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プロフィール

こんばんは。
初めましての方、はじめまして!
お久しぶりの方、ご無沙汰してます!

小さい川の泉です。笑 (本名:小川 泉)
水みたいに流れる名前だねって高校の時言われました笑

最近(いや、ずっと?)自分と向き合い週間になっていて
何が今の私を作ったのか
そして今の私は何をして生きたいのか
ようやく記録できるので書いていきます

『幼少期』


私は小学校に上がるまで人見知りが激しく
さらには引っ込み思案で思いを言葉にできず
3歳で入園した幼稚園では先生方に心配されるほどだったと
母親から聞いている

自覚があるのは
幼稚園で友達と遊ぶよりも本を読んでいたこと
家族以外や、数日かけて慣れた大人以外は恐いと思っていたこと
どんなにお菓子やおもちゃをあげると言われても手を出さず
親の後ろに隠れていたので結局はいつも母が貰っていたこと
などなど

こんな自分だったからか
人間関係作りが上手じゃなかった

小学5年生 クラスメイトの友人間で起こったいじめ
嫌な思いをすることも
嫌な思いをさせることも
どちらも経験した

ここで私はまず学校が嫌いになった
親にも相談できずにいた私がたまらず願った1日だけの欠席
理由も聞いてもらえず休ませてはもらえなかった

このころから
気弱な私だから実行してないけど
いつ死んでもいいなって思っていた(極端だけど)

そして必要な時の助け手もある中だったけど
小中高で必ず一度は人間関係の壁にぶち当たった

こんな経験から
自分は日本の社会不適合者だと思い
海外でなら自分らしくいられる場所があるかもしれない!
と日本から出ていくことが目標になっていた

『カナダ時代』

3月で高校を無事卒業し
6月にカナダへ飛びたち
7月8月で語学学校に通い
9月からカナダ人も知らない土地の学校へ入学した
(一応、学校提示のTOEFLの点数ギリギリを取得して入学許可は出ていた)

私が入学した学校は全寮制で全校生徒は約50名
学校の敷地内に先生方の家もあって家族もいて
とても小さなアットホームな学校だった
寮では必ず二人部屋
頼もしく優しいルームメイトもできた

TOEFLの合格点もとって
語学学校で準備もしてたけど
やっぱり現実はそう甘くなかった

通常授業に付いていけず
1年目は右も左も分からない状態で必死に食らいついた
私はここを1年だけのつもりで入学したのだが
結局は2年半お世話になった

この学校での出会いや時間はとても大切なもので
どんな自分でも認めて寄り添ってくれる人たちに出会い
私はどこに行っても変わることなく私なんだと学び悟った

2年コースの単位を2年半で取得してから
家の事情で帰国はしたけど
またカナダに行きたくて
日本で逆ホームシックになった笑
そして2年貯めたお金でワーホリでカナダへ戻った

カナダへ戻ってから
ワーキングホリデーのホリデー部分を存分に味わっていた

たまにワーキングをしていた中で
いろいろさせてもらったけど
保育園で少しお仕事をさせてもらったことが
今の私の仕事へ繋げてくれた

ある日、インド系の女の子(たぶん3、4歳だったと思う)が連れられてきた
親は移民でカナダに来た様子
仕事をするために子どもを保育園に預けに来た
その子は来た当初まったく英語が話せず
ただただ泣くだけの日々
何を言っても何を聞いてもわからない通じない世界
そんなところに一人で置いていかれる悲しさや辛さ
私の想像なんて遥かに超えていたと思う

でもある日 
その子が急に英語を話し始めた
文章になるわけではないけど単語をポツリポツリ
びっくりした
子どもの成長や適応能力は本当に早くて力強いことを
間近で見ることができた

この衝撃的な日を私は忘れられずにいた

それから日本に帰国前
仕事をどうしようか悩んでいた時に
母から、子ども英語の需要が田舎でも高まっていることを聞いた
(もう10年前のお話)

また、カナダでお世話になった方が私に言ってくれたこと
「泉は、普段の大人とは違った子どもへの接し方がある。だから子どもに好かれるし、懐かれるのも早い。それは特別なギフトだから生かしたほうがいいと思うよ。」

このアドバイスがあって
自分では教えることが苦手と思っていたけど
英語を使えるようになって楽しめると見えてくる違った世界を伝えたくて
英会話講師という仕事を選んだ

『子ども英会話講師時代』

帰国後、某大手子ども英会話教室の講師として働かせてもらった
どのような方法で英語の楽しさを伝えてるのか知りたかったから

人に思いを伝えることを苦手と思い
ましてや人に何かを教えることなんて無理だ!
と思っていた私だけど
子どもが少しずつ成長していく姿を見せてくれるたびに
楽しさが募っていった
少しづつ親御さんとも信頼関係を築かせてもらい
英語学習の継続など相談していただくようにもなった

ある時、当時中学3年の子が学校に行けなくなった時期があった
でも私のレッスンには変わらずに来てくれていたので初めは知らなかった
その子は英語を進んで学び、簡単な会話も理解はできていた
だからこその道だったと思う
中学卒業後はニュージーランドの高校へ
日本だけが全ての道では無いことを見せてくれ
英語が使えると世界に道があることを見せてくれた
英語に自信があったからこそ進むことを決められたのだと思う

英語を好きでいてくれた子が、こんな風に世界に羽ばたいてくれた姿は
私にとってもかなりの励みになった
(今この子は、日本に戻り帰国子女枠で大学に入り頑張っている)

そんな忙しくも楽しい、充実した日々を送っていた

がしかし、ここでは実際、講師業務の他に事務作業、保護者対応、
半営業などもしていたこともあり、
体調を崩して約半年は原因不明の咳が続いた。
この体調の変化もあり、約4年半お世話になった教室を辞めた。

『今の私』

今でもまだ私は試行錯誤をしながら英語の楽しさを伝える働きをしている
コロナがスタートした2020年には英会話の仕事とは全く違う
介護の仕事をしたこともあったのだけど
その一年で「やっぱり私は未来を作る仕事をしたい!!」
この思いが強いことに気づいてすぐ辞めさせてもらった

今は世界に行くことはまだ難しいかもしれない
だけど、だからこそ
今ある時を思いっきり楽しんで
日本にいても世界に挑戦したい時にすぐにスタートダッシュができる
そんな未来ある子たちの可能性を広げる働きをしたい!

ただその思いをもって
今日も、これからも頑張ります!


最後まで読んでくださりありがとうございました!

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