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ブート・アンド・セットアップ

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私の最初のnote。続けることが第1の目的、 何を書くかが見えるようになることが第2の目的。 有料化も何も全てその次。
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#独学

分かるところから進めるしかない

(昨日の続き) 「統計検定・準1級」を独学するにあたって八方塞がりの中、 結果的に落ち着いたのはこういう考え方だった。 じつをいえば、統計検定の受験へ向けて一歩を踏み出した理由も、皆目意味不明な統計検定の世界の中に、理解可能な部分が一部見えたからであり、それまでに関してはやはり、問題文の意味不明さに取りつく島をなくし、なすすべをなくしていただけだったのだ。 それは、範囲が広大で内容のめっちゃ細かいテキストの、ごくごく一部分に過ぎなかったのだが、着手できる部分が「ある」と

基準がつかめない

独学の大変さのひとつはその基準がつかめないことだと思う。 この点、予備校などが講座を提供している資格取得講座などは、今思えば非常にやりやすかったと言える。毎回ミニテストなどがあり、9割取れていることを目安に学習してくださいと言われたり、本試験前に演習回が何度もあって、理解不足の分野がわかったり、本試験前の模擬試験で自分の位置を知ることができたりといったことがあるからだ。 しかし今回受けた「統計検定の準1級」は、範囲が広大でめちゃくちゃ細かいテキストが1冊あるきりで、コンピ

独学は感覚をつかむものなのか

昨今、ネットの向こう側にそれなりに充実した資料やわかりやすい先生(AI先生を含む)が登場し始め、検索などもうまく機能し始めたことから、独学が台頭してきた。 僕たちが現役の学生だった頃は当然ここまでの環境はなかったから、学ぶといえばやはり生身の人間の背中を通して、その取り組み方や発想のぶっ飛び方やあり得ないほどの情熱などを、じかに学ぶのが意味があることだと思ってきたのだが、やはり今独学を無視しては語れない時代かと思う。 にしても、個人ブログなどは情報が断片的であるし、数学で

僕らはそろそろやり方について話そう

片付けのやり方について書いた本が革命的だといってヒットするくらい、人は片付けそのものについては必要性や切迫感を感じる一方で、そのやり方については他人と話をしたことすらないという現状があった。従ってそこには確たる意識さえ向いていなかったわけであり、その弊害が汚部屋でありゴミ屋敷であった。 人は片付け同様、勉強そのものについては必要性や切迫感を感じる一方で、そのやり方については他人と意思疎通する機会がそれほどまでにはなかったと思われる。少なくとも僕の学生時代はそうだった。そして

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