスター的立ち位置だが、複数の神のエピソードを集約したのではと言われてもいる。

ルーツは朝鮮半島だという説もあるが、日本に土着している民族より遊牧民の性質が濃くてもおかしくはない。

天岩戸伝説は、単なる太陽神の称揚ではなく、遊牧民の農耕民への屈服・吸収を示す面があると考えられる。

■大和王朝のルーツについて


そうだすると、大和王朝のルーツが騎馬民族だとする説は少し疑問が生じる。

スサノオは、海の神司とも言われるが、天岩戸の件とは矛盾する。

スサノオは、漁労民と遊牧民、少なくとも2種類の系統の話を集約した存在ではないか。

こう考えると、実態の見えないスサノオの素顔が少しクリアになる。

発掘調査でも古代に大規模な戦争の形跡が見られない点から、騎馬民族の武力征服は起こっていないとする見方があるが、スサノオの話はむしろこれを裏付けるのではないか。

ただ、大国主命がスサノオに屈服する話はある。

出雲系→遊牧民系→農耕民系
への変遷が、直接的な戦闘の度合いは低い、婚姻や威圧外交を中心に進んで行った

=それ故になあなあで済ませた部分が古事記の妙な記述になった、と考えると納得感はある。

遊牧民系→農耕民系への流れは、それを裏付ける明確な史実・歴史イベントが今のところは発見されてないので、そこはネックではあるが。

神武天皇の東征を騎馬民族の征服エピソードと見る向きもあるが、余り学問的には評価されていない。

神武は船で東征しており、畿内でも海人族の協力を得やすい海沿いに進撃している、とする研究もある。※

エピソードに騎馬・遊牧民族的な要素が余り見られない。

アマテラス・スサノオ世代から神武はかなり後の話なので、その時点で遊牧民系→農耕民系への交代はとっくに済んでしまっていたと考えると、むしろ神武の性質とも矛盾しない。

■備考出雲系→海人族(スサノオ)→農耕民(アマテラス)

という変遷で、

遊牧民→農耕民が別軸で起こっていた可能性はある。

むしろ、神武東征でも海人族が重要な役割を果たしている点から、

流れとしてはこちらの方が妥当かもしれない。大和王朝のルーツが騎馬民族だとする説は少し疑問が生じる。

スサノオは、海の神司とも言われるが、天岩戸の件とは矛盾する。

スサノオは、漁労民と遊牧民、少なくとも2種類の系統の話を集約した存在ではないか。

スサノオは遊牧民と漁労民の神の融合?

こう考えると、実態の見えないスサノオの像が少しクリアになる。

発掘調査でも古代に大規模な戦争の形跡が見られない点から、騎馬民族の武力征服は起こっていないとする見方があるが、スサノオの話はむしろこれを裏付けるのではないか。

ただ、大国主命がスサノオに屈服する話はあるので、
出雲系→遊牧民系→農耕民系

への変遷が、直接的な戦闘の度合いは低い、婚姻や威圧外交を中心に進んで行った

=それ故になあなあで済ませた部分が古事記の妙な記述になった、と考えると納得感はある。

遊牧民系→農耕民系への流れは、それを裏付ける明確な史実・歴史イベントが今のところは発見されてないので、そこはネックだが…

■備考

出雲系→海人族(スサノオ)→農耕民(アマテラス)

という変遷と並行して

遊牧民→農耕民が別軸で

起こっていた可能性はある。
むしろ、神武東征でも海人族が重要な役割を果たしている点から、

流れとしてはこちらの方が妥当かもしれない。

※参考文献


黛弘道.海人族と神武東征物語.學習院大學文學部研究年報.1982,3(3号).
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2114&file_id=22&file_no=1