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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者・11


第2章  菊池奪回戦


三、

炎天下に百日紅(さるすべり)が満開の、ここは御船の恵良惟澄(えらこれすみ)の領地の一角。今年十九になった美夜受(みよず)と母おえいの住む家は元地下侍の屋敷だった。
つましい暮らしだが、惟澄の手当てと自分たちの畑仕事で生計が成り立っている。
おえいは村から村への子連れの渡り白拍子(しらびょうし)で、祭礼や見世物興行に踊りを舞い、時には占いで卦を見たり、春を売ったりして生きてきた。それが惟澄の目に留まり、囲われて戦死して主のいなくなった屋敷を与えられた。惟澄からの手当てと自給自足の畑で生計を立てている。
縁先のかなたには御船川沿いの独立した小山が見えている。
山頂には柵が巡らされて砦となり、麓には惟澄の住む館があって、御船(みふね)城とされていた。美夜受とその母おえいの家におしかけている十郎はもう二十歳になっている。
「かかさま、つまみが切れた、漬物はないか、キュウリでもよかぞ」
通い婚の亭主面でいう十郎だが、まだ二人は婚姻はしていない。
来れば毎度、美夜受の母の作る飯を掻き込み、酒を食らって美夜受の膝を引き寄せ、ごろりと横になる。長身にがっしりと肉が付き、細身ではあるがすっかり大人の顔つきになっている。おえいは苦笑いしながら十郎の言うとおりにしてやる。
いくさがないときはおなごの尻を追い掛け回す他にすることがないが、美夜受の悋気(りんき)の前には手も足も出ず、ぐうたらな亭主のように暮らすしかなかった。
その庭先へ、ひょっこりと惟澄が姿を現した。
「まるでこの家の婿じゃな」
「お、惟澄さま、よかとこへきなった、一献いこう」
と、徳利を差し出し、美夜受が盃を持ってくる。
そのまま縁先でおえいの運んできたキュウリをつまみに呑み始める二人。
「おまんはお気楽者じゃのう、入り浸っておるではなかか」
惟澄がいくさをしていない時は美夜受の膝で甘えているだけの十郎を笑う。
「わしの娘の味はどうじゃ」
「好かんコツを言わっしゃるな」
美夜受が惟澄を睨み付ける。
美夜受の母おえいは惟澄の女だが、美夜受は惟澄の義理の娘、ではない。
おえいはただの妾なので、おえいも美夜受も正式な身分はない。
惟澄は十郎の後見役を自任し、いわば惟澄は十郎の烏帽子(えぼし)親という関係にあった。その十郎が惟澄の妾の家に出入りし、やがては美夜受と深い仲になっていた。人を人とも思わぬ真似だが、悪びれない十郎のケロリとした態度に惟澄は一切苦情を言わなかった。  かえって、面白がって、よく可愛がってもらえ、と美夜受を冷やかした。
「大きなお世話」
美夜受は惟澄を切り捨てたが、惟澄は笑った。
惟澄は十郎を鍛え、兵の動かし方を教え、初陣を飾らせてやり、共に暴れまわっている。
そんな惟澄に十郎がひどくなつくのも、菊池から疎外された孤独感からだった。
「叔父貴よ、…そろそろ阿蘇家を乗っ取れんのかい?」
と、何気ない世間話の口調で問う十郎。
ふふんと、惟澄が笑って杯を口に運んだ。
「…阿蘇大宮司家(あそだいぐうじけ)は棟梁惟時(これとき)様の独裁性が強いでのう、…それを庶子家も疑わず同調しておる、…その形勢は今のままではどうにもなるまい、…じゃが、菊池は違う」
惟澄が意味深な目で十郎を見やり、十郎が見返した。
「…庶子家が分裂しかかって、中には武家方に寝返るべしとの意見もあると聞く、武士(たけひと)はあれこれ突き上げられてもう持つまい、…そろそろ出番ではないのか?」
にたりと笑って十郎は惟澄の佩刀に手を伸ばす。
「そうよのう、…菊池を取りに行くか、…それにはふさわしい佩刀が要るばいた…」
十郎の手が触れるか触れぬかの時、惟澄がすらりと太刀を引き抜いた。
陽光にギラリとすさまじい光を放ったのは蛍丸だった。
十郎の目がじっと刃を見つめる。
「…ほしいか?やらんよ」
と笑う惟澄。
それは菊池延寿鍛冶(きくちえんじゅかじ)の源流、来国俊(らいくにとし)の打った大太刀で、惟澄がかねて後醍醐帝の為、多々良浜の戦いで足利尊氏と戦った折、傷ついたのを鴨居にかけて寝たら、蛍が群れ飛んで刀の傷が消えたという。それ以来菊池界隈では惟澄の「蛍丸」として聞こえた名刀となったのだが、実際見事なそりと波紋を持った豪壮、優美な長刀だった。
十郎が笑ってため息をつく。
「いつかおいもこれほどの業物を持ちたいわい」
「やらんでもないが、…おまんがこれを持つにふさわしい男でなけりゃ」
と、にやつきながら十郎を見やる惟澄。
「…それをどう、わしに明かしてみせる?」
この時、惟澄の視界の端、庭の生け垣の向こうで百日紅の木がちらりと揺れた。
「なにやつかい!?」
惟澄が誰何(すいか)した。
十郎が笑って制した。
「均吾じゃよ、叔父貴」
庭へ入ってきたのは均吾が成人した修験者、密偵の行者筑紫坊だ。
「おお、おまんは」
惟澄には十郎の従者としての均吾が記憶にあった。
「この頃見んと思うたら、おまん、修験者になったつか」
「わしの密偵じゃ」
十郎に言われて、惟澄は、あ?と見返った。
「筑紫坊、どうじゃ、菊池の状況は?」
筑紫坊が惟澄の前でいいのか?と目で問う。
「よか」
「菊池はえらかこつになっており申す、合志勢に合力して、宅間勢や川尻勢が各城を落とし、菊池本城菊の城も」
「抑えられたのか、棟梁の武士(たけひと)は?」
「おそらく鷹取城ではございませんろうか」
惟澄が驚いて十郎を見返る。
「そりゃえらかこつじゃ、どうする?このまま成り行きを見るのか、それとも」
おえいと美夜受も土間の台所の方から聞き耳を立てた。
じっと考えていたが、腰を上げる十郎。
その瞬間、十郎の内部でもやもやした霧が一気に晴れ、突然、ぽんとなすべきことが見えた。多分、少弐や大友の首を取ることにつながる道だ。
あの憎い少弐貞経、いや貞経は既に亡いが、少弐を打ち滅ぼす!そのためには!
繋がった。
おのれに自負のある人間は自分の力を示せる機会を待つものだ。
座禅をしてかえって強くなった煩悩の炎が燃え盛っていた。
「菊池を頼む」
武時の言葉や、武辺への自信、領地経営の知識を仕入れることなぞ、すべてがつながって一本の道筋となり、十郎を招くように思えた。
「時が来たかもしれんのう」
美夜受が張り詰めた顔で十郎を見つめる。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇おえい
美夜受の母。渡り白拍子だったが、恵良惟澄の囲い者となっている。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。



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