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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」31


第六章        遭難


四、

 
猿谷坊(さるたにぼう)と筑紫坊(つくしぼう)が山間を駆ける。
蓑笠(みのかさ)をつけ、杣人(そまびと)の風体に身をやつし、矢筈岳(やはずだけ)の登り口を目指している。
親王の先回りをして確実に捕まえようというつもりだ。
雨が木々の葉を叩き始めている。
と、前方に小屋が見えてきた。
嘉平(かへい)の家だった。
「見つけても、嵐の具合ではあの小屋で休んでもらわねばならんな」
「確かめます」
猿谷坊が先に行き、戸を開けた。
瞬間、跳ねのいて山刀を抜き、中に身構えた。
それを見て筑紫坊は異変を悟り、山刀を抜いて駆け寄った。
戸の両脇に身を置いて周辺からの襲撃に備え、それから中を覗いた。
囲炉裏の火はとうに消えており、そばに黒い影二つ、転がっている。
裸にむかれた母親と娘の遺骸だ。
筑紫坊と猿谷坊は中に飛び込み、体を土間で回転させて不意打ちに備えながら身構えた。
だが、人の気配はなく、二人を殺害したものはずっと以前にここを立ち去っていると見た。
遺骸の傍に行き、二人が血に染まっているのを見て取る筑紫坊。
「何があった?」
筑紫坊と猿谷坊が焦った顔を見合わせた。
女房の胸には小刀が刺さったまま残されている。
 
雨風はさらに激しい。
山深く分け入る親王たち一行は、虎口(こく)の砦につく。
簡単な廓(くるわ)が削平されており、草が伸び放題で荒れ果てている。
矢筈岳中腹にある豊後方面に備えた砦だが、普段は無人でいざいくさとなった時だけ城番の武将が入り、杭を立て、草を刈りはらい、見張り城の役回りを果たす。
今は傷み切った掘立小屋で雨風がしのげる程度の用にしか立たない。
その虎口の砦に雨風が吹き付ける。
「中院義定、お前たちはここで待て」
「なりませぬ」
「義定、これは帝代人としての勅旨(ちょくし)である」
睨み付けられて、中院義定は言葉を返せない。
「わしは矢筈岳の山の神に問いたいことがある、余人の存在は邪魔だ」
「何を問うのです?」
「わしと山の神だけの話じゃ」
「親王さま!」
「来るな!」
ひたと見据えられて、中院義定には抵抗できない。
懐良が嘉平を促した。
嘉平に導かれ、懐良は杣道へ向かった。
嵐に騒ぐ森の木立の中へ、嘉平と二人で分け入る親王の姿が遠ざかる。
ザーッと雨が一帯を叩きつけ始め、親衛隊はずぶ濡れでなすすべなく立ち尽くした。
中院義定はしばらくそのままで時間を稼ぎ、やがて親衛隊士に言う。
「貴殿らは砦にて雨宿りしておられよ、ここから先はわしが一人で行く」
「しかし、中院様」
「よい」
中院義定はただ一人で尾行していく。
吹きぶりが激しく、嵐が一段と激しさを増している。
 
武光たちは虎口の砦への道をたどる。
笠を抑え、体をかしげて風に負けまいとして歩いた。
武光の胸は早鐘のように鳴っている。
そこへ筑紫坊と猿谷坊が駆けつけてきた。
「武光様!」
「見つけたか?」
「それが、ただならぬ事態で」
「なんだ?」
頼元に聞かれることを恐れ、筑紫坊が武光の袖を引いて離れさせた。
「嘉平の女房子供がむごいことに」
「嘉平?」
猿谷坊が答える。
「御所へ山の獲物の肉や山菜を届けておりました猟師で炭焼きの男です、案内役の」
「…嘉平は脅され操られておるのやもしれまっせんばいた」
嘉平の女房子供に刺さっていた小刀を抜いてきている筑紫坊。
「見覚えがあり申す、滝で長谷部山城守を討った際、おいは矢敷宗十とも渡り合い申した」
「矢敷宗十じゃと」
「奴の太刀の柄にあった源氏車の家紋がここに」
小刀の柄に源氏車の家紋がある。
武光は愕然となった。この山に刺客がいる!
武光の脳裏に、あのはかない頼りなげな若者が惨殺されるイメージが襲ってきた。
胸がさらに騒いだ。利害得失もあったが、武光は純粋に懐良を想って焦った。
「まずかぞ…」
頼元が小耳にはさんで駆け寄ってきた。
「矢敷宗十とな⁉宮様を狙ったという⁉つ、つまり、そやつが!」
親王が危険だと、頼元、大いにうろたえる。
「こ、こんな山の中で、刺客に狙われては、宮様は!」
「分かれて探そう」
という武光に太郎は分かれては不利というが、他に手はない。
「太郎は頼元殿と行け、どんな場合も離れずお守りせよ!」
叫びながらすでに駆けだしていた。
 
雨が叩きつけ、風が吹きおろしてくる。
雷鳴が鳴り、豪雨となった。
親王と嘉平は沢沿いに登っていく。
男滝、女滝、子滝、乙女滝と無数の小滝が続く。
水の流れが次第に激しくなり、崖の斜面からも水があふれだす。
蓑と笠を抑えながら進む二人の足元を流れ下っていく。
しきりに雷鳴が轟く。
「宮様、こげな無茶しなって、いったい山の神に何をお聞きになりたいので?」
嘉平にしてみれば、女房子供の安否が心配なうえに、宗十に狙われて気が気でなく、いらだちのままに発せられた質問だったが、懐良は内面に渦巻く思いを吐き出した。
「わたしが何者かという事だ」
「え?」
岩場を超えて、木の洞に山の神が祭られてあるのを懐良は見る。
雨に叩かれながら、山の神がじっと懐良を見つめてくる。
懐良も見返した。
「わたしの中には虚無が住んでいる、…空っぽだ、…牧の宮懐良、そう呼ばれるが、…実はただの木偶人形なのさ、…私は誰だ?…何者なのだ?」
だが、嘉平は懐良の心情吐露を聞いていない。
宗十に護衛をまき、親王だけを蟹足岳へ導けと命じられている。
それをしなければ、女房子供を殺すと脅されている。
今の嘉平には宗十の命令に従うことだけしか考えるゆとりはない。
山の神の分岐で頂上への道ではなく、蟹足岳の方へ進んだ。
足場がどんどん悪くなる。
嘉平、道しるべに布の切れ端を枝にそっとつけている。
宗十に命じられたことだ。
嘉平が怯えながら、後方の闇を気にする。
遥かに後方から蓑傘をつけた黒い影が道しるべの布を辿っている。
矢敷宗十だった。
太刀を背負い、殺意そのものとなりはて、親王を追っている。
親王を追い詰めれば、武光も姿を現すと決め込んでいる。
奴らを一人ずつ殺す、その思いに執り付かれている。
武光と懐良は菊池というあの幸せな場所の主人公として富と権力を手にしている。
親王は平民が顔を上げることも許されぬ天上界の人間だ。
菊池は三〇〇年の栄華を誇る地頭であり国司である一族。
奴らに俺のような泥田を這いまわって生きてきた人間の気持ちは分かるまい。
奴らの出自が憎い、と怨念ばかりを飼い太らせていた。
騒乱の中で乞食のようにさ迷い歩き、戦場で屍から盗みを働いて生き延びてきた宗十には、颯爽と現れた武光や親王は憎悪の対象だった。
間諜としての腕を磨き雇われたが、それでありつける食い扶持は知れたものだった。矢敷宗十とは立派な名だが、元は八蛇(やた)と呼ばれてむろん姓名など持たない出で、  適当に立派そうな侍に思える名を自分で付けたのだった。
宗十は飢えていた。おのれを満たしてくれる身分にだ。
自分は闇の住人だ、この闇から彼らの光の世界には出ていけない、いくさ場で手柄を立てて領地を得ることは難しい。何度いくさ場に出ても大将首など運がなければ生涯拾えまい。だが、彼らの首なら目の前にある。今俺の仕掛けた罠に掛かっている。
慈春尼に取り入り、やっと掴んだ上昇への糸口は消えたが、大友あたりに大きな首を二つ差し出す道が残されている。あのどこか上の方で生きてきたあいつらの首を。
そんな妄念の鬼が闇の中を進んでいく。
親王と行く嘉平は次第に震え始めている。
妻子のためとはいえ、宮様を狂人に渡そうとしている自分の行いが苦しい。
少なくとも、この若い貴人があの狂人に殺される現場を見たくなかった。
同時に女房子供の傍へ一刻も早く行ってやりたい、その一念となった。
何も知らず、自分の想いに閉じこもりながら、親王は前を歩いている。
今だと思った。
嘉平、親王から離れ、ゆっくりと引き返した。
森の中へ姿を消す。懐良は気付かない。
激しい雨と風に叩きつけられながら、親王は森の中へ迷い込んでいく。
一帯を明るくするほどの稲妻が走り、雷鳴が轟いた。
 
木々が激しく揺さぶられる中を、嘉平は逃げてきた。
妻子の元へ一刻も早く帰ってやりたい。
無事を確認したい、その一念にとらえられている。
その嘉平がぎょっとなって足を止めた。
黒い闇が目の前に立っている。
矢敷宗十に出くわしたのだった。
死神が立ちふさがっていると感じ、嘉平は震えだした。
「牧の宮は?」
震えながら、嘉平が自分が来た方角を指さした。
その方向にはカニのはさみ岩がある。
矢敷宗十、頷いて歩みだす。
嘉平は宗十を避けて身体をかわし、駆け下りようとする。
それへ抜く手も見せず、宗十が太刀を一閃させた。
笠ごと頭蓋(ずがい)から背中にかけて斬り下げられて、嘉平はくず折れた。
目を見開いたまま即死したその顔を雨脚が打ち付ける。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 
〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。
 
〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。

〇矢敷宗十(やしきそうじゅう)
あぶれ武者から流れ野ぶせりになった男。
 
〇猟師の嘉平(かへい)
 


 


 

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