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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」35


第七章   第3勢力の策動



三、
 
足利直冬(あしかがただふゆ)の登場によって、九州の情勢はめまぐるしい変転を見せている。足利尊氏、高師直(こうのもろなお)からの圧迫に反発することをエネルギーに変えて、足利直冬は九州を掌握すべく獅子奮迅の活躍を見せていた。周囲に戦を挑んで勝利を得ていた。
少弐の力を背景に大宰府を陥れ、勢力拡大を実現、手を焼いた尊氏から鎮西探題の役職を手に入れ、北九州に君臨した。
これに圧倒されたのが北朝の雄であった一色範氏(いっしきのりうじ)で、かつては少弐(しょうに)と共に威をふるったが、直冬と少弐に敵視されて攻撃を受け、一色範氏は意外にも征西府に合力を求めてきた。
北朝の看板は簡単におろしてしまっている。
足利直冬の新勢力は、征西府としては挑まれ対抗しなければならぬ容易ない敵ではあり、
北朝、足利直冬方への対抗上、征西府はこれを入れ、一色方と手を組んで足利直冬に対抗しようとした。
 
一三五一年、正平六年八月八日、うだるような炎天下。
老人の中にはこの暑さで命を落とすものもあるほどだ。酷暑と言えた。
真白く高い雲の下、侵攻してくる北朝軍に対し、菊池軍は肥後白木原に布陣した。
武光はすでに二十四歳になっている。
足利直冬が川尻幸俊の軍勢を率いて菊池を攻めようとして来ていた。
菊池を敵とみなした直冬が直々に出張り、川尻幸俊が先鋒を務めている。菊池軍からは赤星武貫勢、城隆顕勢が出向いてきている。
軍議の席上、武光が兵を率いて突撃すると言い出した。
「何としてもここで足利直冬に一勝を上げて士気を高めねばならんでのう」
「棟梁が出る幕ではなか、おいが叩き潰してみするったい!」
赤星武貫(あかぼしたけつら)が長大な野太刀をしごいた。
武光と赤星武貫の戦法はイノシシ働きで、鮮やかなスピードが確保できる場合は素晴らしい戦績を上げえたが、多大の敵に圧迫されている今の場合、その力業で勝てるかもしれないが、相当な被害が出ることが予想された。武光と赤星武貫はそれでも勝利を狙う気性だった。
「お待ちくだされ」
城隆顕(じょうたかあき)が制止した。
「勢いによる攻撃では無駄に犠牲が増え申す」
「おいのいくさは力業かよ?」
武光が不服を鳴らし、赤星武貫(あかぼしたけつら)は、まあ、確かに、と上を仰いだ。
「おいに考えが」
城隆顕が静かに申し出た。
大兜をかぶって正々堂々と一騎打ちを挑む戦いは元寇の時の経験から、武士たちにはすでに流行らなくなっていた。
殺し合いとはいかに合理的に相手の戦力を奪っていくかだという大前提が認識され、その方向に沿った戦術戦闘方法が模索されていた。
軍略家、戦術家が必要とされ始めた時代だった。
「この向かい城は初めからからそのつもりで設計してござる」
室内には熱気がこもっていたが、城隆顕の顔はあくまで涼やかだった。
 
敵勢に対してにわかに仕立てた対城(むかいじろ)に菊池軍はこもっている。
圧倒的に大軍で来ている直冬と川尻幸俊(かわしりゆきとし)の手勢に押されていた。
夜になって熱気がこもり、湿気が四方をべっとりと濡らしている。
対城は見張りが甘く、人数も少ないことから夜間の警戒が緩かった。
それを川尻の物見がしっかり偵察して帰った。
菊池の対城は気勢が上がっていないと報告した。
静まり返ってかがり火も消えがちとなっており、物見は見張りの一人が眠り呆けているのを確認して来ている。そこで川尻幸俊は奇襲を計画した。
闇の熱気の中を川尻軍が忍び寄っていく。
馬を使わず、手勢を十分菊池側の懐にまで入れ込んでから、一気に襲撃しようとした。
先手の武将が機を見計らい、やがて声なきままに旗を振って合図した。
兵達が合図を伝令し、総員が駆けだした。
掘割にかかった橋を渡り、城柵越しの野営地に矢を放ってくる。
その頃にはもう誰もが我慢できなくなり、ワーッと声を放っていた。
「門を打ち破れ、乗り込め!一番手柄は誰じゃ!?」
先を走っていた攻撃軍は大手門に取り付くが、簡単に開いてしまうので驚く。
「おや?」
「これは?」
先頭の将は警戒して「待て」の合図を出そうとするが、後方からは「一気に」との命を受けている兵士たちが殺到してくるために合図は伝わらない。
押されて先頭の将士たちが城の中に押し込まれてしまう。
「ま、まて、怪しかぞ!」
目指した陣地がもぬけの殻で、罠であったことに気づいたが、時すでに遅い。
「どぎゃんしたこつかい、菊池勢は!?」
この時、城隆顕が城の主屋の屋根上に姿を現し、松明に火をつけて振り、信号を放つ。
その瞬間、空堀の底に土を被って隠れていた菊池勢が川尻勢の背後に駆け上がった。
同時に引橋(ひきはし)の足が取り払われ、橋は崩れた。
突然渡った橋が切り落とされ、兵たちが崩れ落ち、川尻軍が狼狽する。
「橋が落とされた!」
「まずかぞ!」
「罠じゃ!」
橋を切って落とした兵たちはそのまま橋を渡れなかった川尻軍に切りかかっていった。
脇手からの切り込みに、川尻の攻城隊が焦りまくって度を失う。
「戻れ!引き返せ!」
「うかつに太刀をふるうな、味方同士の相打ちになるけん!」
城隆顕は足元に向かって次の信号を出した。
それを受け、菊池の手勢が城の土塁に掘った穴の中から踊りだして矢を放つ。
矢を雨あられと射かけられて城内の川尻軍がバタバタと倒されていく。
城隆顕は今度は城の背後に向かって松明(たいまつ)を振り、別な合図を出す。
城の背後の闇に潜んでいた武光や赤星武貫たちの騎馬隊が突撃を開始した。
一気に迂回して敵勢の背後に回り込み、襲い掛かる。
城にこもっていると見せかけ、背後に作られてあった隠し門からそっと抜け出していたのだ。対城自体が囮として設計されており、その背後に抜け出した主力部隊が陣を取って静観していたのだった。川尻勢は闇の中で何が何やら分からぬままに打突をかけられ、太刀で滅多打ちにされ、周章狼狽の極みとなった。
「引け、引き上げよ‼」
川尻の武将が叫ぶが、すでに混乱して訳が分からず、恐怖にとらえられた軍勢はいけにえの羊に等しい。武光や赤星武貫の手勢たちが殺戮の嵐を吹き荒れさせた。
ほとんどの者が殺され、川尻幸俊たちわずかな将士が逃れ去りえただけとなった。
敵は足利直冬を辛うじて守りながら、そのまま潰走して去った。
それを見極め、主屋の城隆顕が戦い止めの合図を振る。
その合図で菊池軍の兵士たちが城内に集結してくる。
誰もが汗ぐっしょりでそれにうんざりしている。
武光と赤星武貫が騎馬隊を率いて背後の出入り口から戻ってきた。
颯天を降りた武光が城隆顕に歩み寄り、笑顔を見せた。
屋根から降りてきた城隆顕が武光に言う。
「まず敵の第一陣は壊滅でござる」
「城隆顕、こいはどげな策略じゃ?」
「は、陶壺(すえつぼ)の陣と申します、孫呉の兵法を応用いたしました」
汗をぬぐっていたのがぱっと笑顔を見せた武光。
「おいのいくさはひたすら勢いだけじゃ、戦術は隆顕、城越前の守に任せたらよかじゃのう」
汗まみれで赤い顔となり、蒸気を上げる赤星武貫が深くうなずいた。
菊池の軍略、戦術の責任者を得たと武光は思った。
反対に城隆顕は武光が本当に棟梁の器なのだと感じていた。
赤星武貫もそう感じたと話していたが、軍略を扱うに長けたものにそれを任せ、泰然としてそれを見ていられるのは将に将たる器だ。
この男にはそれができるのだと思った。
この頃、城隆顕はすっかり武光の器量を認めている。
隆顕は武光を「いくさ神」という評判の高い軍人としての力量もさることながら、一国の経営、政治、経済への目配りに優れた指導者である、ともみなし始めていた。
武光の率いる菊池は、想像した以上の途方もない高みを目指せるのではないか。
そこには何かきらめくようなとてつもないことが待ち構えているのでは。
城隆顕にはひそやかな期待が生まれ、その期待に刺激されて城隆顕の脳がこれまでにない働きを始めている。
 
翌日、逃げた川尻勢を追い立てるため、武光たちは別動していた友軍たちと合流した。
今回、初めて親王懐良(かねなが)が一隊を率いて先頭に立っている。
親王も二十一の若武者となっている。
制止する頼元を振り切って、武将どもの先頭に立ち、最前線へ出てきた懐良だった。
「あなたが最前線に立つことはないでしょう、およし下され、宮様!」
頼元が出撃しようとする懐良の袖を抑えたが、懐良は振り切った。
そして今ここにいる。
軍議の後、城隆顕に了解を得て、踏みとどまっている川尻勢に向け、懐良親王の一隊に掃討戦の指揮を任せることが決定された。
懐良が自ら志願したのだった。
川尻勢も昨夜の敗戦の仇を取るため、戦線を立て直して打ちかかってこようとしている。
武光率いる主力軍を背後に、別動隊を率いた親王が敵勢を前にする。
武光は背後からじっと見守った。
自分が親王をそそのかした。肥後のもののふを率いて戦う以上、宮様ずらは通用しない。
本当に菊池と一つになるなら命を賭けなければならない。
その時が来たのだ。
だが、武光の気持ちは割り切れていない。
胸が怪しく騒ぎ、不安でならない。
親王の透明な肉体を支配するはかなさに危うさを感じてしまい、荒々しいいくさ場に行かせることが耐え難くてならなかった。自分の背後にかくまって守ってやりたかった。
武光は駆けていき、共に駒を進めたい気持ちを必死に押さえつけた。
やがて、親王が大きく息を吐いた。
「鏑矢を射よ!」
懐良が叫び、鏑矢(かぶらや)が放たれ、敵兵が進軍の足を止め、強張った。
もっとも恐怖の一瞬だった。
「かかれ!」
叫ぶや否や、兵たちよりも先に飛び出していったのは親王だった。
これには中院義定や将士が慌てた。
「お待ちくだされ!」
「親王さま!」
親王が前線に立ったのもまさかだったが、真っ先に突撃されるなど、思いもしなかった。
親王に万が一のことがあれば、自分たちは腹を切らねばなるまい。
「お守りせよ!遅れるな!続け!」
中院義定が叫んで駆けだし、軍勢がそれに続いた。
背後に控えて祈っていた五条頼元も馬に鞭を当て、追った。
懐良の馬が敵軍に突っ込んだ!
太刀が振り回される。
親王はあらん限りの力を振り絞り戦う。
初めて人を斬撃した。
血がしぶいて顔が朱に染まった。
親王は虚しさを埋めようとしていた。
九州の荒々しい男たちに負けたくなかった。足利直冬にも。
たとえ命を失うことになろうと、おのれに対して何事かを証明しなければならぬと思った。
「うおおおおーっ!」
そこには皇統統一の使命も、父後醍醐帝の悲願もなかった。
夢中で相手を求め、馬で打突し、斬撃し、おめいた。
武光は後方で祈り続けていた。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。
 

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 

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