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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」・15


第2章   菊池奪回戦 


七、


秋の気配が立ち始めたイワシ雲の空へ黒い煙が立ち上がっていく。
豊田の郷の十郎の家が燃えている。
十郎や美夜受がそれを眺めており、背後には颯天(はやて)を引いた太郎がいる。
引っ越しの為の荷車に家財が積み込まれており、一緒に行く使用人たちも火を見ている。
颯天の轡(くつわ)を取りながら、太郎は情けなく気弱になっている。
「あーあ、住み慣れた家じゃのに」
「もはや用なしじゃ」
と、十郎が言うが、太郎は不貞腐れる。
「この先、屋根の下で眠れるのか、おいは心配たい」
家人数名も不安げに顔を見かわす。
皆、十郎が菊池でやっていけるのかどうかについて、確信がない。
恵良惟澄(えらこれすみ)が馬で来た。
馬を降りながら、呆れてそばの十郎を見返る。
「火までかけんでも」
「二度とここへは帰らぬ覚悟じゃ」
笑う十郎の顔を見やる惟澄。
「本気でやるのじゃな?」
「ああ、菊池を引っ担いで親父殿の遺志を継ぐ」
その言葉を聞き、満足げにうなずく美夜受(みよず)だった。
美夜受は十郎の心を察している。
自分をないがしろにして顧みない菊池の衆に怒りを抱いていること。
ファザコンで、父を見捨てたこと、いくさに怯えたことのトラウマを隠し持っている十郎だ。菊池の主流から取り残され、飛び地の領地に放置されたことへの寂しさと反発、それがいつかは巨大なエネルギーとなってこの若者を立ち上がらせると、美夜受は読んでいた。
美夜受は自分の血潮をたぎらせられない分を、十郎にたぎらせてほしいと期待していた。
当時のいくさでは頑強な肉体がすべてで、女には出る幕がない、美夜受はそう思い込み、悔しさを内に秘めていた。美夜受は男に生まれたかった女だった。
「おうい、つくしんぼう!」
太郎が彼方から来る筑紫坊を見つけて無邪気に手を振る。
筑紫坊(つくしぼう)がやってくる。
「これを」
手紙を十郎に差し出した。
「わしが取り次いだ五条頼元殿からの返書か?」
と、惟澄が訊く。
「はい」
阿蘇一族に加勢を呼びかけていた五条頼元と恵良惟澄は繋がっていた。
そのつながりを頼って、十郎が五条頼元に面会を申し入れ、その任を果たした均吾の筑紫坊だった。手紙を読んだ十郎が惟澄に伝える。
「薩摩へ出かけることになりますな、叔父貴にも同道をお願いしたい」
「薩摩か、遠かのう、…やむなし、桜島でも見てくるとするか」
家が燃え落ちていく。
もう十郎に帰る家はない。

薩摩の秋の海、とある船上に海風がそよいでいる。
彼方には桜島が噴煙を上げている。
瀬戸内の海賊の軍船上である。
小早船(こはやぶね)で寄せてきて這い上がった十郎と惟澄は、不慣れな揺れに翻弄された。それを海賊衆が笑う。
先に来ていた五条頼元(ごじょうよりもと)、中院義定(なかのいんよしさだ)と配下の者が見迎える。
四国の海族忽那義範(くつなよしのり)の軍船が差し回され、五条頼元の意向を受けて九州の海で様々に働いている。その軍船上で頼元と惟澄、十郎たちの間で秘密会議が持たれる運びとなったのだった。忽那義範は出張ってきていないが、上級武将大山田越前が立ち会いとなる。大山田越前に促され、五条頼元が進み出た。
「牧の宮様侍従、五条頼元でおじゃる」
既に面識がある惟澄が十郎を紹介した。
「これなるは菊池十二代、菊池武時が一子、豊田の十郎でございます」
十郎をじっと見やった頼元は、菊池の棟梁でござるか?と訊いた。
いたずら者の顔でニッと笑った十郎。
「…豊田の十郎?」
菊池の棟梁ならなぜ菊地姓でないのか。
む、と怪訝な顔を見せる頼元に対し、慌てて惟澄が補足した。
「間もなく十五代に就任いたす、菊池の動向はこの十郎が双肩にかかっており申す」
と、実はまだ何も決まっていないのに、はったりをかました。
大前田越前が甲板上にしつらえた席に皆を案内した。
南朝海賊軍団が島津東福寺城を攻めて牽制する作戦が整い、薩摩脱出の準備が進んで、あとは宮様の落ち着かれる先、というところまで谷山の征西府は準備できている。
問題は征西将軍の受け入れ先だった。有力な受け入れ先が喉から手が出るほど欲しい。
この会談の成り行きや如何に、と大前田越前が両者を交互に見やる。
じっと十郎と惟澄を見据えた頼元は、未練たらしく惟澄に訊いた。
「…阿蘇家は我らを受け入れなさらぬのか」
惟澄が頭を掻きながら言い訳をする。
「…これまでのいきさつで最早お分かりじゃろう、阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)家当主、惟時殿は様子見いたしおる、決断はでき申さぬよ」
頼元は明らかに不快な色を見せた。
「…それで菊池家を、というのが惟澄殿のご意見なのじゃな」
「しかり、でござる、身共は阿蘇大宮司家を継げぬ、…阿蘇家の国論をまとめることはかなわぬ、…じゃがこの十郎は必ず菊池を率い申す」
じっと十郎を見つめる頼元は、この二人を信じていいのかどうか、迷いに待った。
「一五代を、…そなたが」
そんな頼元の腹の中を察しながらもとぼけて笑う十郎。
「肥後はよかとこです、きっと親王様にも気に入ってもらえましょう、おいでなされ」
さわやかに言われて戸惑う頼元だった。
この若者はここでやり取りされていることの重大さを本当に理解できているのか。
「阿蘇大宮司家、…われらは一途に頼ってまいったのじゃがのう」
阿蘇大宮司家に未練断ちがたい様子の頼元に惟澄が十郎を弁護しようと言葉を継ぐ。
「わしは足利尊氏のやり口には納得いき申さぬ、信用せぬ、わしは南朝に味方する、しかし、わしにはまだ阿蘇一族をまとめる時期が来ておらぬ、一族の長、惟時殿は近年、足利幕府から阿蘇大宮司と承認された令旨をもらって喜び、北朝勢に味方して南朝方の領地を奪おうとさえしておる、阿蘇大宮司家は見限られるにしくはなし」
「…左様か」
頼元の落胆ぶりは十郎からもはっきりと見て取れた。
「しかし、菊池は違う、十郎は南朝の旗印のもとに菊池をまとめ申す、征西将軍をお迎えし、征西府を支えられるのは十郎の菊池でござる」
惟澄がダメ押しをするが、頼元は十郎をちらと見やる。
頼元には若い十郎の力を読み切れない。
「…菊池は分家庶子(しょし)家がそれぞれ分裂気味じゃとか、弱り目だと聞き及ぶ、…十郎殿が率いるからとてどうなることか、…我らの責任は生半可なものではござらぬ」
「菊池はおいが束ね申す、…保証が必要ですろうか?」
十郎が笑って言うので頼元は怪訝に見やった。
「分かり申す、…落ち目の菊池に賭けるは博打でござろうな」
「おいおい、十郎」
惟澄が慌てるが、十郎はぎろっと頼元を見据えた。
「じゃが、博打でない道がどこにござろうか?」
頼元が十郎を睨み付ける。不敬な!という思いがある。
「征西将軍の使命を博打に例えなさるのか」
「おいは十五代となって菊池を統率し、有無をも言わせず宮方宣言をし、お守りする、今この九州でお前さま方を引き受ける、そう言うてござる、同じことを言い切る武家が他にあるならそちらに頼りなされ、おいは構わぬ」
「皇家に対し奉り、その言い条は何事か、控えなされ!」
頼元は激怒して腰を浮かし、中院義定ははや太刀の束(つか)に手をかけている。
その両者を見据え、十郎は言い放った。
「この九州で自らの運命をかけず世を渡る武士はどこにもおらんばいた、いや、本州でさえそぎゃんたい、おいなおどん様方に賭けるちいうておる、菊池の命運を征西将軍に賭けるとな、保証なくともじゃ、生きるも死ぬるも、菊池の民人すべての運命を南朝に託すばいた、おどん様方も賭けるしかなかばい、どこにも誰にも保証はなか、どの武将を選ぶかはおどん様方の選択と決意ひとつ、…好きに決断しなさるがよか、ご免」
十郎は笑って席を立った。
惟澄はため息をついて天を見上げるが、確かに十郎のいう事に理は尽きている。
苦笑して腰を上げ、十郎の後を追って小早に向かった。
唖然呆然として二人を見送る頼元と中院義定は立ち尽くす。
陸に向かう小早を船頭が操る。
今頃になって酔いが回って吐き気を催した十郎が舳先から、おえ、と胃液を吐く。
惟澄がやれやれとその背中をさすった。
都人とはこんなものかと十郎は内心苦笑していた。
まみえる前はさすがに「身分高き貴人がた」に対して緊張する心はあった。
だが、会ってみれば所詮は同じ人、だと思った。
地方の土豪国人、荘官領主や菊池氏のような守護地頭まであらゆる人々の命運を握る皇族と公卿官人たち。京の都は想像など呼びもつかぬ華やかさであろうと、人々はあこがれを持って語ったが、見たこともないものにかしずこうと思うほど、十郎はやわな男ではない。
肥後ものの向こうっ気は十郎の脳髄からかかとまでを貫いている。
十郎は惟澄を通じ、筑紫坊の鬼面党を使って吉野の南朝から裏を取っていた。
牧の宮懐良(まきのみやかねなが)親王には征西将軍の資格があり、領地与奪の権限が事実あるのかどうか。
牧の宮懐良の兄である後小松帝の南朝皇室は保証するという返事を寄こしていた。
そこまで相手の実効的力量を見切ったうえでの牧の宮菊池勧誘の挙だった。
島津が谷山攻めの準備を進めているとの情報は筑紫坊から既に入っている。
時間がない。頼元は決断せざるを得ないだろう。
牧の宮はわしを頼ってくる。か、どうか。むろん、賭けではあったが。
そんな十郎たちの乗った小早が遠ざかっていくのを忽那の軍船上から頼元は見送った。
四条畷(しじょうなわて)の戦いに楠木正幸が敗れ、吉野の後村上帝はさらに奥地の豪農の家に落ちられた。もはや後がない。南朝の命運は尽きかけている。
五条頼元には焦りしかない。
しかし、あの若者はあまりにも不敬、あまりにも傍若無人!
ところが中院義定(なかのいんよしさだ)は苦笑して言った。
「…あの若者のいう事、潔い趣があり申す」
頼元は、え?となった。
風が出てきた。波が立ち始めている。
頼元と中院義定の足元は大きく揺れている。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)
公卿武士、侍従。

〇大山田越前  忽那義則配下の武将  

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇おえい
美夜受の母。渡り白拍子だったが、恵良惟澄の囲い者となっている。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

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