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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」34


第七章     第三勢力の策動


二、
 
武光は太郎などわずかな供回りだけを連れ、颯天鞍上の人となり、御船の惟澄の城を訪ねた。梅雨のさなかで緑川の水が溢れている。
「久しいのう」
惟澄(これすみ)は喜んでくれて酒肴を用意し、二人で飲み明かそうとなった。
御船城の館の奥の間で差し向いになった。
二人で暴れまわった昔ばなしが出たり、御船城下の奇麗な後家の噂話になったが、おえいと美夜受のことはどちらも口にしない。
惟澄にしてみれば渡り白拍子親子なぞ、物の数には入っていまい。
惟澄には手を付けたあまたある女の一人にすぎず、気にかけるほどの問題ではなかった。
武光にはそうではなかったが、今は切羽詰まった課題があった。
「叔父貴、足利直冬じゃが…」
そうひとこと言えば、惟澄はすべて察した。
九州入りした直冬は少弐頼尚に迎えられて娘婿となり、その力を使って九州制覇に乗り出した。そして菊池を敵とみなした動きを見せている。征西府には新たな脅威が育っている。
直冬は九州の諸豪族に招集をかけ、阿蘇惟時もこれに応じて出兵していた。
この時勢に対し、恵良惟澄はどう動く。武光が知りたいのはそこだ。
「わしにも誘いが来たよ、足利直冬からのう」
惟澄が苦笑いして杯を舐める。
武光は内心ぎくりとしたがさりげない体で問う。
「どうされる?」
「そうよなあ…」
惟澄は武光の気持ちをもてあそぶようにもったいぶって見せたが、ポツリと漏らした。
惟澄は形勢不利な南朝に味方して手柄を立てることこそ阿蘇大宮司家が全国にその存在感をとどろかせることができる道だと考えている。惟時のやり方では勝つ側に立てるかもしれないが、大きな存在として売り出すことはできまい、と思っている。
惟澄の口ぶりから直冬の誘いに乗る気はないらしいと見当をつけて安心した武光だが、阿蘇家を率いない限り、惟澄に大きな働きはできまい。
阿蘇家はもともと神職を兼ねた豪族として阿蘇谷に本拠を構えていた。それが年を経るごとに阿蘇中岳、南郷谷を経て、南外輪山の駒返し峠を越え、現在の「浜の館」に落ち着いた。惟澄の領地はやはり飛び地で御船の一角、十郎の豊田とは隣り合わせた緑川沿いの土地だ。距離の遠さも惟時との仲を隔てた一因かもしれない。
「近頃分かったがのう、…惟時殿はあとをおいに託す腹はなく、おいが息子、惟村を立てて阿蘇家を託そうというつもりらしいわ」
「惟村殿を?」
惟村は父惟澄とそもそも疎遠であり、祖父の惟時とべったりだという。
阿蘇家を強奪し、思うように政治をしようと思えば、息子と対決しなければならなくなる。
そんなジレンマを抱え、その流れの中で惟澄は阿蘇家から浮いている、と武光は見た。
「阿蘇家を取ってはいよ、おじき殿」
武光の目はクーデターを起こせと言っている。
「菊池と名家阿蘇が組めば肥後は南朝のもの、南の島津も北の少弐も大友も制して九州を制覇でき申す、そのためには惟澄殿が阿蘇家の棟梁となればよい、…それには」
だが、今の惟澄には割り切れぬ思いがあった。
「ぬしには菊池の行く先がはっきり見えたようじゃな」
酒を含みながら、屈折したまなざしを見せた惟澄。
「親王様を担いでいずれは皇統統一か、…しかし、先は長い、敵はあまりにも多い、…十郎よ、ぬしに揺らぎはなかつか?」
武光がまっすぐ見返した。
「…親王様を担いで金烏の御旗を推し進めるという事は、北朝の勢いからして不利な道かもしれぬ、じゃが天下に結末を保証する賭けはないでの、…賭けねばなんもかんもがこぼれ落ちてしまうわい」
惟澄は親王を弟のように思う武光の思いを察している。
「…親王じゃな、お前と親王の気が合うことは御船界隈にまで聞こえておる、…あのお方に菊池を、肥後を、いや、全九州を賭けようというのじゃな」
親王のことが持ち出されて、武光の目に複雑な感慨がよぎった。
「…おいと親王さまは同じ道を行くものよ」
武光が雨の中庭を眺めやった。菖蒲の花が咲いている。
両者とも父親の非業に手も足も出ず、兄弟からも相手にされなかった、との思いが武光の中に浮かび上がっている。
「…親王さまは護摩壇を焚く後醍醐帝の狂うたような顔が忘れられぬという、恐ろしい、好きになれぬ思い出じゃと、…それはおいも同じよ、…博多の夜、炎の中で悪鬼のごとくわろうた少弐貞経の顔が忘れられぬ、おいは今でも眠られぬ、…じゃが、おいは乗り越えようとしておる、親父武時殿に代わって菊池を栄えさせる、断じて二度と他領の蹄(ひずめ)にはかけさせぬ」
武光は見返って惟澄を正面に見据えた。
「おいは牧の宮懐良親王といく」
惟澄は目を逸らせた。
「宮様か、…幻じゃな、…お前が担がなければ牧の宮は一日も立ち行くまい、…あれはお前が作り上げた錦の御旗じゃ、…お前は最高の生きがいを見つけたかもしれん、じゃが」
惟澄は己の想いを自身で探るように言葉を選んだ。
「…わしはお前ほどまっすぐではない、…阿蘇家はなべて北朝支持じゃ、孤立した庶子家のわしに何の働きができるのか、…しかし、じゃからこそ機を見、人を見、生き残るすべには冷徹じゃ、…しかしおまんは」
と暗い目を向ける惟澄。
「おまんの純情はあぶなか、自分で作り上げた虚像に準じて命を投げ出しかねん、…それだけはよせ、十郎、…わしらは田舎土豪、何をどう選択するにせよ、ここで生き抜いてうまい酒を食らえばよいのではないか?」
スケールの大きい武光だが、この純情が身を亡ぼすのでは、と惟澄は危惧する。
一方、武光は惟澄と自分との間に小さな溝ができているのを感じ取っていた。
昔どれだけ深い絆に結ばれていたとしても、時節が至れば人は道を別にしなければならぬものかもしれない。武光は寂しさを禁じ得ない。
武光は自分が惟澄の中に父親を見ていたのだと微(かす)かに思った。
 



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。
 

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。
 

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