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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」28


第6章 遭難


一、


秋風が立つ頃、御殿で親王と慈春尼の娘重子の婚姻の儀式が執り行われた。
御殿内に近隣南朝勢の諸侯が招かれて盛大な式が挙げられた。 
慈春尼(じしゅんに)が満足げに終始上機嫌で客に挨拶をした。
記念行事として正観寺村と高瀬村との間に新しくしつらえられた能場で能が舞われ、親王が正妻と共に椋木をお手植えなされた。この木は「将軍木」と呼ばれて今日も菊池市隈府、菊池高校脇に残されてある。
能場の前では菊池の民人が祝ってお祭り騒ぎを演じた。 
やがて女舞いが披露されたが、大勢の舞手たちの中に美夜受(みよず)の姿があった。
美夜受は親王への決別の思いを託して舞ったのだろうか。
懐良はじっと美夜受を見つめた。
列席した武光は押し黙って杯を口に運んだ。


 美夜受は袈裟尾(けさお)の丘に空き家を求め、母と新しい家に移り住んだ。
近くには北福寺(ほっぷくじ)があり、森と民家と田畑が斜面に広がる。
冬の日差しの下、来年の畑仕事の準備を始めていた。
おえいは何かをあきらめきったかのように枯れた雑草を刈る。
家は村はずれにあり、小さな小川から水を汲めた。
美夜受がそこで水を汲んでいると馬が来た。 
それは颯天(はやて)で、武光が降り立ってきた。
声をかけてこないので、美夜受が家の方に去ろうとすると、
「美夜受」
と、遠慮がちに声をかけてきた。
美夜受が振り返るとそばに来て、逡巡してから言った。
「御所を出たのか、...こんな粗末な家でなくとも、よか家を世話してもらえばよかった」
「要らぬ」
「もう親王さまのお世話にはならぬのか」
「ならぬ」
長い時間その先を言い出せなくて、土を足で蹴ったりしたのちに、やっと言った。
「...おいの屋敷へ来んか?」
じろりと武光を見やって、美夜受が薄く笑った。
断ると言い、家の方へ桶を下げて立ち去ろうとする。
その時、武光がはっとなった。
美夜受の腹が大きいことに気づいたのだ。
衝撃を受けた。自分でも意外なほどにうろたえた。
「美夜受、それは?」
黙って振り向き、腹を撫でたので、子ができたのだと分かった。
「その子はわしの?...それとも」
睨み付け、誰の子でもない、と美夜受はいう。
「天狗とまぐわってできた子じゃ、二度と関わってくださるな」
武光はかっとなり、手を引いていこうとする。
しかし、美夜受は振りほどいて睨み付けた。
「この子が育ってもし親王様に似れば、お前はこの子を可愛がれるか」
想いもかけないことを突き付けられて、武光はたじろいだ。
「男はいつまでも子供、子供が今何を言おうが約束しようが私は信じやせんけん、こいは天狗の子じゃ!」
呆然となり、武光は初めて美夜受の怒りが思う以上のものであることを悟った。
何度も喧嘩はしたし、浮気をして暴れられたこともある。
だが、今回の美夜受の怒りはけた違いであり、心を閉ざされていて手も足も出ない。
無理に美夜受を屋敷に連れ帰っても、どうなるか先が見えない。
実際子供が育った時のことなど見当もつかなかったし、武光は無力だった。 
美夜受(みよず)は武光を残し、家へ向かった。
かなたの畑からおえいが見ていて、武光と目が合うと頭を下げた。
武光も思わず頭を下げかけたが、自分があまりにも無様で腹が立った。 
颯天(はやて)の方へ駆け戻り、飛び乗って一鞭くれた。
武光が颯天で駆け去り、美夜受が振り向いて見送った。
美夜受には怒りを通り越して、あきれた思いしかなかった。
あまりにも武光がバカすぎてバカバカしくなったほどだ。
美夜受は今でも武光が好きだが、だからといって武光を許せない。
美夜受は親王の元へ行けと言われたあの日から、武光を許さぬことに決めている。
美夜受は武光の去った方角をいつまでも睨み付けていた。

屋敷の奥の間で武光が煩悶する。
徳利から酒をあおり、寝転がり、起き上がってはまた飲む。 どうやっても落ち着かず、美夜受の面影が消えてくれない。
初めて自分が自分の気持ちも、美夜受の気持ちもないがしろにしていたことを痛感した。
女に惚れるという以上の感情に初めて気づいた。だが、すべては台無しになった後だった。
無意味なことをして皆を不幸にしてしまったと自覚した。
美夜受の腹の子供。一人で育てる気か。
父の役目を果たすものはいない。自分と同じように父を知らずに育つのか。
哀れだと思った。
美夜受は強い女だ。はねつけた以上、決して武光の手を借りようとは思うまい。
もはや武光の手出しできることではなくなっている。
しかし、だからと言ってどうすればよかったのか。
あの時は親王に良かれと思い、武辺に生きるものとして己の未練 に斟酌(しんしゃく)すべきではないと思った。なのに未練が込み上げてきて、なぜ今更、おいは!と、繰り返した。
想いもかけず、人を傷つけることが自分をも傷つけるのだということにやっと気づいた武光だった。後悔にさいなまれたが、遅い。
(おいは一体なんごつしでかしてしもうたつか!)
徳利を叩きつけた。
徳利が床で割れ、酒が飛び散った。
無理やり自分の感情を振り切るように立ち上がった武光だった。
獣のように吠えて自分の錯乱を振り払った。
苦しい時にこそ、明日への工夫に想いの焦点を切り替えるのがこの男のやり方だった。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

 〇懐良親王
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

 〇慈春尼
武重の妻、息子の武隆を一五代棟梁に望み、様々に画策する。

〇慈春尼の娘・重子姫
懐良親王の妻となる。

 〇美夜受(みよず)

武光を愛するが懐良親王に差し出されて苦しむ。

○おえい

美夜受の母親。



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