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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」57



第十二章 落日


二、
 
太宰府の武光(四二)の館を美夜受(みよず・四一)が訪ねてきた。
「和尚が亡くなったと?」
尼僧姿の美夜受が形見として常用していた酒の椀を差し出した。
その椀を手に取り、武光は大方元恢(たいほうげんかい)の死を思った。
大酒を食らい、酒で事は足りると豪語し、飯を食わず、眠らずに座禅をしていた。
頑丈な体のわりに頭は白くなり、長くは生きまいという予感はあった。
「遺言がござります」
美夜受は、大方元恢の臨済宗の僧としての遺偈を武光に伝えたと思われるが、その内容は文献には伝わっていない。
「そうか、…皆、逝くな」
武光、肩を落とし、指導者は皆去った、との思いに浸った。
そんな武光の浮かぬ顔を美夜受が見やる。
「お顔の色がすぐれませぬな」
「いや、…元恢坊主のために飲むばいた、ぬしはどうじゃ?」
美夜受がかぶりを振ると、家臣に酒を持たせて自分で元恢の椀に注いだ。
たむけの杯をがぶりと喉に流し込む武光。
互いに壮年の域に達した武光と美夜受の間にはかつてのような緊張感はもうない。
何かしみじみとした諦観(ていかん)が漂っている。
武光の思いを読もうとしてじっと見やる美夜受の目線に気づき、武光が笑った。
「…近頃、親王にお元気がない、数年前の東征の失敗が親王を苦しめておるようじゃ、…わしの力が至らんかったばいなあ」
東征の失敗以来、九州征西府にかつての勢いがないことは美夜受にも分かっている。
その後、良成親王が河野の勢力を借りて四国を取ろうとしたが、これもうまくいかなかった。明との国交が唯一の望みだったが、若いころのような一途な情熱がわいてこないことに、武光自身が戸惑っていた。懐良が暗く沈んでいるから、かもしれない。
「先を見ねばならぬのに、なぜか昔ばかりを思い返してしまう」
かつて大智禅師に言われた言葉を反芻している、と武光は言う。
「慈悲という言葉をご存じか、わしの解釈じゃが、慈悲とは人の悲しみを慈しむと書く、…財宝を得ようが、権力を掴もうが、長生を得ようが、何もせいでも、すべてを人は失う、その先にあるものは虚無にすぎぬとなれば、結局は敗北者になる」
その言葉を口に出して復唱して見せた。
美夜受は黙って聞いている。
「悟らぬ限り、人は仏になれぬ、人は悲しい、…戦で殺されるもの、殺すもの、皆哀しい、楽しく暮らしても病に倒される、…その悲しみに寄り添う、その悲しい人々を慈しみ、抱きしめる、…それが大乗の使命でござるよ、と、…そう仰せられた、…慈悲なぞとはほど遠い生き様を生きてしもうたな、…わしはただ大勢のものを殺して、…そして今ここにおる」
その言葉に美夜受の尼が皮肉に笑う。
「欲にまみれた人の哀しみなぞ、薄汚れておりましょう、あなたも私も同じこと、…そんな哀しみなぞ、慈しんで抱けるのは真の仏くらいのもの」
「…そうかもしれん、…じゃが」
「…えにしに運ばれて、…末路にどこへ行きつこうが行きつくまいが、あなたはあなたです、…我ら菊池のものは、ただついていくのみ」
そういう美夜受を武光は見やった。懐かしい、愛した女の顔がそこにあった。
武光の中に次第に確信が生まれていった。
美夜受はどうやらこれまでずっと武光と共に生きてきたらしい、と。
武光の動きを見守り、武光と共にいくさに勝ち、目論見に失敗し、喜び、悲しみ、傷ついてきたようだった。美夜受はじっと座って武光への思いを自分で味わっているかのようだ。
それが武光には感じられて、ああ、そうだったのか、と思った。
美夜受は片時もわしから離れたことはなかったのだ、おいたちは共に生きてきたのじゃと。武光が美夜受を見つめ、美夜受が武光を見つめ返した。
「…申しましたな、地獄まで行きなされと」
尼の目に武光への変わらぬ愛情が、今は素直に溢れ出していた。
「私たち犠牲になったものの為に戦えというのは恨み言でした、…そげな必要はなか」
尼の目から一筋の涙が零れ落ちた。
「…貴方が真に想ったのが私でなかったとしても、…私は貴方を想った、それでよかです、…いずれにせよ人も夢も滅ぶ、…あきらめようが、あきらめまいが、…行きつく先は同じ、…それでもやるべきことをやる、生きるとはそれ以外にない、という事でしょう」
武光は美夜受に何か言葉を返したいが、浮かばなかった。
「精一杯生きてください、あなたはそれができる人なのだから」
尼はそのまなざしで武光を励ましていた。
新しい導師がここにいたか、と武光は思い、苦笑した。
なるほどな、と、そして表情が変わった。
武光の顔に気力がみなぎってきた。
 
菊池へ続く軍用道路が伸びている。
大宰府の外れまで美夜受を見送った武光だった。
武光が敷いた軍用道路を、武光がつけてくれた護衛の兵士に警護されて帰っていく美夜受が歩みだす。
「近く菊池へ帰る、その時はゆるりと物語したい、…待っていてくれるか?」
見返った美夜受はなんとはなし、これが今生の別れになる気がした。
武光にはそんな感慨はない。
そんな武光の表情をまぶしく見て、美夜受は微笑んだ。
そして歩み去っていった。
後ろ背に武光の視線を感じながら、美夜受ははっきりと武光への愛を噛みしめていた。
生涯をかけて愛した男への愛おしさが爆発しそうなほどに込み上げていた。
美夜受は声なく泣いて、武光の名を心の底で呼び続けた。
そして武光に別れを告げた。美夜受はやっと娑婆に別れて真実宗門の人となれると予感した。何かが死んで、何かが生まれた。尼僧美夜受が菊池へ向かう。
小さくなっていくその後姿を見送りながら、美夜受の思いを知らず、武光には、オレにはやり切れるのか、との思いがズシリと重く腹にある。だが、行くしかない、との腹も決まった。なんにせよ行こう、地獄の果てまで。
最後の切り札は明よりの使者だ!
 
唐房内のとある店でやえが飲んでいる。
座った眼でぐいぐいと飲むやえには貫禄が出てきている。
そこに明らかに海のものと思える風体の男たちが近寄ってきた。
同じ卓に座り、やえの酒を勝手に奪って飲み、にやりと笑った。
やえが懐から金の入った袋を取り出し、相手の前に投げた。
中身を確かめ、満足して仲間と目配せを交わした男、海賊の下っ端は黒い包みを取り出した。受け取ったやえは袋を開けて貝殻の入れ物を取り出し、中身のどろりとした液体をむき出しにした。海賊の男は危ぶんだ。
「気を付けんば、肌に触れてもそこが腐ってくるで、呑み込んだりすれば一時にお陀仏じゃ」「試してみねばな」
やえが箸で液体をぬぐって相手の手に押し付けようとし、相手は驚いて飛び退った。
「何をしやがる!ぶっ殺すぞ、このアマ!」
にやりと笑ったやえが貝を合わせてしまいこんだ。
アジアのどこかでコブラの毒をベースに調合された蠱毒(こどく)だった。
「けっ、器量が悪かうえに、性格まで歪んでおる、男に困ろうわい」
海賊どもは早々に立ち去って行った。
一人残されて酒を注いだやえ。
「菊池武光、…あん方さえおらんければ」
親王を抑え、親王の皇統統一のビジョンを武光がないがしろにしていると見たやえだった。私欲のために征西府をわたくしする悪党と見たやえには、親王の目的を果たすには武光が邪魔だとの思い込みがつのるばかり。
やえの父は矢敷宗十、母は名もなき女で、流れ歩いているうちに結ばれ、菊池に流れ着いた。立身を夢見た矢敷宗十は慈春尼に取り入り、策略を巡らせた。その全貌は語らず、女に 未来の夢を語り、邪魔なのは菊池武光、とその名を吹き込んだ。
その矢敷宗十が矢筈岳で殺され、殺したものは菊池武光と知れたが、それ以前、勢返しの滝の事件直後に女は生まれたばかりの赤ん坊と共に菊池を出されていた。
金か出世の糸口を掴んだら落ち合おうという約束があったと繰り返し母に言われた。
以来、流れ歩きながら女は春をひさぎ、酒におぼれ、やえに愚痴を言い続けた。あと一歩で幸せな未来を奪われた、奪ったのは悪魔、菊池武光!
やえは呪詛のようなその言葉に育てられた。
大保原で懐良に会った時、やえは武光と懐良の結びつきは頭になかった。
やがてそれを知った時、やがてやえの内部に敵意が燃え上がった。
やえの憎しみは募る一方で、客観性などみじんも入り込む余地がなかった。
「…武光、…見ておれ」
 
安芸の毛利の城で連歌の会を催す今川了俊は上機嫌だった。
従えているのは息子の義範(よしのり)と弟の今川頼秦(よりやす)である。
了俊は武芸は学ばなかったが、歌道には精進した。
祖母の香雲院に勧められ、十二、三歳ころから源の経信の歌風にあこがれ、十六、七頃からは京極為基に師事した。
「散る花をせめて袂に吹きとめよ、そをだに風の情けとおもわむ」
二十一歳の時に「風雅和歌集」に採択された。
連歌は順覚に学んだ。連歌とは二人以上のものが和歌の上の句と下の句を互いに詠みあって続けていく形式の歌だ。多人数でやる場合は厳密な式目を元にして全体的構造をまとめ上げていく。そこに了俊は軍事総帥としての采配を重ねた。
それぞれの武将が作る歌に各人の気性や好みを把握した。それを連歌としてまとめ上げていく道筋に武将たちを操るコツを見ようとした。
「歌には人の器量が現れ申す、詠んだ歌を見ればそこもとたちの底の底までが、この了俊には見えますのじゃ、くくくく」
武将たちはたじたじとなった。
了俊は武張(ぶば)った見方で人を見ないし、武辺の侠気など認めない男だ。
あくまで詩人として尊敬できるかどうかを他人を判断するときの基準とし、政務も、軍事行動でさえも詩心を判断材料とした。そういう目で呼集をかけた武人たちを見ている。
居並ぶ毛利元春、吉川経見、熊谷直明、長井貞広、山内通忠ら列強国人衆は硬くなっている。歌を詠めないものは低く見て、軽んじ、うまく詠める相手には見どころがあると思い、重用した。それを知って中国道の武将たちは戸惑いながらも、風流心こそ了俊と共に戦う場合のよりどころとなるのだと知った。とはいえ、詩心を持って軍略を立てねばならぬとは、武将たちは内心辟易した。了俊は鉄漿(おはぐろ)をしている。
化粧もして眉を描いている。それだけでも西国の武将たちには奇異に見えた。
水干は絹の豪華な衣装で、常に扇子を手放さず、笑うときはそれで口を押さえて、くくくと笑った。京に暮らし、公卿たちと歌を詠みあう付き合いをしてきた暮らしからこのスタイルが生まれたらしい。しかし、田舎豪族たちは反感を持った。
「みどもは歌を学んだことがござらぬ、不調法ゆえ、今川殿とは相いれませぬでしょうかな?」
と山内通忠は反感をあらわにしたが、了俊はくくくと笑った。
「歌は詠んでおられますよ、その立ち居振る舞いでの、…詩心があるかどうかはみどもには見抜け申す、…あなたの詩心の深さは、…くくく、言わぬが花でございましょうかな」
了俊はおそるべき策略家であることを諸侯に見せつけた。
自分自身が安芸守護であることを盾にとり、安芸の豪族毛利家を安芸の地頭職に任じ、おのれの命令系統に組み込んでいた。
「みどもは全権大使でござるよ、…こなたらの生殺与奪、我が手中にあり、…かの?」
諸豪族中最大の毛利家を組み敷くことで己の位置を最上位に置き、他諸族を掌中にした。
「九州へ向かう手はず、そこもとたちでお決め頂きたい、その報告を聞いて、可否をお与えいたす、さりながら、申告された成果を上げ得られぬ場合、信賞必罰と覚えおかれよ」
周囲に対する洞察力は深く、自ら戦陣には立たないが、背後にあって采配を振るうに適した知恵を兼ね備えているのが見えた。それが短い期間のうちに武将たちに伝わった。
了俊は短期間に中国筋の武将たちの首根っこを押さえていた。
「そこもとたちの純忠の示しどころでござるぞ、足利将軍も悪いようにはなさらぬ」
利と損を知り尽くし、報奨を惜しまぬ処世術を見せつけ、武将たちをたちまちてなづけてしまうその手腕。その了俊に毛利元春が何とか逆襲したくて言い募る。
「菊池武光についてはお聞き及びか?いくさ神として信奉されておるそうな、これを攻略する手立てはおありか、おありならお示しいただきたい」
が、了俊は笑った。
義範も今川頼秦も同じように笑った。
「野人に策もなにもござらぬよ、諸侯の力押しでいかようにも突き崩せもうそう、こなたらにお任せいたす、くくくく」
武光は歌など詠めない荒事一辺倒の武将と聞いていた。一騎がけで突っ込む勢いは鬼神のごとくであり、相手を震え上がらせるという。面白いと思った。
了俊の一番嫌いなタイプだった。その手の武将を敵に回して詩心を持った采配で徹底的に打ち破る。それこそ了俊が目指すいくさの理想形だった。
「菊池武光、九州の田舎侍めが、粉々に打ち砕いてくれる」
扇子で口を押さえ、くくくと品よく笑った。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
 
〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。

〇今川義範(いまがわよしのり)
今川了俊の息子。

〇今川頼秦(いまがわよりゃす)
今川了俊の息子。
 
〇毛利元春
西国大名。

〇吉川経美
西国大名。

〇熊谷直明
西国大名。

〇永井貞弘
西国大名。

〇山内通忠
西国大名。
 

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