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小説 「武光と懐良(たけみつとかねなが) 敗れざる者 ⑤


第一章  豊田の十郎


三、

「今度はおまんが大将か、ようし、私を打ち倒して見やれ」
緑川のほとりの野で子供たちとうら若い娘、美夜受(みよず・一六歳)が遊んでいる。
摺姿(しびら)をラフに着こなして、武家の娘か百姓かは定かでない。
美夜受は竹馬が大得意で、子供たちに交じってむきになって戦う。
体当たりを食らわせて相手を倒しては逃げ、安全なところまで逃げるとそこでくるりと向き直り、男の子たちの方に突っ込んでいく。
体当たり合戦だ。美夜受は次々にふんどし姿の男の子たちをつっ転ばしていく。
きゃあきゃあと女子たちは大喜びだが、男の子たちは悔しがる。
「虎姫の美夜受、おなごのくせに、十郎の真似か」
「十郎には私が戦い方を教えたんじゃ」
「嫁の貰い手がなかぞ」
「ちっとはおなごらしうせえ!虎姫め」
「ふふん、嫁ぐ先は決まっとるわ、要らん世話、ほれほれ!」
と、けたぐりをかけて、また男の子たちを転ばせた。
けらけらと笑うその姿はまだ子供のように見える美夜受だが、駆け寄ってきた騎馬の十郎を見上げた途端、その目に妖しいまでの欲望が浮かび上がる。
「美夜受」
「十郎、帰ったか」
十郎ももはや股間をたぎり立たせていて、いきなり美夜受の腕を掴むなり颯天に引き上げて背後に座らせ、子供たちから美夜受をさらうようにして連れ去る。
「美夜受はもろうて行くばい」
去り際に袋に入れたおのれの弁当を子供たちに投げた。
干飯(ほしい)と干魚のほぐし身がいくつか入っていて、毎度のことにわっと子供たちが群れかかった。干飯を奪い合いながら、年長の悪ガキが十郎の背に叫ぶ。
「やるんか、あれを!」
「まぐわい十郎!」
干飯を口いっぱいにほうばりながら、囃し立てる子供たち。
「こら!菊池の若さまになんごつ口きくか!」
「しょうちせんど!」
伊右衛門と矢兵衛が叱り付けるが、本人たちも笑っている。
と、馬上でくるりと見返った十郎、思い切りあっかんべをして見せた。
「ばかたれーっ」
叫びながら、子供たちの顔には笑顔が浮かんでいた。
十郎が颯天を促し、颯天は二人を乗せて疾走した。
これが解散の合図と知っており、やれやれとわが家へ向かう侍たち。
「やっと家じゃ」
「汗を流してゆっくり寝ようわい」
伊右衛門や弥兵衛が郎党を引き連れ、それぞれ家へ向かう。
「よかのう、若は相手がおって…」
太郎は羨ましそうに駆け去る十郎を見送る。
「美夜受」
そう呟いた太郎の顔は泣きべそをかいている。

村の共同納屋の前の杭につながれて、草を食んでいる颯天の姿がある。
十郎が荒れた納屋で藁(わら)にまみれながら若いたぎりを美夜受にぶつける。
「十郎…」
睦(むつ)みごとの経験は美夜受の方が上手で力任せになりがちな十郎をうまくリードして登りつめさせていく。後の時代のように女が貞節に縛られるようなことはなく、誰でも思うさま好きな異性と結びついたり離れたりできる自由闊達な世の中だった。
美夜受は近在ではその気の強さから、虎姫のあだ名で呼ばれた。
美夜受は美しく勝ち気で、選ばれるのではなく男を選んで、その対象が今は十郎なのだった。いくさから戻った十郎はいつも狂ったように美夜受を求めた。
美夜受もまた激しく応えた。
白くきめの細やかな肌が上気しながらわずかに汗ばんでのたうつ。
浅黒い十郎の肌と白い美夜受の肌が際限なく絡まり合って、美夜受が声を漏らす。
人は死に直面すると、種の生存本能が働くのだろう、異様に性にのめりこむ。
戦場で兵士が里の女を犯し回るのには生物学的な理由があるのだ。
「なんでこがいに果てしがないのじゃろ、お前とは」
のぼせた境地からゆっくり静まっていく虎姫が、荒い息をついて仰向いた十郎をまだまさぐりながら、胸をなめて余韻を味わう。
現代では十六と言えばまだ子供とみられるが、一〇歳は加算しなければ当時の水準が理解できないだろう。美夜受は今でいえば二十六の女盛りなのだ。
十郎はひょうきんもので、土地の娘たちにはモテた。
精力は有り余っているから適当につまみ食いしていたが、美夜受は独占欲が強く、悋気(りんき)を起こすので、近頃は他の女とは遊ばない。
それだけ美夜受にのめりこんでいた。
やがてふと、顔を上げ、また一騎掛けで突っ込んだという噂を聞いたぞ、無茶ばかりする、と、美夜受が笑った。戦場の様子はもう地元へ聞こえている。
「無茶ではなか、颯天となら、誰に打ち取られる気づかいはなか」
「お前は菊池の子、いずれ将になる身じゃ、采配を学べ」
「ああ、…おじき殿のような采配はまだ振れん、じゃが、いずれ」
と、十郎は戦場での恵良惟澄をイメージしている。
十郎は領地が近接していて幼い頃から可愛がってくれた恵良惟澄と気が合った。
恵良惟澄(えらこれすみ)は甲佐社領、守富庄の領主で十郎の豊田の庄とは隣合わせだ。
早くに亡くなった十郎の母は阿蘇の類縁者だという説もあり、親戚だったかもしれない。
なぜそんな飛び地を地下の侍に管理させず、一門の端くれとはいえ十郎に管理させるのかと言えば、一番大きな理由は阿蘇大宮司家とつかず離れずにしておきたい菊池主家の思惑だった。阿蘇家の領地の中に一応菊池庶子家の十郎を置いておくのは人質の意味にもなったからだ。恵良惟澄がその気になればいつでも十郎を殺せる。
無論戦いはしないという何の保証にもならなかったが、危ういバランスを取ろうとする当時の豪族たちの精一杯の工夫だったろう。
飛び地である豊田からは菊池の内部事情は測りがたい。
連絡もなければ一族の動向についての相談もない。
だから十郎の胸の内には菊池一族に対する反発心がある。
むしろ阿蘇家のはぐれもの恵良惟澄を叔父と慕っていた。
阿蘇家は阿蘇神社の大宮司職であり、神職でありながら豪族として武辺に生きる一族だ。
近年は分裂気味で、現在の棟梁(とうりょう)惟時(これとき)と庶子(しょし)家であり惟時の娘婿である惟澄とは互いに反発しあって一族内に不穏な空気を醸し出している。
多々良ヶ浜の戦いで菊池一族と共に足利尊氏と戦い、二人の従弟を失って以来、惟澄は尊氏嫌いだった。阿蘇大宮司家の分裂工作を仕掛けるなど、尊氏の細密な性格を嫌悪した。
なのに、惟時は巧妙な尊氏の誘いに乗り、足利尊氏側にぶれている。
惟時は浅い、と、気に食わない惟澄だった。
一方、十郎は父武時が後醍醐帝に忠誠を尽くして死んだと思っている。
半分はおっちょこちょいな軽挙妄動だったが、十郎には英雄と見えている。
その後醍醐帝と敵対する足利尊氏は問答無用で宿敵と認識している。
反尊氏で惟澄と十郎は結ばれている。
「…とはいえ、…実のところ、お前、宮方対武家方の区別なんぞ、どうでも良いのじゃろうが、いくさが好き、それだけのくせに」
言われて笑って再び美夜受を組み敷いた十郎は、そうよな、と呟く。
確かに今の十郎にはなんのために戦うか、何のために生きるかがまだ明確ではなかった。
ただ、一つのイメージがしばしば甦る。
炎を背に悪魔のように笑う少弐貞経(しょうにさだつね)。
十郎はあの夜の貞経への憎悪を未だに内部に飼っていた。
「ところでおまんは寝言を言う」
「ほう」
「父上、と呼ぶのを何度も聞いた」
「そうか」
「博多の夜か?」
武時は夢の中からいつも十郎に声をかけていた。
「十郎、菊池を頼むぞ」
夢の中の武時の言葉は聞こえずとも、美夜受は、父の無念に無力だった自身への秘めた怨念が十郎を意固地にさせている、と見抜いている。
「お前の親父様、武時公の仇はもう、兄者の武敏さまが討たれたのであろう、…少弐貞経(しょうにさだつね)は死んだ、…そげな暗い目をするな」
「暗い目をするか?…わしが」
武時を殺した裏切りの主役少弐貞経妙恵は既に多々良ヶ浜の戦いにおいて十郎の兄にあたる菊池武敏が打ち取っていた。だが、十郎には何の意味もなかった。
自分の手で恨みを晴らす、怯えて逃げた自分の誇りを自分自身に回復する。
それが成し遂げられなければ、十郎の悪夢は終わることはない。
少弐貞経は常に悪魔の笑いを夢の中から放って来るのだ。
しかし、今のままでは十郎が菊池で活躍する余地はない。因縁の対決は望むべくもなく、それを果たす機会はない。
乙阿迦丸(おとあかまる)という幼名で十四代武士(たけひと)の次に後継順に来るとされている文献もあるが、それは別人だろう。本稿ではその説を採らなかった。
十郎は菊池の未来に資する数には入れられていなかった。
そこへつぶてが投げ込まれた。
「あら?」
と、美夜受が拾った石に墨で「築」と書かれてある。
そこで美夜受は覗かれていたかもと気が付き、「均吾の馬鹿たれ!」と赤い顔で叫び、脱いだ着物をかき集めて前を隠すが、十郎は笑った。
「颯天を連れて先に帰れ」
十郎が納屋を滑り出していく。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇伊右衛門
武光の家来

〇弥兵衛
武光の家来

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。




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