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私たちに与えられた試練⑤


3歳で目標としていたフォンタン手術を終え、新たなスタート地点に立ち、これまでのことを振り返りたいという思いがありながら、書くまでに4年かかってしましました。
強い思いをもって書き始めましたが、思っていた以上に大変な作業でした。
もっと早く…
リアルタイムで記録を残していたらとも思いますが、私は次男を出産する際SNSで発信はしていませんでした。
していなかったのではなく、出来なかったというほうが正しいかもしれません^^;

大学病院での主治医は、病気のことを検索していいですと仰いました。
間違った情報もあるかもしれないし、妊娠中ということもあり余計な心配をし過ぎてしまったり、大きなショックを受けることで胎児に影響がでることはさけたいと思っていたので、むやみに検索してはいけないと言われるのではないかと思っていました。

もちろん、母親がそのことにより精神的にバランスを崩してしまうようであればそうは仰らないと思いますが、稀な病気であるため情報はとても大切であるし、同じように頑張っている家族が全国にはたくさんいること…
知ることで不安が軽減されることもあるし、仲間がいることで救いになる。
きっと強い心を持たなければ、乗り換えられない試練であることは確かでした。

でもその頃の私は、24時間テレビやドキュメンタリー番組、医療系のドラマを見るのが辛くなり、SNSは自ら避けていました。

出産後に出逢った周りのお母さんたちは、SNSで情報を集め子供のためにネットワークを作ることに積極的でした。
そういうお母さんたちをとても尊敬していましたが、私自身は自分の性格上、情報を得すぎることは精神衛生上よくないと思ったので、目標としているフォンタン手術を終えるまでは、意識的に遠ざけていました。

フォンタン手術を終えて、ようやくインスタグラムを始めるわけですが、初めたのが3歳を過ぎていたため、仲良くなったお母さんたちは赤ちゃん組さんが多く、同世代のお友達は少ないです。
何かあった時に相談できる友人は数人いたので、その時の私にとってはそれがベストだったのかもしれません。
結果、周りの誰かと比べることなく息子は息子のペースで前に進めばいいと考えることが出来ました。

最近ではフォンタン術後で大きくなったお兄さん・お姉さんからフォロー申請がくることがあり、それはなにより嬉しいことです。
これまで頑張ってきたお話を聴くことが出来たり、息子もこんな風に成長してくれるのかな??と想像をめぐらせることが出来ます。

病状は人それぞれなのでまったく同じ道ではありませんが、将来を思い描けることの喜びは、明日が分からないと言われた親にとっては、とてつもなく幸せなことです。

これまで、たくさんの仲間をお見送りしてきました。
病気と闘う姿に、はかりしれない勇気とパワーををもらいました。
また、今まさに頑張っている仲間やそのご家族が全国にはたくさんいます。
その方たちが、ほんの少しでもホッと一息つける瞬間があるといいなぁと願っています☕💛

前置きが長くなりましたが、ここからようやく出産へ向けてのお話です。
当時の日記より抜粋します。


2016.9.19旅立ちの日


入院日は9月20日。台風16号に振り回されいつ出発するかギリギリまで悩み、前日に出発にすることにして正解だった。
朝6時半ころ家を出て、ゆっくり向かった。
イオンでお昼を食べ必要なものを買い揃えて、出産予定の病院を長男に案内し、刻々と別れの時間が近づいてきた。

もっと一緒にいたかったが、台風の影響で雨も強くなってきた。
4時間半かけて帰らねばならないので寂しい気持ちを押さえ、ホテルにチェックインしたのち15時ごろ明るく二人を見送った。
じゃあね~と見送りながら、不安と寂しさが押し寄せ涙があふれてきた。
帰り着くまでとても心配だったし、明日からの男二人の生活がどうなるのかとても気がかりだった。

2016.920入院1日目

台風16号が大暴れ🌀
私たちが住む市は大変な被害が出ていた。
朝夫と連絡がつかず、ニュースを見た私はとても心配になった。
友人の実家は床上浸水、友人宅も瓦が飛んだり車のガラスが割れたり、あちこち土砂崩れがあり、私たちも日常的に使っていた橋が流され…
あまりの被害の大きさに、おどろいてしまった。
ホテルまでタクシーを呼び、風は強かったものの無事に到着。
入院の手続きもスームーズに終わり3階の産科病棟へ。
セキュリティが万全であることに驚いた。

外来で一度お会いしたことのある主治医のN先生と私の担当になる看護師さんからご挨拶があり、入院の説明を諸々受ける。

午後から早速エコー検査があった。
息子はストイックに、たえず呼吸の練習をしているとのことで、先生も
微笑みを浮かべていた。
ひとまず、何事もなく入院までたどり着けたことに、この時ようやく安堵した。

入院1日目にして、すでにたいくつだった。
部屋は4人部屋。
常にカーテンでしきられており、この病院の産科に入院するということは、なにかしらの心配事を抱えての入院だ。
それが分かっているのでお互い話をすることはほとんどなく、唯一シャワーを浴びるときだけ
『シャワーお先に失礼します。』 
『はい、どうぞ~』
と、声を掛け合うくらい。

普段、そうおしゃべりなほうではないが、やっぱり誰かと話したくなるのが人の性なのだ。
ルームメイトと会話が出来ないのは、私にとって結構しんどいことだった。
夜になると旦那さまたちがそれぞれ会いに来て、カーテン越しに話をする声が聞こえてくる。
私は遠方からなので、次に家族に会えるのは出産の時。
寂しいなどといっている場合ではない!!

寂しくなって電話をしても、男二人いつもドタバタしていてすぐに切られてしまう。
生活とはそういうもの。
がんばっている姿に元気をもらいながらも、この生活はいつまで続くの…
と私はホームシックになっていた。

2016.921入院2日目

妊婦健診を受けた。
そのあと、入院の際お世話になった循環器科のK先生の診察も受けた。
特に変わりなく、元気に大きくなってくれているようだった。
夕方主治医のN先生が部屋に来られ、これからの方針を話して下さった。
10月3日から、出産に向けて進めていくとのこと。

???

あれ?帝王切開じゃないの?
もし夜中に生まれてきたら、万全の体制でのぞめないんじゃ?
生まれてすぐに、なんらかの処置を施さなければならない上に、生まれてみなければ分からないこともある。
それなのに、普通分娩で大丈夫??

帝王切開だとばかり思っていた私は動揺した。
おそらく私を送り出した大学病院の先生も、びっくりするのではないだろうか?

その日から不安な気持ちを先生に話したりしながら、出産にむけて少しずつ気持ちを整えていった。


まとめ

入院の前日、家族と別れる時の光景は今でも鮮明に覚えています。
記事を書きながら、思い出し涙してしまいます。
これまでを振り返るのは思っていた以上に大変なことで、かなりの時間を費やしてしまうかもしれません。

でも次のステージで戦う息子たちが壁にぶつかった時、二人ともこんなに頑張ってきたんだよと背中を押してやりたい。
私たち夫婦にとっても、今となってはあっという間だったけれど、同じ目標に向かってがむしゃらに進むしかなかったあの頃の頑張りを忘れたくない。
文字にすることで、頑張った自分を労いたいのかもしれません。

書き終えるのはいつになるか分かりませんが、現在と過去を行ったり来たりしながらマイペースに書き進めたいと思います。
もし興味のある方がいらっしゃいましたら、最後まで一緒に見届けていただけると嬉しいです🌈


つづく(●'◡'●)



















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