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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者33」


第七章   第三勢力の策動


一、

隈府御所通りの賑わい

 
一三五一年 正平六年の梅雨入り直前、本城御殿大広間では征西府の軍議が開かれている。蒸し暑さの募る奥の間で、二十四歳になった武光が座の中心にいる。
武澄、城隆顕、赤星武貫、親王、五条頼元他重臣たちの顔触れがそろっている。
「菊池に征西府ありと知って、南朝方の武士たちが次々に九州入りしておるが」
それぞれが独自の情報網から仕入れた状況が互いに確認された。
「こいはありがたか形勢ばい」
武澄が素直に喜んだ。
南朝勢力は少なくとも上昇曲線上にある。
だが、赤星武貫は懸念に目を向ける。
「問題は、足利直冬(あしかがただふゆ)の九州入りばいた」
「それよ」
寺小野八郎が不安を顔色に出す。
「身共の元にも報告が来ており申す、足利直冬の九州下向に阿蘇大宮司惟時や川尻幸俊が呼応しておるとか」
頼元が額にしわを寄せて腕組みをした。
「…阿蘇家はぶれますなあ」
武光は別な側面を重要視している。
「実際的に足利直冬を迎えたのは少弐頼尚(しょうによりひさ)じゃ、何を狙うつもりか」
武光はすでに少弐頼尚が九州中の武士に軍勢督促をかけたと筑紫坊から報告を受けていた。少弐の動きに武光は常に警戒心を抱いている。
そもそも足利直冬の九州下向とは何なのか。
事の起こりは足利政権の内紛だった。
尊氏を頂点として、その信頼厚い高師直(こうのもろなお)というものが政権の中枢を担ったが、一方に尊氏の弟直義(なおよし)というものがあり、これが高師直と権力争いを始めた。尊氏は直義よりも高師直を選び、はじかれた直義は尊氏と高師直に反旗を翻した。
ところで尊氏には身分の低い女に産ませた子供で直冬(ただふゆ)というものがいた。
尊氏の弟ながら直義は直冬を哀れんで庇護者となり、息子に迎えていた。
直冬も恩義に感じて義理の父直義によく従った。そんな関係から、尊氏、高師直の勢力に直義が対峙した時、直冬は自然に直義側について尊氏に逆らう形となった。
尊氏は直冬を憎んだらしい。
弟直義を討とうとし、同時に直義の義理の息子直冬(ただふゆ)に軍を向けた。
実父尊氏から討手をかけられて、直冬はどう思っただろうか。
その後、尊氏に追われた足利直冬は九州を取って父に対抗するため、九州に下向して来た。九州は大きく北朝南朝に旗色が分かれて勢力を競い合っている。
そこに第三勢力が割り込んできたわけだ。
直冬は尊氏に対抗する気だろうが、北朝南朝とも相いれない。
「…足利直冬、…九州を取る気じゃろうな」
予想外な事態だったが、ことが南朝方に有利に働くのか、不利に働くのか。
いずれにせよ、利を見て動向を決めようとじたばたする武家勢力は多かろう。
思わぬ裏切りや日和見が発生すると予測が立つ。
頼元や寺小野八郎、赤星武貫、西郷氏以下、重臣たちは危機感を認識した。
「せっかく南朝方に与する豪族が増えてきて、本州からも九州こそ南朝の旗を掲げるべき土地であると、多くの部族が集結しつつある今、掻き回されてはたまらぬが」
武澄が腕組みをして唸る。
だが、武光は面白くなってきた、と思った。
(…この事態は試金石になるばいた)
右往左往する奴らの性根が見えるだろう。
そんな一同の話を聞きながら、懐良は口を真一文字に結んでいる。
じっと思いつめた親王はまた別な感慨の中にいる。


農作革命により二毛作が可能となった時代


 
袈裟尾(けさお)の丘を緒方太郎太夫が登ってくる。
そこには美夜受(みよず)の家があり、静まり返っている。
あぜや畑に雑草が伸びて、手入れが追い付いていない状況が見て取れる。
村からは離れて孤立しているので、畑も田んぼも運営は個人でやることになろう。
人の助けは得られず、女二人にここの暮らしは楽ではあるまいと、太郎は考えをめぐらす。
太郎は背負ったり抱えたりしてきた荷物をそっとおろすと、家屋に忍び寄る。
板屋根に石を乗せ、壁板は隙間だらけで、これで雨風がまともにしのげるか。
跳ね上げ窓が開けられており、太郎はそっと覗きこもうと体を近づける。
美夜受の様子を一目自分の目で見たい太郎だった。
だが、見つかることを恐れて身を乗り出すことができず、太郎は引き返そうとする。
「誰じゃ!?」
鋭い声で誰何され、ぎくりと身をこわばらせた。
「この家で春を売るもんはおらんばいた、もう来るなと言うたろうが!」
薪を構えて美夜受が出てきた。
「太郎」
「あはは、ど、どうも」
美夜受は薪を背後に隠したが、太郎には美夜受たちが村の者にどう扱われているのかが推測できた。牧の宮の愛妾であったものが宿下がりになった以上、女に村の若い者の下卑た興味が集中するのは当然だろう。夜這いや下手をすれば強姦の的になろう。
そんな連中に悩まされて、美夜受は攻撃的になっているものと見た。
「あ、あの、それ」
太郎が荷物を指さし、差し入れで、と説明しようとしたが、
「十郎の心配りであろう」
と図星を刺され、頭を掻く。
「持って帰れ」
困る太郎太夫が何か言いかけるが、その時、子供(一歳児)がよちよち出てくる。
「おお、もうこげにおおきうなったつか」
太郎太夫が思わず手を出す。
だが美夜受は子供を捕まえて抱き、隠すようにする。
「帰れ、太郎、…十郎には何も報告するな、…この子は十郎には無縁の子じゃ」
何か言いたいが、太郎には気の利いた取り持ちなどできない。
帰るしかない太郎太夫は荷物を指さし、置いて逃げるように去ろうとする。
「持ち帰れというのに!」
太郎は脱兎のごとく逃げ去っていく。
一目散に駆け下りて、あっという間に見えなくなった。
「……」
美夜受は太郎を見送り、子供が胸をまさぐるので我に返る。
子供がひもじさに泣き出し、子供を抱いて家の中へ入る。
おえいは気力をなくし、囲炉裏にかかった白湯(さゆ)のような粥を掻き回している。
美夜受は泣きじゃくる子供をおえいに手渡し、おえいが椀に分けて冷ましておいた粥を取り、子供に与えようとする。
子供は薄い粥を嫌がってむずかり、母のおっぱいを欲しがってさらに泣き騒ぐ。
美夜受は栄養不足でもうおっぱいが出なくなっている。
美夜受は椀を置いた。
美夜受は表へ戻り、太郎の置いていった荷物を見やる。
しばらくそのままでいたが、現実に意地が負けた。
しゃがんで開けてみると白米や干し肉、野菜や魚の干物が詰めてあり、別な袋には衣類が詰めてあった。睨み付けていたが、やがて涙がこぼれだし、手が伸びた。
魚の干物を取って口に運び、かじった。
複雑な思いや意地を振り切り、荷物をもって中へ戻った。
美夜受は米を洗いもせずに鍋に放り込み、じっと見つめた。
米が湯の中を泳ぎ始めた。





《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 
〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇菊池武澄
武光の兄。思慮深く、武光をサポートするが、身体が弱いために菊池一族のリーダーに立てない。
 
〇菊池武隆
武光の兄。慈春尼の息子で、第一五代を狙う。
 
〇菊池武尚(きくちたけひさ)
武光の兄弟。高瀬家を起こし、武光を助ける。
 
〇菊池武義
武光の兄弟。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。
 
〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。
 


〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。
 
〇おえい
美夜受の母。渡り白拍子だったが、恵良惟澄の囲い者となっている。
 


 


 

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