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【日本神話】水・どくタイプの妖怪「牛鬼」の正体はクジラ説を唱えてみる part1

「頭が牛で首から下は鬼の胴体」
「海辺や淵に出現する」
「毒気を出して人を殺したり病にする」
妖怪の牛鬼。

その正体が鯨なのでは?という話をします。

牛鬼とは?

牛鬼はWikipediaでは以下のように解説されています。

"各地で伝承があり、その大半は非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好むと伝えられている。ただし、その中の一部には悪霊を祓う神の化身としての存在もいる"*1

・頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ
・海辺や淵に出現する
・西日本を中心に伝説が多い
なども特徴と言えます。

愛媛県の宇和島では牛鬼の祭りも開かれる*2

各地に残る牛鬼伝説

まずは、各地に残る牛鬼の伝説を見てみましょう。

・牛鬼伝説の始まりは?

牛鬼とみられる怪物について、最も古いエピソードは、日本神話の時代が舞台です。*3

「神功皇后が三韓に遠征しようとした時に、岡山に塵輪鬼(頭が八つの大牛姿の怪物)が現れて妨害をしたが、住吉明神や仲哀天皇らに敗れ、頭と身体を切り離されて死んだ。」というものです。

他にも、中国地方各地で仲哀天皇・神功皇后の遠征で牛の姿をした怪物と戦ったとする類似の伝承が残されています。

・清少納言も恐れた牛鬼

実は平安時代、清少納言の『枕草子』が、現存する文献としては初出です。

「おそろしきもの」の一つとして牛鬼が
挙げられていますが、牛鬼の姿や特徴までは語られていません。

が、少なくとも牛鬼という名前と、それが恐ろしいものであることは、平安時代には知られていたようです。

・人を食べる牛鬼

同じ平安時代でも後期に作られたとされる『今昔物語』では、もう少しはっきりとした牛鬼のエピソードが出て来ます。

「牛鬼が但馬の山寺に住み着き、旅の老僧を喰殺すが、若い僧の持つ毘沙門天の像に倒される。」というものです。

牛鬼が人を食らう存在として認識されていた事がわかります。

牛鬼が突然倒れ、像の矛に血がついていた。)この牛鬼も3つに斬られて死んでいた。

「牛鬼が身体を切り離されて倒される」という構図は仲哀天皇・神功皇后の伝承とも似ています。

・牛鬼は毒タイプ?


牛鬼は鎌倉時代には浅草にも現れた

時代が下って牛鬼が登場するのが、鎌倉時代の『吾妻鏡』です。

「建長3年(1251年)、浅草寺に牛のような妖怪が現れ、食堂にいた僧侶たち24人が悪気を受けて病に侵され、7人が死亡した。」
という記録があります。

「悪気」はもしかすると毒ガスのようなものかのかもしれません。
牛鬼の攻撃バリエーションが増えています。

同じように牛鬼が病を引き起こす伝説は、安土桃山時代の伊勢にも見られます。

「弓の名手であった領主が牛鬼を射てしまう。牛鬼から黒い煙が立ち上り、それを吸った奥方は不知の病になってしまった。」というものです。

ここでも、毒ガス攻撃が発揮されます。

毒を出す妖怪は、珍しいですね。
(古事記に出てくる熊野の大熊など居るには居ますが。)

・村人に倒される牛鬼

時の天皇とも戦った牛鬼ですが、
ポピュラー化するにともない、
弱ってしまったのか、遂には村人にも倒されてしまいます。

江戸時代に作られた『作陽志』には美作での牛鬼伝説があります。

「寛永年間に20歳ばかりの村民の娘が、鋳(カネ)山の役人と自称する男子との間に子供をもうけたが、その子は両牙が長く生え、尾と角を備えて牛鬼のようだったので、父母が怒ってこれを殺し、鋳の串に刺して路傍に曝した。」というものです。

倒された牛鬼は生まれたばかりの子どもだったようですが、串刺しにしてしまうとは、親の怒りは恐ろしいですね。

この伝承について、柳田国男は、山で祀られた金属の神が零落し、妖怪変化とみなされたものとしています。

牛鬼伝説の4つの謎

しかし牛鬼、調べれば調べるほど単に怖い妖怪とするには、尖った設定が多いです。

①そもそもなんで牛なの?
②牛鬼伝説が西日本に多いのはなぜ?
③なぜ牛と海辺や淵が結びつくの?
④なんで毒攻撃なんて思い付いたの?

この辺りに牛鬼のルーツを考えるヒントがありそうです。

次のパートでは牛鬼の正体に迫ります。


出典

*0 トップ画像
佐脇嵩之『百怪図巻』

*1 Wikipedia 牛鬼

*2 文化庁 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/288563

*3
ただし、これは備前国風土記の逸文なので、神話の時代についての、あくまで伝聞です。