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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」17


第三章  征西府の旗揚げ


二、

行列の先頭で、本物の金烏(きんう)の御旗が揺れる。
本物の親王の一行は別ルートから本城入りしようとしていた。
御船から阿蘇の麓の山際を回り込み、途中にある合志一族の領地を迂回して、菊池川深川の少し上手の浅瀬から渡河して、隈府の守山新城を目指すルートで来た一同だった。
当時はまだ阿蘇北宮神社はなく、菅原神社であったその辺り。
本物の金烏の御旗がはためき、それに並ぶ並び鷹の羽の菊池軍旗が進みゆく。
先頭を十郎が行き、惟澄が並んでいた。
背後をしずしずと騎馬で来る懐良親王以下、五条頼元たち侍従一行だった。
兵はすべて豊田勢及び、恵良惟澄の手勢で固められている。
筑紫坊が遠目に警護に当たりながら、襲撃を警戒している。
守山へのなだらかな坂に差し掛かると、筑紫坊を使った十郎の工作で手配された前触れにより、大勢の民人が待ち構えていた。
数百名に登る町人や百姓衆だった。
みなは違う方向を見ていたが、やがて誰かが気が付いて叫んだ。
「親王様はこちらから来られたばい!」
側面から行列が表れて驚いて戸惑ったが、やがて歓声を上げた。
「親王様」「征西将軍様!」と口々に叫び始めた。
わっと駆け寄り行列を取り囲んだ。
懐良親王は戸惑った。
初めての経験で、皆が自分を歓迎しているのだとは初め、理解できなかった。
「筑紫坊、しかと根回しを成功させて、民人を集めてくれより申したな」
「親王を奪われ、評定衆の案内で新城入りされては、お前の影が薄くなる、それ以前に直接民人に親王と自分の姿を売り付ける、十郎、よう気が回ったな」
惟澄が苦笑するのへ、にやりと笑って見せた十郎。
「今下手を打てば庶流末流のわしの存在など吹き飛ばされてしまおう、…ここを乗り切らねば始まらぬのよ、始まりもせぬのに引きずりおろされとうはないでの」
惟澄は義理の息子とも思ってきた十郎が、自分の想像以上の器であることに改めて思い至り始めている。この男は行くかもしれない。自分の思惑をはるかに超えて。
親王と結びついたことで、この男の人生は全く新たな局面に入るのだ、と。
だが、同時に、それが危ない橋であることも惟澄は感じた。
高く飛ぼうとする者には落ちるべき高さが生じる。わずかな高みなら落ちてもケガで済むが、この男の場合、落ちれば叩き潰され、四肢四散の危険がある、そんな高みへ飛ぶのかもしれない、そんな気がした。
民人の興奮はどんどん高まっていった。
「征西将軍様!」
「牧の宮さま!ようこそ菊池へ!」
「いらせられませ!」
自分たちの居場所を九州の片田舎、と思っていた菊池の民人は、そこへ宮家の皇子をお迎えできて、自分たちの思った以上に感動を覚えていた。
能隆(よしたか)の時代に承久の変で後鳥羽上皇に味方して以来、菊池の人々は宮方びいきだった。そんな群衆の狂喜の様に、五条頼元や中院義定は不覚にも感動した。
四国でも、薩摩谷山でも民人に直接これだけの歓迎を受けたことはない。
だが、親王自身は笑顔を民に向けることができない。
この歓迎をどう受け止めればいいのか。
それに手を振ってこたえたのは十郎だった。
「菊池の衆、お出迎えかたじけなか、ご苦労!」
菊池の人々はそれが菊池奪回のヒーローであることに気付いた。
「あれは豊田の十郎じゃ!」
「合志勢を追いはろうた功績者の十郎」
「十郎様が親王様をお連れした!十郎様!」
ひょうきんな笑顔を見せて大きく手を振った十郎。
娘や後家さんがたくましい十郎に手を振って黄色い声を上げる。
わっと民が笑い、明るい空気が満ち満ちた。
かくて親王お迎えの手柄は十郎の手に帰し、菊池の民人に十郎の存在感をいやがうえにも見せつけたのだった。端正ではあるが、笑うと目じりが下がり、人の好さを丸出しにした。誰も反感を持たない。十郎の笑顔は人たらしだった。
ところがすぐに女たちは懐良親王の品のいい貴公子ぶりに気が付いた。
ここらでは全く見かけることのない美しく品のある容姿やたたずまいに衝撃を受けた。
ポーとのぼせて見つめる女たちが十郎の存在を忘れ、十郎は、む!となる。
女たちの視線を追えばその先には愛想など毛ほども持ち合わせない懐良の姿がある。
愛想もないのに女たちは一瞬にして懐良のとりことなっている。
十郎は、あああ!?と目を丸くして女たちと親王を交互に見やった。
群衆の中からそんな十郎を見上げているのは鋭い眼差しをした武士、城隆顕(じょうたかあき)(二十八)だった。

隈府守山の麓、仮御殿大広間で菊池一族や麾下(きか)の武将たちが平伏している。
まだまだ表周りや外交は工事途中だが、広間は突貫工事で使用に耐えられるように仕上げられていた。正装の侍どもが多数控えているその未だ白木も生々しい広間に、おもむろに懐良親王が式服で登場し、畳の段の敷かれた上座に座られた。
大袖姿に牙笏(げしゃく)を持たれ、飾り太刀も美々しい装いだ。
上座に御簾が張られて尊顔を隠したまわれた親王に対し、菊池一族の本家、庶子家、重臣の一族らがあらためて平伏する。
本来なら格式に縛られて誰一人としてお目見えなどかなわぬはずの身分だったが、征西将軍に対し、臣下の制約をする場として特別に許された。
今はその場に、他郷への進軍を引き上げてきた城隆顕(じょうたかあき)の姿もある。
さっきは菊池へ戻ったばかりのその足で、親王の菊池入りの場に出かけた城隆顕だった。
そこで親王ご一行とそれを案内する豊田の十郎を観察した。
恵良惟澄の軍勢と共に親王一行と共に群衆に対して手を振っていた十郎の笑顔。
城隆顕は菊池に新しい風が吹いてきたことを感じ取っている。
それが逆風か追い風か、城隆顕は慎重に見定めようとしていた。
続いて現れた頼元や中院義定たち侍従が上座近くへ武将たちに向かって着座し、最後に入って来た直垂姿の十郎は頼元たちと同じ向き、武将たちに向かって着座した。
自然武将たちは十郎にもかしこまることとなり、十郎は尊大に皆を見まわした。
赤星武貫の鋭い目がそんな十郎の挙動を忌々しく睨み据える。
「菊池のご一統衆、征西将軍、牧の宮懐良親王さまである」
十郎の言葉にあらためて一同が平伏した。
「…牧の宮懐良じゃ、…よろしう頼む」
強張った顔の親王の言葉足らずに頼元がはらはらするが、十郎が構わず言う。
「これより宮様を菊池にお迎えし、我が菊池一族は親王様へのご忠誠をお誓い申し上げねばならぬ、じゃがその前に、親王様より帝代人(みかどだいにん)としての勅旨を賜る」
十郎に促され、頼元が書付を持って十郎に向き合い、勅旨である!と宣言した。
「征西府の決定を伝える、本日をもって菊池の十郎武光を肥後国司に任命する、また従四位の下(じゅうよんみのげ)に叙爵(じょしゅく)する」
五条頼元らと十分な打ち合わせの上での大芝居だった。
宮家によって肥後国司に任命された以上、十郎は菊池家当主以外の何者でもない。
一座のものは皆がはっとなったが、この期に及んではなすすべがない。
「かたじけなき拝命、不詳豊田の十郎、いや、今日より名を菊池武光と改め、親王様をどこどこまでもお守りいたし申す」
慈春の尼や武隆、評定衆の古老たちが呆然となり、体を震わせる。
裏打ちの直垂に大口袴をはいた礼装で、こういう際の十郎は見栄えが良く、押出が利いた。
平伏して後、居並ぶ菊池衆の方へ体を向けた十郎武光。
「肥後国司、菊池十郎武光である、今日より菊池に征西府(せいせいふ)を置くことを宣する!親王様の名において九州を統一、その先に東征を果たし、南北の皇統を統一する親王様のそのご使命をお支えする、それが菊池のゆく道じゃ」
矢敷宗十の言う一呼吸の機先とはまさにこれだろう。
「異存のあるものはおるか!親父殿(武時公)が生きておられればそれを目指されたぞ!北朝になぞ、夢、ぶれることは許さぬ、そういうものがあれば今名乗り出よ、討ち取る!」
城隆顕、赤堀武貫、武隆、武士や武重の息子たち、菊池の衆、恐れ多くも皇統統一までを口にする決然たる態度に唖然となる。五条頼元さえ唖然だった。
十郎を菊池守護に任命し、菊池一族を十郎の元に統一、とまでは打ち合わせできていたが、今、自分が皆を説得しなければならない未来への見通しがズバリ語られていた。
菊池の方針を一気に決してしまっていた。
この仁は…と、頼元はたじたじとなった。
並の人間にはこの段階で九州統一、皇統統一など、口にするさえ負担だろう。
それをここまで平然と言い切る神経は常人のものではない。
大ぼら吹きの与太者か、無責任な異常者か!?
懐良もまた、まじまじと十郎を見やった。
十郎、いや武光はさらにダメ押しをした。
「武隆殿、寄合内談衆の方々よ、菊池統率の為にお力を尽くされよ、征西府への帰順、異存はなかろうな」
武隆、唖然となっていたが、渋々ではあれ、平伏するしかない。
すると、さっと親王に向けて体を入れ替え、武光は両手をついた。
「牧の宮さま、不肖菊池武光、向後命を懸けて宮様にお仕えいたす、控えおる菊池の武将どもも、民人共も、すべて身共と同じ覚悟と決意でござる、神仏に二心(ふたごころ)なきをお誓いいたす、拙者らの命は向後親王様のものであると思召(おぼしめ)されよ」
まっすぐに見てくる武光の目を、懐良はじっと見返した。
武士共の中にこれほどまっすぐ忠誠を誓ってきたものはかつてないと思った。
かつてないという事は比較ができないという事だ。
懐良には武光は謎だった。
信用が置けるのか、とんでもない不忠な化け物なのか。
武尚、武義、城隆顕、赤星武貫達重臣も最早声が出せない。
一座のものにも同じだったろう。武光とは何者なのか。
歯噛みする比丘尼慈春(びくにじしゅん)にも理解の外だった。
今、慈春尼にはすべての権利を奪い去ろうとする武光は悪魔に等しく見えている。

天皇制は大化の改新以来この国の礎となっており、国の根幹をなしている。
だが、皇室は神的血筋の高貴さを表象してきただけで権力そのものであったわけではない。権力は常に藤原家や源氏、平家、北条、そして今は足利という時の政権によって握られてきている。後醍醐帝のしたことはそこに革命を起こして天皇の元に権力を集中させようというもので、こんな異端的な改革はこの南北朝時代と、明治維新の革命の時だけだった。
明治維新の時も徳川政権を打倒するためにお題目として勤皇が使われただけで、やはり天皇に実権はなかった。南北朝の争いとは皇室に権力をよこせという派と、武家が国を仕切るのだという派の争いだといえるだろう。そして皇室に権力をという派(南朝)も実質は武家に支えられなければ成り立っていない。南北朝の争いはそんないびつな構造となっているが、南朝を担いだ菊池一族他の武士たちにその理屈のおかしさが理解できていたわけではない。九州武士団は(日本全国そうだったのだろうが)要は己の所領安堵と領地拡大、恩賞獲得、それだけしか考えてはいなかった。たまたま己の欲望を満たすのに、北か南か都合のいいお題目がそこにあったから引っ担いだにすぎない。
その点は武光も、菊池一族も同じことだった。
ただ、彼らは建前を割り切って利用し、使い捨てる、というようなすれっからしな人々ではなかった。彼らは目の前の人間や事実に対し、純情で誠実だった。
この物語はそう言う素朴な純情さの上で繰り広げられている。


4、守山城御殿・松林能小


夕刻となって、御殿中庭に沢山のかがり火がたかれた。
本城仮御殿中庭で親王歓迎の宴となり、お能が演舞される。
親王歓迎の意味を込めたと共に、武運を祈る神事だ。
この日の為、武光が惟澄の手を借り、筑紫坊を博多に放って準備した。
能は平安、鎌倉の頃行われた仏教行事としての法会から始まったとされる。
密教的悪魔払いの儀礼でこれを呪師猿楽(じゅしさるがく)と呼ぶ。この猿楽から能が生まれたらしい。仮面劇や亡霊劇の形をとるが、庶民の間での芸能ごととしても流行した。
すべて仮面が使われていたわけではないらしく、菊池に伝わる松囃子御能は仮面を使わない。おそらく仮面を用いないタイプの能が神事として執り行われ、懐良親王の為に演じられたのが始まりだったのだろう。その最初の能が演じられた。
この時の能の出し物の詳しい中身は分っていない、後の時代には勢利婦(せりふ)、老松、能の順番で演じられるようになった。想像を逞しくすれば、狂言も上演されたかもしれない。能の演舞が終わり、広間に移った一同に酒肴が用意される。
初めは緊張していた宮家の人々と肥後の人々の間に垣根があったが、酔いが回るにつれて、親しい言葉が交わされた。
頼元以下侍従たちも昨日今日都を出てきた人たちではない。
既に十年を四国や薩摩の片田舎で苦労してきている。
頼元の息子の良氏が四国で覚えたざれ歌を歌い、菊池の衆からも地唄が披露された。
十郎改め武光は親王の横顔を盗み見る。
端座して静かに食べ物を口に運ぶ懐良は美しかった。
女房たちも親王の美しさにときめいて常ならぬさんざめきようであり、武貫たち肥後の将達も見ほれてしまい、大声で喚き合うことを控えている。
親王には人をそうさせる気品と美しさとはかなさがあった。
武光は見惚れていた。
素朴な感情で美しいと思った。同じ性の者に対してそんな感覚を持ったのは初めてだった。懐良の性を超えた美しさに胸を打たれていた。
だが、それは感傷だと、武光は自分を叱り付けた。自分が見極めなければならないのは、この都から来た貴種に自分が運命を共に生きるに値する器量はあるのか、ということだ。
さっきは大見得を切ったが、武光の神経は研ぎ澄まされて周囲のすべてに向けられていた。菊池を担いで繁栄の道に導いていかねばならぬ、と武時の遺志を継ぐ気でいる。
だが、それにはおよそあらゆる困難を潜り抜けなければならぬとの緊張がある。
それには人だ。それぞれのものの思惑を把握し、食うか食われるか、あらゆる場面で機先を制していかねばならぬ。この親王はもとより、誰にも甘い目を向けてはならない。
やがて親王様おもてなしの女衆の舞が披露された。
早乙女の姿に着飾った女衆が大勢進み出て、笛や太鼓の男衆も座の端に勢ぞろいする。
この時、武光は舞いのもてなしの女衆の中に駆り出された美夜受の姿を見た。
武光は、え?となった。
美夜受は武光と目があい、フフッと笑って、曲が始まり踊り始めた。
豊田から駆け付け、担当奉行に願い出て採用されたものだと察した。
母親譲りの白拍子の血で、舞いが好きで、舞えるチャンスは逃さない美夜受だった。
しかも、それで十郎の手助けになるなら、美夜受には至福のイベントだろう。
そんな美夜受の心持が分かって、武光は苦笑しながら杯を口に運ぶ。
十九歳の美夜受は美しかった。その舞姿の美しさは群を抜いている。
踊りは田植えの田舎舞いで優美には程遠い出し物だったが、美夜受の舞だけは優雅だ。
と、武光は気が付いた。
盃の手が止まり、親王は美夜受の美しさに目を奪われていた。
懐良には忽那島、薩摩谷山とさすらってきた中で、これだけの女らしい女の姿は初めてだった。田舎娘の中では確かに群を抜いており、舞姿の美しさに見惚れてしまう。
武光はそんな親王と美夜受を交互に見やった。
親王の目がずっと美夜受を追って輝きを失わない。
明らかに懐良の胸には甘美な恋心が芽生えているようだ。
武光が戸惑ったように二人を見比べた。
美しい美夜受、そして美しい懐良親王。
武光は混乱に陥っていた。それは嫉妬だったかもしれない。
何も気付かず美夜受は踊り続けている。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇菊池武澄
武光の兄。初めは武光の一五代に疑念を示すが、やがて腹心の武将として一身を捧げる。

〇菊池武隆
武光の兄。慈春尼の息子で、第一五代を狙う。

〇菊池武尚(きくちたけひさ)
武光の兄弟。高瀬家を起こし、武光を助ける。

〇菊池武義
武光の兄弟。

〇城隆顕(じょうたけあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇慈春尼(じしゅんに)
武重の妻、息子の武隆を一五代棟梁に望み、様々に画策する。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。






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