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【後編】タイトル未設定001


白い水でいずみです!
こちらは後編ですので、前編からよければお読みください。
今回は前回ほどエグくないです!


前回、学校を休学するところまで書きました。

結局息が続かず、すべてのやる気や興味を失ってしまったわたしは、4年間住んでいた家を引き払い完全に神奈川を去ることを決めました。
家族と話してこのような結論になったとき、内心一番望む形になったなと思いました。


逃げることも大切だと、休むことも時には必要であると改めて思ったのです。
当時相談していた友達や先輩にもそんなふうに言ってもらえることもあって、今までわたしに逃げるとか辞めるとか回避する思考がなかったことに気づいたんです。



神奈川を去る時に一番辛かったのはバイトを辞めることでした。


2年生のときからお世話になっていた200年の歴史をもつお蕎麦屋さんに勤めていたのですが、完全家族経営のそこは最高に居心地の良い場所でした。


店長、次期店長さんや奥さん、他のバイトの子。常連のお客さん。これははっきり言えるのですが、バイト前の憂鬱とか、行きたくないとか思ったことなかったです。たしかに土日の忙しさは以上だし大晦日は地獄だし酒癖の悪いお客さんに絡まれたりとトラブルはあったけれど、そんなことどうでもよくなっちゃうくらいの居場所でした。

なにしろお蕎麦が美味しい〜
まかないが全メニュー食べれるので最高です。バイト募集してるとおもうので特に男の子(女の子はセパレートの着物が制服です)是非挑戦してみてください!


何人か、学校の友達やゼミの子たち、当時ハマっていたオンラインゲーム(?)で繋がっていた人たちまで食べに来てくれて本当にうれしかったなああああ。
今でも神奈川に行く時は必ずと言っていいほど食べに行っています!


と、話が脱線したんですけど、バイトを辞めて引っ越ししました。
2018年6月のことです。

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それから数ヶ月はなかなかやる気もでないし、地元にいる人たちと会う気にもなれず日々なにしてたか覚えてないくらいなにもしてなかったと思います。


卒制のこと、いろいろなことを極力深く考えないようにして処方された睡眠薬で夜は気持ちや思考をシャットアウトしていました。


そのうち、地元のメンタルクリニックや大学病院でヘルニアなどの治療を始めました。うちにばっかり引きこもっていましたが、猫たちや親がいて声を出すだけですこしずつ考えも変わっていったように思います。


とにかくそのころは本を読んでいました。ダンブラウンシリーズを読み漁り、1巻ずつしか買わずに1冊読み終われば外にでて本屋さんにわざといくように、外出するようにしていました。



そういえば、神奈川を出る前にゼミの友達から

「〇〇さんは、向こうに帰ったらそこの生活しか考えちゃだめですよ、もうこっちのことを考えずにそこの生活だけをみててください」

って言われたことがあって、この言葉が予想以上にスッて落ちてきたんです。
さすがです。

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それから中学の時の友達がひさしぶりに連絡をくれてご飯に行きました。


会ったのは3年前程の成人式ぶりでした。彼女はわたしと誕生日も同じで親近感があり、とても頼れる子だったので会った瞬間に「昨日も会ったみたい!久しぶりに会った気がしない!」って言ってきた時すごくうれしかったです。


今わたしの母校の小学校で先生をしているという彼女に、お互い会っていなかった期間のいろいろなことを夢中で話していると、

「そっかじゃあいまは〇〇ちゃんはゆっくりしなくちゃいけないときなんだね」

と、いわれてまたその言葉がストンと落ちてきました。



「ゆっくりしなくちゃいけない」なんてこの人生で今だけでありますようにと同時に思いました。



そして暑い夏が来ました。


わたしは夏があまり好きではないので毎日毎日体の倦怠感と闘っていました。
怠惰に過ごしていたような気がします。


そんなある日、突然巻き起こったやる気にびっくりします。絵を描いたんです。絵を描いたんです。笑


卒制の一件以来、それ以前の自分がなにをスキだと思い、なにに興味をもって、趣味はなんだったのか、どんなものに惹かれるのか、自分の中にあるなにかを見失っていたんです。見失っているならまだしも、すっかりどこかに落としてきたような喪失感がずっとありました。

そしてそれを埋めることに気が遠くなるような時間が必要なんじゃないかとも。

そんなわたしからしたら、昔よく描いていた絵を紙に描いただけでかなりの成長でした。画材を持ってきてケント紙に花を描きました。

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そこに水彩で色をつけました。

ある時は以前制作していた手描きの動物図鑑を描き進めました。



それを元バイト先の人に書いているところをタイムラプスで記録していたのでそれを送ったところ

(バイト先のその人は神奈川でのお父さんみたいな存在でいろいろ話していたんです笑)

娘さんに見せて感動してくれていて、YouTubeに上げて欲しい!みたいに言われたんです。

それがかなり嬉しくて。


同時に不思議でした。わたし突然他人からこんな動画見せられたらへえ!で終わっちゃうなあって思っていたので。(心が荒んでいる)



それから甲子園も終わって、世の中が夏休みから開けた時、突然わたしは雑貨屋さんに電話をします。

雰囲気のいいお店で漆器を扱うすてきなお店だったのです。
そこにバイト募集のチラシをみてのことでした。


当時引きこもりがちのわたしを心配していた母からバイトさがしてみれば?という一言を何日も連続でわたしにかけられていたのです。


すっかり「いまはゆっくりしなくちゃいけない時」というのを忘れていたのでした。


案の定そこのバイトは肌に合わずたったの2日の研修期間で辞めました。


その後、辞めたことやそこの社員さんに迷惑をかけたことを引きずり、精神的に不安定になってしまいました。なんて弱いんだと。

踏ん張る力がなかったんです。

普通なら1週間だけでも頑張ろうとおもうかもしれないですが、その時は頑張るというものがわたしの中に1ミリもありませんでした。


1ミリもないことに傷ついていたのかその日は一晩中泣き尽くし朝方疲れて眠りました。


そんなことがあってから数週間。
世の中は猛暑が嘘のようにひいた9月半ば。
父が突然iPadとApple Pencilをプレゼントしてくれたんです。

なにに対してのプレゼントなのかはまったく分からなかったのですが父はそういうことをよくしてくれる人なのです。しかもわざわざ仕事中の休み時間に家に帰ってきて。


そんな突然のプレゼントはわたしを大きく変えました。


どうせバイトをするなら雑貨屋さんの接客じゃなくてもっとやってきたことを活かせるものをバイトでやった方がいいという意識がわたしの中に芽生えます。


まさに芽生えた芽はぐんぐん成長するのと同じで、デジタル画にあまり経験のないわたしは沢山練習しました。そしてその絵を載せる場所を作りました。


それは最初はインスタグラムで、フォロワーもいないし、投稿するものもすくなく、思い通りに描けないものをぐだぐだ載せているだけでした。


それが白水の誕生だったんです。



「白水さんの絵柄好きです」というコメントやいいね、フォローしてくれる方がいて、そのことが唯一の動力源でした。


それからTwitterを開設。

最初はタグをつけていても反応もないような小さなアカウントで、わたしの画力もそれで変わるわけなくぐだぐだ期が続きます。


それからたくさん練習したと思います。毎日1枚は必ず描いて、好きなイラストレーターさんの絵をよく観察してこの線はどんなブラシで描いているのか、このアングルはどう描けばよく見えるのか、ここの配色はこういう風におけば映えるのか。
観察して実行してをたくさん繰り返すようになり、それが習慣になっていきました。


そして気づけば、昔の自分が好きだったもの、どんなものに惹かれているのか、澄んだ水が満ちるように、ぽっかりあいた穴になにかが満ちていくのがわかりました。

まだまだ足りない、まだ勉強して、あんなことやこんなことについても調べなきゃいけないと欲求が止めどなくあふれる瞬間を感じていました。


それからわずか3ヶ月で500人ものフォロワーを確保し、ひとつのイラストに200程のいいねがつくようになっていきます。
そんな数字の意味に囚われていた時もありましたが、いまは初心に立ち返って、一人だけでもいいからわたしの絵をみてくれて、好きだと、応援していると言ってくれる人がいれば満点じゃないかと思うようになりました。


そしてとうとう12月、初めて有償でイラストの依頼がきてわたしのイラストに値段がつきました。もう飛び跳ねて喜んでいました。



こんなこと2018年のわたしは全く予想していなかったでしょうに!


それから、結局1年間休学をしているうちに周りの同年代のみんなは社会人2年目。結婚しました、子供が生まれましたと順調な人生の時間を過ごしているのをみています。最初は焦ったし、わたしは一体なにしているんだろうと落ちていくこともありましたが、とにかく他人のことよりも今は自分のこと。

今の、この生活だけを見ている。


また12月に撮影したMRIで縮小したヘルニアを確認。

もう薬も飲まなくていいくらいの痛みに、ずっと続けられる同じ姿勢!


ヘルニアはもうほとんど完治していました。
病院にもう行かなくてよくなったんです!!
約1年間の闘病生活が幕を下ろしました。


相変わらず不眠症とは長い付き合いを強いられますが毎朝6時半に起きて、毎晩12時までに眠りにつけるように習慣もついてきました。


たぶんまだ相変わらず薬を飲まなければ朝6時に眠気がくる状態ではあるかもしれませんが、1日を世の中の人たちと始められることが嬉しいです。


最初、実家に帰った時はほとんどできなくてしょっちゅう母に怒られていた家事もスムーズにこなせるようになり、最近は晩ご飯を週に2回以上作るなど料理もするようになりました。


そして外出もよくするようにして、公園での散歩も心がけています。


朝早く起きて、洗濯物をして、掃除機と雑巾掛け、朝食の後片付け、猫の世話、すべてを早くに終わらせて10時ごろには創作の時間を設けています。


それが毎日のルーティーンです。はやく終わればその分どこかに行くこともできるし、太陽もたくさん浴びれるし、絵も描けるし、noteも書ける!


こんなに基本的なことをすることがこんなにも幸せなことだとは1年前の自分は理解できなかったと思います。

そして2020年4月に復学することを決めました。


最後の半学期、夏の卒業をめざして行きます。

いろんなことを勉強して長かった学生生活を満喫しようと今から企んでいます。元バイト先でもまた隙間時間に働けたらいいなとも思っています。
また創作活動も一層力を入れていくつもりです。


実家である長野から通うことになるので4月はしぬほど大変だとおもいます。
たぶん精神的にも崩れるとおもうし、睡眠も今みたいにスムーズにはいかないはずです。それでもきっとできるはずと思って、それ以上の成長を願って“頑張り“ます。

あれ以来、人に気軽に頑張れなんて言えなくなってしまったなあ。

長々ととありがとうございました。
心のなかのもやもやがスッキリと整頓されたように感じます。

もしつらくて死にたくなってしまったら、生きることから漠然と逃げるんじゃなくてもっと根本的な原因から逃げて欲しいです。
逃げたって大丈夫だし、疲れたら休みましょう。
ゆっくりお茶いれてそれを飲みながら音楽聴くだけでもボーッとする時間が大事。

世の中、人の弱さに寛容的になってきています。
理解してくれる人がたくさんいます。
でも結局自分だし辛いことや悲しいこと、傷つくこともたくさんあります。
いくら逃げようと言われてもその言葉でさえも頭に入ってきやしないし、なにがわかるんだとしか思えないです。もうそうなったら医者にいこうね。人にその現状を伝えてみるのって結構いい解決方法です。


イラストでもそうなのですが、色を置く時に明るければ明るいほど、暗い色を近くにのせます。そういうふうに人生もできていて、明るくて眩しい時と暗くて暗くて足元さえも見えないときが必ずあります。
これは心に留めておこうと思います。


もし今が底辺ならもう昇ることしかないです。
美容院で適当なこと言ってたら美容師さんに言われました!!!!!!
ありがとう美容師さん!!!

とにかく、当時わたしの話をたくさん聴いてくれた友人や先輩、心配して卒制手伝ってくれた後輩、家族、猫には感謝でいっぱいです。
猫にはチュールをあげておこうと思います。


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Illust,Photo 白水
(場所・東京ディズニーシー)
あまりにも好きな写真がたくさんあるので載せまくっちゃう

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