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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」40


第八章   宿敵



一三五五年 正平一〇年頃からの数年間はいくさ漬けの毎日となった。 
武光は南九州経略の為に転戦していた。
親王は武光を頼らず、自ら軍勢を率いてこれも各地を転戦している。
菊池武澄、五条良氏、南朝方についた少弐頼資、木屋行実、有馬澄明らを率いて肥前、豊後を経て、ついには大友氏秦(おおともうじやす)を降伏させた。
その後博多に攻め入って、一色範氏(いっしきのりうじ)親子を長門へ駆逐した。
一色一族は九州を墜ちていった。
その活躍に力付けられた後小松天皇は懐良親王に吉野へ登って朝議に参画するよう要請された。しかし、やはり征西府にそのゆとりはなかった。
それでもこの時期の遠征成功によって、九州の主だった武将たちが相当数南朝に鞍替えしてきた。征西府にはますます勢いが付き始めていた。
「棟梁が鬼神に見えて参った、まさにいくさ神じゃ」
共に出撃した赤星武貫(あかぼしたけつら)が武光を認める言葉を吐くが、しかし、颯天鞍上の武光は油断していない。
「本州の南朝勢は全滅じゃ、九州の武将どもは風向きを見ておるじゃろう、勢いを失えば皆が敵に回る、詰めたいのう、一転突破の機を掴まぬ限り、我らに息はつけんでのう」
武光は憑かれたように千載一遇のチャンスを待っている。
そうやって敵を求めながら、武光は筑紫坊から親王の活躍について逐一報告を受けている。懐良の成長が武光にはたまらなく嬉しい。
もはや立派な武将であり、危ぶむ必要はないはずだと思った。
合流しての軍議でいかに敵を抜くかの相談をしているとき、生きている実感が満ちてくる。懐良と意見を戦わせている時だけは、先の心配も後顧の憂いも消えた。
未来も過去もなく、その瞬間の充実に武光は満たされていた。
だが、五条頼元は違った。
歳のためにいくさ場に出ることは少なくなり、留守を守って菊池本城御殿で政務をとることの多くなった五条頼元は、一人客観的に状況分析を繰り返した。
「皇統統一の夢は遠い…」
五条頼元は菊池都に快適さを感じていたが、京への思いも強かった。
問題は九州計略に征西府の力のすべてが割かれることだ。
九州の男たちは一筋縄ではいかないしぶとさがある。
利次第で南を裏切り、北に反旗を翻す、武士の習いとはいえ節操のないものよ、と嘆じた。
いくら力押しにしても、錦の御旗にもなびかないのではないか、との疑念がわく。
本当に九州統一はなるのか。その先に皇統統一はあるのか。
五条頼元と息子頼氏や池尻胤房(いけじりたねふさ)、坊門資世(ぼうもんすけちか)たち都人たちには疲れが見え始めている。
 
一三五八年、正平一三年、菊池に戻っていた武光(三〇歳)が全武将に緊急呼集をかけた、
筑紫坊により、足利尊氏死去の報がもたらされたのだった。
五条頼元は絶句した。
正平八年にはすでに本州南朝の指導者と言われた北畠親房(きたばたけちかふさ)が鬼籍に入っている。
そして今、足利尊氏も病没。南北朝の動乱も世代替わりしようとしていた。
「尊氏が、死んだ?」
後醍醐帝に逆らい、今日の歪んだ国情を作り出した張本人、と頼元には思えていた。
懐良親王が幼くして親元を離れ、荒くれ武士共の中に入ってここまで苦労をしているのは紛れもなく足利尊氏のためだったろう。征西府が目指した皇統統一とは、実質足利尊氏打倒という意味合いであったはずだ。なのに、その当の尊氏が死んだとは!
「…なに、気を抜くこともなければ、焦るこつもなかです」
「そげんこつばい、我ら征西府の置かれた状況に大きな変化はなか」
武澄も城隆顕も、赤星武貫も動じていない。
だが、頼元にはそれがじれったい。
「何を悠長に構えておられるのか、これを機に急がねばなるまい、足利一味が動揺するなら、そこをついて攻め寄せる手立てを考えるべきであろう!」
「お待ちあれ、頼元殿、気持ちは分かる、じゃが、やはり京はとおか、九州と本州の距離はいかんともなしがたい、足元を見ねばなりますまい」
病やつれした武澄の言葉が頼元をいらだたせる。
既に尊氏には義詮(よしあきら)という後継者がおり、北朝を支えて南朝滅亡の策謀を巡らせている。吉野や紀伊半島を隠れさまよいながら、後小松天皇は必死にしのいでいる。
頼元は武光に皇統統一の使命にあくまで順ぜよ、と念押しをした。
武光は深くうなずくことで答えた。
巨大な壁と思えた尊氏の死は足利勢力も神がかった存在ではないと思わせてくれた。
その子義詮が二代目将軍を継いだというが、敵も盤石ではないという事だろう。
「京へ攻め上るのは時期尚早じゃ、じゃが動揺する九州北朝勢に攻勢をかけるにしくはなし、動くぞ」
武光の眼差しに、菊池の一党が頷いた。
「今こそ南朝復興の時ぞ!」
赤星武貫(あかぼしたけつら)が吠え立てて、おーっと一同の意気が上がった。
菊池軍はすぐさま出撃していった。
菊池一族は麻生山の戦いで圧勝を飾り、継いで日向攻めでは島津群を圧倒した。
菊池は勢いに乗って快進撃を続けた。
諸族は続々と南軍の旗下に下ってきた。
 
畑の先の丘にどまんじゅうを作っている美夜受の顔はやつれ切っている。
袈裟尾(けさお)の丘を、汗をふきふき荷物を運んできた太郎太夫がはっと見やった。
かなたに座り込んだ美夜受の前の土饅頭(どまんじゅう)二つに風が吹き付け、埃が舞い散る。明らかにおえいと子供のものだろう。
ああ!と太郎はあえいだ。間に合わなかった。
緒方太郎太夫となった太郎は穴川に領地を与えられ、武光について転戦することなく、菊池防衛の任務にあたっていた。その隠された任務に美夜受の保護があった。
だが、不意打ちを食らった。
菊池の村々に疫病がはやりだしたのは突然のことだった。
疫病の正体など分かりようがない。動物が媒介した菌なのか。
当時の医者に対処できる問題ではなく、祈祷師が活躍した。
なのにその甲斐もなく、次々に村の者が倒れ、死んでいった。
御殿内にも死者が出ているし、各村の子供や年寄りが多く死んだことを見て、太郎は美夜受の一家を心配した。武光はいくさに出て不在だ。太郎は急ぎ駆けつけてきた。
だが、あまりにも病の蔓延が早すぎた。
太郎は近づいていき、逡巡したが、横から美夜受の顔を覗き込んだ。
涙も乾き果てて、美夜受は土気色の顔に表情を失っている。
「美夜受」
美夜受が胡乱な目で見かえった。
母も亡くなり、子供も死んだ。その事実を前に精神のバランスが極限に来ていたのだろう、太郎を見やってそのまま崩れ落ちて号泣した。
太郎太夫は肩を抱き、なんと言葉をかければいいか迷った。
「武光様の屋敷へ行こう、おいが戦地の棟梁へ手紙を出すばいた」
というが、瞬時に美夜受が絶叫した。
「十郎には何もいうな!あ奴には関わりない!」
太郎は美夜受のあまりの意地の強さにどう言葉を返せばいいのかわからない。
美夜受は太郎太夫に縋り付いて泣く。
太郎太夫がその肩を抱きしめ、思わぬ言葉が口をついて出ていた。
「…昔から好きじゃった」
美夜受が太郎を見上げた。
「おいな、…こどもん頃から、ぬしが」
太郎と美夜受が見つめ合った。
太郎が引き寄せ、口を吸った。
「美夜受、こげな時にすまん!やらせてくりやい」
太郎太夫は理性を失い、あたふたと美夜受を求めて組み敷いていく。
美夜受はやがて太郎の背に手をまわし、しがみついていく。
 
 
 

《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 
〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇菊池武澄
武光の兄。初めは武光の一五代に疑念を示すが、やがて腹心の武将として一身を捧げる。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。
 


 


 


 


 

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