見出し画像

文学作品との向きあい方


文学作品と呼ばれるものを読むことは、そこそこある。読む本の中での割合はそこまで高くないけど、読みはする。名作と言われる日本文学/海外文学を読むことへの憧れもあって、そんな作品を読むこともある。好きな作家さんの作品を読むこともある。(ちなみに今回、「作品」と「テクスト」という言葉を意識して使い分ける考え方があることも知った。)

だけど正直なところ、どう向き合えば良いかわからないまま、字面だけを追いかけて読み終えてしまうことも多い。自分が経験できないことを追体験することが出来るという認識はあるものの、本当にそれだけなんだっけ、という思いも最近強くなってきた。ので、そろそろまともに文学との向き合い方を学びたいなと思い、数冊本を読んで考えてみた。
その中で、今後のわたしの文学との向き合い方に影響を与えそうだなと思った考え方のみピックアップして記載する。

①作品と何かを対比するという読み方
まず最初に読んだのは、この本。

中村邦生著『はじめての文学講義 読む・書く・味わう』岩波ジュニア新書

高校生向けの講演を書き起こしたものとのことだったので、初心者らしく簡単なものから読もうと思い、手に取った。ちなみに、これを講演で理解できた高校生は天才だと思うぐらいにはそこそこ難しい部分もあった。

現実世界や私について捉える際、「何か」とそれを対比することによってその本質や特徴が見えてくることがある。この本では、その「何か」を、文学にすることも出来るという発見をした。
読んだストーリーを、ただそれはそれとして飲み込むのではなく、何かと結びつける・対比させると、途端に見えてくるものが広がる気がする。
そしてこれは、文学作品に限った話ではないことに思い至った。アニメや漫画、ドラマ、映画等の作品全てに共通するかもしれない。なんならストーリー性のない、別ジャンルの本にだって活かせるかもしれない。人の話の聴き方にだって活かせるかもしれない。

②作者の情報と併せて解釈する読み方
次に読んだのは、この本。

亀井秀雄監修/蓼沼正美著『超入門!現代文学理論講座』ちくまプリマー新書

これも高校生が読めるぐらいのレベル感とのことだったので選んだけど、普通に難しい(世の高校生はみんな天才ですね…)。

この本の割と冒頭の部分で、現在の日本の学校での国語教育においては、主人公中心的な読み方や、作者に関する情報と合わせて解釈する読み方ばかりが指導されている、ということが書かれてあった。そしてその後には、ロラン・バルトが「作者の死」を宣言したように、作者と作品は切り離すべきだという考え方もある、と続くのだが、そもそも「作者の情報と併せて解釈」の読み方すら、私の中には定着していないなと気づいた。たしかに学校ではそんな解説を受けたような記憶がうっすらあるけれど、専ら主人公中心的な読みばかりしていたな、と。

この本で推奨されている読み方では全くないけど、こんな読み方も全然アリだなと思った。

③文学理論に沿って読み解くという読み方
上記②の本では、いくつかの文学理論がかなり噛み砕いて説明されていた。
例えば、
・先ほど出てきたバルトの「作者の死」
・「作品」と「テクスト」を区別するイーザーの「読書行為論」
・オースティンの「発話行為」「発話内行為」「発話媒介行為」の区別
・サールの「制度的事実」と「生の事実」
・プロップの「昔話形態学」
などなど。わたしが面白いと思ったものをピックアップしたので、きっと抜け漏れはある。

一つ一つの理論を正しく理解するだけでも時間がかかりそうだが、確かにこんな視点で読むことが出来れば面白いかも、と感じる理論ばかりだった。

そこでもう1冊、もっとたくさんの文学理論について説明されている本を手に取ってみた。

三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』フィルムアート社

一つ一つが重すぎて、いつ読み終わるのか分からない程だけれど、少しずつ理解していって文学を読むための視点を増やしていければと思っている。

その重すぎる一つ一つについて、さらに掘り下げたことが考えられるようになったら、それについてはまた文章を書きたい。

まあ、文学が嫌にならない程度でぼちぼちと。

以上。何で今まで関心をあまり持たなかったんだろう、というぐらい、今の私にとっては面白い。
同じように面白いと思える人達と、互いの解釈について対話するのも楽しそうだなあと思った。誰かいれば、ぜひ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?