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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」25


第五章  懐良と美夜受


一、


武光が獲得した領地の田畑は深川から大琳寺(だいりんじ)、西寺の荘園近くにまで広がっていた。折しも農作革命の時期と重なり、春の稗や粟と夏場の米が二毛作可能となり、牛や馬が使われるようになっている。農事は当時の先端ハイテク産業となっていた。
今初夏となり、新しく開かれた田でも村中総出で田植えが行われる。
ここ数年来、田植えは神事として晴れやかなイベントと化しており、お囃子や太鼓で男たちが舞い踊り、美しい晴れ着に身を包んだ女たちが早乙女として一斉に並んで田植えを行う。雇われてきた田楽法師も出て陽気に囃し立てる。


23,赤星の田植え小



「陽気もようて、めでたき田植え日和でござる」
晴れ上がった陽気に誘われ、親王と護衛の中院義定が護衛付きで見物に来ている。
美夜受も美しい装いでしたがっていた。
五条頼元が懐良に菊池に馴染んでもらいたいと企画し本家の武澄が案内した。
懐良には陽気な菊池の人々の営みが好もしく思われたが、リラックスして笑顔を見せるほどには心を開いていない。懐良には根深い鬱屈がある。それでも絹の水干に烏帽子が似合い、懐良がいるだけで水田が明るく晴れやかになった。
男たちは晴れがましい思いで張り切り、女たちは親王を意識して浮き立っている。
「宮さま、早乙女どもの晴れやかなこと、御覧なされませ」
懐良は無表情なままに眺めいたが、突然武光が男たちの舞いに駆け込んできた。
ひょうきんな田植え踊りを踊り舞い始め、囃子方たちが合わせて学曲を賑やかなものにした。くっついてきた緒方太郎太夫も負けじと踊る。
女たちが一斉に笑い、田んぼはさらに活気づいた。
「武光様、うまかねえ」
「もっと舞え、もっと!」
十郎だったころから武光にはこんなひょうきんな一面があり、在所の男たちには恐ろしがられたが、すっきりした目鼻立ちもあり、女子供には人気があった。
武光の存念は分からない。親王へのサービスだったのか、あるいは自分自身を菊池に売り込みたかったのか、ただ楽しみたかったのか。なんにせよ、土地の者たちに受けた。
すると、何を思ったか、親王が進み出て太鼓を取り上げ、自分で叩き始めた。
皆、あっとなって見やったが、親王には天性のリズム感があったもののようで、たちまちお囃子のリズムを掴んで軽快に打ち鳴らした。
それを見て、むっと対抗意識を燃やし、武光が負けじとひょうきんに踊りだす。
懐良は武光を見やり、武光に張り合うように太鼓を叩く。
武光と親王コンビの田植え神事はかつてない興奮を一同に与え、田植えは進んだ。
女たちは美しい親王を見やって心を弾ませ、武光のエネルギッシュな体の使い方に笑い転げる。子供たちまでが武光の真似をして踊りまわり始めた。
この前後の数年は武光の生涯で最も幸福な時代といえるかもしれない。
いくさの数も少なく、菊池が本当に自分の故郷になっていくことを実感できた。
この美しく広大な大地を、武光は本当に愛し始めていた。
一人、美夜受だけは冷たい目で武光を見つめている。

院の馬場は「いぬのばば」が転化した名前だといい、「犬の馬場」だったという。
つまり犬追物(いぬおうもの)による訓練が行われた馬術や矢による射撃の訓練場だ。
今日も武者たちが犬追物をして射撃の腕を磨いている。
武者たちは逃げまどい怯え吠え立てる犬どもを、先を布でくるんだ矢で射立てる。
それを横目に武光と懐良は馬による打突でしのぎを削り合っている。
あれ以来武光と懐良親王は、武光指導で武闘訓練を続けている。
それには今でいう追っかけが出て、女子供や後家さんたちがいつも現れた。
そして一々歓声を上げたり悲鳴を上げたりしてはしゃいだ。
武光は颯天と共に親王と馬を追い詰めてゆく。
背後に回り、追い上げ、体当たりし、離れては再び打突する。
勢いは抑えてあり、なぶるような仕打ちと言えた。
挑発に乗ってむきになった親王を、武光は容赦なく追い詰める。
「もう、やめて!」
「ひどか、武光様」
「ああたは鬼か!」
見物の女子供が悲鳴を上げて泣き顔になる。
必死の形相で食らいつく親王に武光が叫ぶ。
「打突(だとつ)、鎧(よろい)での馬の乗り降り、剣も弓も膂力(りょりょく)がすべて、馬を落ちれば」
懐良が馬から突き落とされ、颯天から飛び降り、武光が笑いながら近づいていく。
飛びついて組み伏せ、押し倒し、膝をかけて懐良の肩を抑え込んでしまう。
持房や種房ら親王の従者たち、「無礼な!」と激怒する。
武光に駆け寄る中院義定(なかのいんよしさだ)だが、親王が制した。
「義定、構わぬ!」
といい、武光を睨み上げた。
「ほざけ、武光、わしは武士に引けを取るつもりはない」
武光を突きのけ、親王は自らの力で反発しようと立ち上がる。
武光には女子供の前で恥をかかせようという意地悪な態度が透けて見えている。
「武光様のバカ!」
だが、武光の内心はただの意地悪な気持ちだけではなかった。
懐良をいたぶろうとしていたが、そのサディズムには裏側の感情が潜んでいた。美しさで自分を圧倒してくる懐良を撥ね返したかった。
叩き伏せることで懐良に引きずり回される自分の心を突き放したかった。


5、院の馬場小



その時、のっそり進み出たのは赤星武貫(あかほしたけつら)だった。
「武光殿、腕自慢のようじゃが、おいにも一手ご指導いただきたか」
菊池一族の内部が武光旋風に翻弄され、それに対して未だに納得のいかぬ勢力は密かに反乱を企てているという噂があって、武光は赤星武貫には根強い敵意があると警戒していた。警戒しながら身構えて訊いた。
「弓か、剣か?」
武光が不遜に笑って武貫を見据えて訊いた。
「組み打ちがよか」
武光は五尺八寸の長身だが、武貫は六尺二寸の巨大漢だ。
「ほうか、それなら」
よそ見して油断させておいていきなり武光が組み付いていく。
武貫は体のわりに動きが素早く、武光を簡単にかわしてしまう。
む、となった武光は身構えて相手の隙を狙い、回り込む。
武貫が身構えながら、にたりと笑った。
激しい駆け引きが展開され、組み合い、のしかかり、引き倒し合う。
殺気をはらんだすさまじい戦いに、周囲が静まり返っていった。
本気で相手を殺しかねまじき武貫の攻撃は鋭い。
中院義定は明らかに武貫は武光を潰しにかかろうという魂胆と見た。
当時の将士は誰もが鎧着用の上、戦場で相対した敵を組み伏せる為の技を磨き上げている。この闘法がやがて古流武術各流派に完成されていく。
両者は技を尽くして戦うが、やがて膂力に勝る武貫が圧倒し始めた。
かわされ、足払いをかけられ、起き上がったところを叩きつけられた。
「ぬしゃ!」
カッとなってタックルに行くが、帯を取られてひっくり返された。
ついには武貫が息の上がった武光を組み敷き、武光は身動きを封じられた。
「うぬ!」
下からあがいてくる武光を見て、これまで振り回されてきた怒りにかられ、拳骨を叩きこんでしまう赤星武貫。皆がはっと強張った。
武光の鼻と口から血が噴き出している。
動けぬ棟梁を上から殴りつけるなど、やりすぎだ。
「赤星様、おやめくだされ!」
居合わせた人々すべてが、武光がどう出るか緊張する。
颯天の轡(くつわ)を取っていた太郎が激怒して太刀に手をかけた。
武貫は武光を見下ろし、これまでこらえた感情を爆発させた。
「殺すなら殺せ、許しは請わんぞ」
そう言って武貫が武光を解放し、武光は緒方太郎太夫に歩み寄り、その腰から抜刀して武貫の元へ戻った。太刀を武貫の首に突きつける武光。
「斬れ、この首くれてやる」
武貫が言い放ってどっかと座り込み、首を伸ばして武光が切りやすくした。
「おう、よか覚悟じゃ」
居合わせた全員が息をのんだ。
中院義貞が息をのみ、懐良が青ざめて睨み付けた。
じっと武貫の覚悟を見極めようとする武光。
武光は振り上げた刀を打ち下ろす。
女たちから悲鳴が上がった。
だが、首の寸前で刃はぴたりと止められた。
「その首、確かにもろうたばい、当面預けておく」
え?と武貫が見返ると、武光は笑っている。
こういう時、見栄や虚勢を見せず、からりとした対応ができることが武光の武器だった。まっすぐ武貫に笑いかけ、尊敬の念を込めて手を出し、助け起こそうとした。
「武貫、確かにぬしゃ強か、…以後、将士、雑兵を問わず、武芸の指導をしてくれ、菊池の男どもを鍛えなおしてくれや」
飛び地に見捨てられ、恵良惟澄に庇護されながら生き抜いてきた武光の苦労人としての面目躍如たるところで、さわやかに負けて見せて相手の心を掴む人たらしの術だろう。
同じ苦労をしてきても、誰にでもできる芸当ではないが。
だが、赤星武貫は甘くなかった。武光の手をはねのけて自分で立った。
「いつか見届けてやるばいた、ぬしの正体をの」
言い捨てて立ち去った。
武光が見送りながら笑った。
「しぶとかのう、赤星武貫、組み伏せがいがあるわい」
その言葉を聞いて、中院義定(なかのいんよしさだ)はほほう、と武光を見やった。武光のその態度が年に似合わず練り上げられていることを悟り、見直している。
「…なるほどな」
この仁は、やはり大きく人を動かせるかもしれない、と思った。
武光が親王に照れたように笑いかけたが、懐良は軽蔑のまなざしで見た。
武士というものの荒々しい在り様にはとことん虫唾が走った。
荒くれたやり口で互いを貶めあう奴らだ、と思った。
表面臣従して見せても、いつ裏切って本性をむき出し、自分を殺したり、捕縛して北朝側に突き出すのかと恐れ、武士の傍にいて安眠したことはない。
懐良には武光も同じ穴の狢(むじな)だった。乱暴で野卑で、デリカシーがない男と見えている。だが、それに押されておびえてしまえば、五条頼元が心配するように、自分も宮家の権威も舐められてしまうだろう。都にいればそれで済むかもしれないが、この九州では違う。奴らに対抗し、向こうを張って勇気を示さなければならない。何としてでもこの菊池を、菊池武光を組み伏せなければならない。そして手足のごとくに使うのだ。
南朝の隆盛のため、そこから始めなければならない。
武光が太刀を太郎に投げ渡し、懐良にいたずらっぽい笑顔を向けた。
「宮さま、早駆けいたそう」

帆を立てた廻船がゆっくりと川を下っていく。
菊池川べりへ武光と親王が馬を駆けさせる。
「遅か遅か!」
むきになって武光を追う親王だが、笑いながら先を行く颯天の武光。
負けじと馬に鞭を入れる親王だった。
この武光に食らいついていくしか自分が生き残る道はない、と思った。
いつかこの男を圧倒する。その一念に凝り固まっていった。
颯天は気持ちよさそうに駆け、どこまでも馬を疾走させる二人だった。
美しい菊池の夕日が二人を包む。
壮大な平原を蛇行しながら河口を目指す菊池川は西に向かって伸びており、夕日は川沿いを下れば前方に沈んでいく。周辺に山はなく、夕日は視界の限りを朱に染めた。
自らも朱一色となりながら、振り返ってはっと息をのむ武光。
むきになって馬を駆る親王の髪が風になびいている。
親王の目は武光を睨みつけている。
この時もまた武光は親王を美しい、と思った。
産毛までが夕日の金色に染まり、親王の顔を輝かせているようだ。
どうかするとこのまま菊池の風となってかき消えてしまうのではないか。
そんなはかなさを感じて、胸に痛みが走り、武光は慌てて自分の妄念を振り払う。
二頭の馬と二人の若者は走り続ける。
地の果てまでも駆けられる、と武光も懐良も思った。
日はあとわずかで落ちて消えるだろう。
武光には、この瞬間は永遠につながるものに思えた。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇菊池武澄
武光の兄。思慮深く、武光をサポートするが、身体が弱いために菊池一族のリーダーに立てない。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇五条頼氏
頼元の息子。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。





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