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過去を乗り越えるということ

人生の中で、後悔していることはありますか。

私はたくさんあります。
ほとんどが仕事に関すること。
悲しいかな後悔があり過ぎて、
あのサッカーの試合は20××年だ、とか
あの事件は20××年だ、とか
自分の後悔の記憶と結びつけて正確に言えてしまったりするくらいに。

新たな環境で理不尽だと思うような事に出会うと、
「あの時に闘わなければ、頑張らずに流していれば
今は逆に楽で有利な場所にいられたんだ」
という、自分の中で完了できたはずの思いが、時を経て時を経て、またふっと
頭をもたげてくることが、ある。

当時文字通り、“立ち上がれないほどの後悔“で、
苦しくて、ただただ(信頼する)誰かにわかってほしくて、
でも
「まだそんなこと言ってるの?もう過ぎたことじゃない」
「今それを言ってもしょうがないから前を向こうよ」
みたいなことを言われて、何度も愕然とした。
私が人間として弱いならそれでもいい。
私はあの時、ただただ気持ちを理解してほしかった。
それは無理もないとか、つらかったねとか、
そしてできたら味方になって励ましてほしかったのだ。

あの時に、プロとしてそんなことをしてくれる人がいたら
私はずっと早く元気になったし、前を向けた。
不必要に自分を責めることもなかった(反省をするのは大切だとは思っている)。
この思いも消えないのだ。だからそんな伴走のプロとしてサポートをすると決めたのだ。

そう思わなければ自分を支えてこられなかったのだろうと思う。
だから人のサポートをすることは結局自分を救うことにつながっていて、
それは自分のエゴだ、という思いも抱え続けている。


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