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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」63


第十二章      落日



八、

 
高良山を北朝軍が囲んで静まり返っている。
陣営から見晴るかす限り大地を埋めた壮大な軍隊が展開していた。
日が重なり、圧倒されて見下ろす南朝側の番兵たちは次第に気圧されてくる。
その気分が情勢を左右することを武光も親王も知っている。
しかし、今打って出ても勝ち目はない。
方策がないのだ。
 
軍議を開く懐良や武政、武将たちは焦っているが、なすすべなく沈滞している。
菊池の守り神、いくさ神といわれた武光の憔悴は菊池陣営を消沈させていた。
「敵は打ちかかってこぬ、…我らが自滅するのを待つ気なのか」
「この際、一気に打って出てはいかがか?」
「敵が多すぎる、…動けば動いた部隊が打ち取られ、かえって相手に付け入られよう」
「左様さのう…」
絶望感ばかりが募り、懐良にも武政にも名案はない。
武光の容態の重さが大きく響いて、希望的な作戦も観測も成り立ってこないのだった。
そこへ突然、武光が凄愴な顔で現れた。
「棟梁!」
「起きだしてこられて、大事ござらぬか?」
武光に賀ヶ丸が駆け寄り、支えながら床几に座らせた。
「武光、どうした?」
「今川了俊の寝首を掻き、敵味方の勢いを変じ申す」
なに?と、武光の表情を見て。何をする気か親王には分かった気がした。
「いったい何ごつを思いつかれたとか!?」
武政が言うが、武光が不敵な笑みを浮かべた。
「…今川了俊のやり口は呑み込めた、…我らを圧倒する気で陣営を展開し、あざとくも館を構え、周囲には路地さえできておる、…じゃが、そこに隙がある」
え?と、皆が注目した。
「おいが行って今川了俊の首を上げてまいる」
あまりな言葉に皆が愕然となる。
「そげなこつ、できるはずも」
「…やれる、…ただし、機会は一度、…相手がまさかと油断しおる間だけ、二度はなか、…鬼面党に手伝わせ、おいが行ってくる、誰も手出しはするな」
「何を言われる!わかった、親父様の言を入れて不意打ちをかけ申そう、じゃが、手練れを選んで送り込む、親父様がご自身でなぞ、あってはならぬこと、その身体で!」
武光が勢い込むが、ぎろりと睨んで微笑み、武光は退けた。
「…おいに先はなか、…最後の働きをしてみたかとじゃ、…この任務だけは人に譲れぬわい、…誰も邪魔をするな、見ておれ」
武光がそう言って立ち上がった時は、すでにそれを制し得るものはいなかった。
武光の背が伸びた。足元が定まり、体全体に力がみなぎっていた。
皆が唖然となった。こんなことがあるのか。
武政も、賀ヶ丸も、他の将士もなすすべなく見守った。
武光が部屋を去り、懐良がじっと見送った。
水干にたすき掛けをし、胴丸と草刷りをつけ、頭には烏帽子をいただき、背中に円寿国久を背負って武光は厩に入った。颯天が藁を食んでいる。
颯天に鞍を乗せ、鼻を撫でた。
「颯天よ、…最後につきおうてくれ」
颯天の目が武光を見返した。
「…すべてが夢だった気もするが、…もう一度生きる力はないな」
と苦笑した。颯天が何もかも呑み込んでいるという風に鼻を擦り付けてきた。
夜明け前に筑後川を渡り、急襲をかけ、敵を混乱に陥らせ、今川了俊を片付ける。それが武光の計画だった。生きては帰れまい。だが体は妙に弱っており、この先長く生きられる予感はない。であれば征西府の、菊池の捨て石になろう。そう思った。
そこへ懐良が自分の馬を引いてきた。
「親王さま!?」
懐良も水干にたすき掛けをし、胴丸と草刷りをつけただけの姿だった。
「武光」
と懐良が笑いかけた。共に行こう、奴の肝を冷やしてやろう、という。
これには武光が慌てた。
「親王様、お留まりくだされ」
だが、武光を見返した懐良の表情には異論を許さぬ決然たる意志がみなぎっていた。
「わしはお前と共に行く!…皇統統一も、九州王朝の夢も、…今は良い」
懐良が武光を見つめ、武光が見つめ返した。
懐良は涙の目でほほ笑もうとした。
やはり美しい人だと、武光は思った。
武光は懐良の顔を目に焼き付けようとしてじっと見つめた。
懐良も余人には察しられぬ思いを込めて見返した。
もはや交わすべき言葉はなく、ただ見つめ合う二人だった。
 
夜の筑後川を渡河した。
武光と懐良がゆっくりと馬を進めた。
浅瀬を探るのは黒い短袴に胴巻きと手甲脚絆をつけた筑紫坊他鬼面党員一〇数名だった。
大保原の時見つけておいた浅瀬の場所は多少変わってはいたが、問題なく渡れた。
武光は無闇に動き出した訳ではない。
そのチャンスはやはりたった一度しかないものだった。
圧倒的な優勢の状態で精神的に圧し潰しにかかった今川軍だが、動かない状態はどうしても油断を生ぜしめる。もっともだれきった刹那にその隙を突く。
無論成功の保証はない。一か八かの賭けには違いない。
だが、長く戦場に生きた武光には磨き抜かれた直観があった。
それが、今だ、と囁いていたのだ。
武光は数日前から猿谷坊に細かく準備の指示を出しておいた。
心得た猿谷坊は鬼面党員と共に下調べをし、計画を立て、この日を待っていた。
相手が構えた館と塀や路地が侵入者を許す隙になっている。
正面攻撃にチャンスはなくとも、暗殺部隊の暗躍は可能だ。
そして今夜、鬼面党員たちが先行して敵陣営の見張りを倒し、柵を倒し、侵入の道筋をつけていく。時間的にもこの瞬間、という刹那を狙った。未明の最も夜の深い時間だ。
武光、親王、鬼面党員と続いて敵陣営に迫った。
武光の颯天も親王の馬も足音を忍ばせ、鼻ぶるいさえしない。
今川勢の陣営はどこも静まり返っている。
無限といっていい広がりをもって設営されている。
ところどころには仮の館が建設されてかがり火がたかれている。
しかし、闇が生まれていた。
塀の連なりや陣幕の配置には影が生じる。
その影を伝って鬼面党員が走った。
鬼面党員は見張りの兵士に忍び寄り、口に手をかけてふさぎ、次々に殺していった。
死体は闇の暗部に引きずり込んで転がした。
そうやって猿谷坊の作ったコースを密やかに辿り、一行は今川の陣営奥深くに進んでいく。鬼面党の面々は見張りを片付けるや、わらを運んで油をかけていった。
菊池を奪回したあの日と同じ、放火の準備である。
いずれはそれが脱出路を形成してくれるはずとの計画だった。
武光と懐良は悠然と馬で進んだ。
未明、猿谷坊が掴んでおいた今川了俊の本営前にたどり着いた。
武光と親王、鬼面党員たちが猿谷坊の指示した所定の場所に待機した。
武光は、いつか合志一族に乗っ取られた深川の菊池本城を奪回した作戦を踏襲する気だ。
若い日の恐れのない冒険を、武光は思い返している。
だが今は息が切れ、足腰が震える。老いではないが、体は異変に見舞われている。
最後まで任務をやり負わせられるのか。
声もなく、武光が猿谷坊に合図を出した。
猿谷坊が上空に向けて火矢を放った。
その火矢が合図となって、広い今川陣営の各所に放火がなされた。
「宮様、参ろう」
「うむ!」
二人は愛馬の腹を蹴った。
眠りこけた今川了俊の本営に武光と親王、猿谷坊と鬼面党員が襲い掛かった。
折からの湿度に、館のしきみ戸は開け放たれている。
今川了俊の仮御殿に親王、親衛隊が切り込み、声もなく斬り倒していく。
酒で酔いつぶれていた武士たち、女官たち、郎党や雑兵たちが泡を食らった。
「なに!?」
「な、なんじゃ!?」
鬼面党員たちがその口をふさいで喉を切り裂く。
そこへ武光は颯天に騎乗したまま躍り込んでいった。
颯天が縁先へ躍り上がり、武光は頭を下げて奥へ突き進む。
足が立たないからで、武光は天井にぶつからぬよう、馬上から太刀を低く振るった。
寝ぼけ眼の武将たちが次々に首をはねられた。
悲鳴すら起こせないほどの素早さだった。
武光が上半身を左右に振って鴨居や御簾をかわし、颯天が部屋から部屋へ駆けまわる!
「う、馬!」
寝ぼけ眼の誰かが気づいた。
影のごとき襲撃者たちが声もなく暴れまわっている!
「な、なにごとじゃ!?」
「何が起きておるのか⁉」
次第に起きてくるものが増えてきたが、状況が認識できない。
馬のシルエットが御殿内で暴れまわり、誰もが狼狽して恐怖した。
親王は武光ほどうまく馬を使えず、馬を飛び降りた。
親王も太刀を振るい、猿谷坊や鬼面党員と共に次々に敵を切り倒していく。
隣の館で今川義範(よしのり)と作戦会議をしていた今川頼秦(よりやす)が異常に気が付いた。
「何の音でござろう?」
縁先へ出てみた頼秦は了俊の館に異変が起きていることを感じた。
塀越しで向こうの様子が見えないために詳細が掴めない。
いくさ場の陣営に仮とはいえ館を建てたことの弊害が起きていた。
耳を澄ませて悲鳴を聞き、太刀の打ち合わされる音が聞こえて、今川頼秦はやっと事態を感知できていた。
「敵襲じゃ!総大将の本陣が!周りの陣営に助けを呼びに走れ!」
やっと武将どもが駆けてきて、今川頼秦の言いたいことを受け止めた。
「了俊さまの元へ駆けつけよ!総大将をお守りせよ!」
武将たちが口々に叫びながら、太刀や槍、弓や長刀を取りに行き、隣の屋敷へ駆けつけようとした。今川了俊の館ではすでに将士たちが今川了俊の傍に駆け付けていた。
それを鬼面党員たちは物陰に隠れるように待ち伏せて次々と殺していく。
しかし、やがて将士の数が増えてその手が利かなくなり、乱戦となる。
「総帥をお逃がせしろ!義範様の館へ!」
「下士は楯となって防げ!」
さすがに了俊の周囲を固めた武士たちは剽悍で、了俊を逃れさせようと、了俊を囲んで庇いながら縁先から庭に飛び出した。
寝巻の了俊は狼狽していた。現実に生命の危険にさらされたのは生まれて初めてだった。
「なんじゃ、なにごとじゃ!?」
「殿様、こちらへ!」
這うようにして庭へ脱出する今川了俊だった。
その前へ武光と颯天が踊り出し、行く手を阻む。
「ええっ!?」
目の前に騎馬武者が立ちはだかり、夢かと疑い、了俊は茫然となった。
「今川了俊殿とお見受けいたす!」
「おぬしは!?」
「菊池武光」
了俊を見据えて武光が悠然と笑った。
「おぬしが⁉」
「お命頂戴!」
武光が太刀を振りかぶった。
「待てえ!」
了俊護衛の武士たちが武光に駆け寄る。
義範と頼秦も駆け付けた。
義範は武芸ができず、了俊の傍へ駆け寄り、身をもって了俊をかばった。
頼秦は腕に覚えがあり、武光の颯天に討ちかかっていく!
他の将士もそれに倣った。
颯天が後ろ足立ちとなり、前足で敵をけん制し、武光が延寿国久をふるって次々と武士たちを切り倒していく。駆けつけた親王や鬼面党員も乱戦に加わり、敵側は了俊をかばいきれなくなっていく。
「あわわわわ」
了俊と義範は泡を食らって逃げようとするが、颯天がすかさず回り込んでいく手を塞ぐ。
了俊が反対側に逃げようとし、さらにまた颯天が回り込んで行く手を塞ぐ。
「や、やめてくれ、危ないではないか!怪我をする!」
了俊は腰を抜かして馬上の鎧武者を見上げ、言葉にならぬ声を上げておびえる。
「おのれ、菊池武光!」
義範と頼秦が必死に切りかかり、馬上の武光を狙う。
武光はめまいをこらえ、崩れ落ちそうな身体を支えて颯天を操った。
闇の中の精鋭部隊の切込みに大混乱に陥っていた北朝陣営だったが、やはり多勢の利があり、次第に落ち着きを取り戻した上級武士たちが互いに呼ばわりながら、どうやら総帥今川了俊の仮御殿が襲撃されていることを理解し始めた。
「総大将の本営が襲われておる!」
「集まれ!お守りせよ!」
「総大将は庭じゃ!お助けせよ、絶対に討たれてはならぬぞ!」
「集まれ!庭へ集まれ!」
鬼神のごとく戦う武光と親王、鬼面党員だったが、近くの陣営からもどんどん加勢が駆けつけてきた。鬼面党員たちは自分たちが楯になり、武光と新王が了俊を追うことを容易にしようとする。猿谷坊も死に物狂いで戦う。
「鬼面党員は楯になれ!ご両所をお守りせよ!」
了俊の仮御殿内部の鬼面党員と、駆けつけた今川軍の将士たちとの乱戦が激化している。
同時に武光と親王が了俊に迫る構図が明確となってくる。
しかし、すばしこい将士は鬼面党の防衛ラインをかいくぐって武光、親王の背後に迫ろうとする。そこへ駆け入ってきた猿谷坊が二人を守って手裏剣を放ち、カバーする。
だが、すでに武光と懐良親王は取り囲まれつつあった。
武光の身体が震え、もはや限界に近かった。
敵の刃が迫る!



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

 〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇菊池武安
征西府幹部。
 
〇賀ヶ丸(ががまる)
武政の子で武光の孫。のちに菊池武朝となって活躍する。
 
〇良成親王(よしなりしんのう)
後小松天皇の皇子で、九州が南朝最後の希望となって新たな征西将軍として派遣され、懐良親王の後を継ぐ予定の幼い皇子。
 
〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。
 
〇今川義範
今川了俊の息子の武将。
 
〇今川頼奏
今川了俊の弟の武将。

 〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。
 
 

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