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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」⑦


第1章    豊田の十郎

五、


均吾の知らせで、作務(さむ)を途中で投げ出して、探題館のすぐそばの犬射の馬場に駆けつけた十郎と均吾、太郎だった。
 聖福寺の大方元恢に当て身を食わされて足止めされてから一〇日ばかりも後のことだった。探題館は残党狩りに血眼になり、菊池にまで攻め込もうとしていた。
 忠義ずらで北条探題の歓心を買おうと菊池狩りをする諸族もあって剣呑(けんのん)な空気が続いた。
 巷間(こうかん)では北条勢に斬りたてられての壮絶な最期だった菊池武時のことは評判になっていた。だが、その首がさらされて、勇壮な最期のことがかすんで悲劇になってしまっている。
 この時、戦死した菊池頼隆の妻の悲劇なども伝わっているが、ここでは語るまい。
 夫の霊が乗り移っての愁嘆場だが、十郎との関わりはない。
「謀反人(むほんにん)等の首、菊池二郎入道寂阿、子息三郎、舎弟、二郎三郎入道覚勝」
 柵の上に並べられた菊池の人々の首の脇に高札が掲げられてある。
 あの懐かしい武時の顔が首となって置かれ、十郎たちは髪が風になびいているのを見た。
 噂通りの父や郎党のさらし首を見て十郎は怒り狂った。
「…取り戻す、…菊池へお連れする」
 首を奪いに進み出ていこうとするので、均吾と太郎が慌てた。
 周囲の見物人たちが十郎を見返る。
「やめろ」
 均吾と太郎が十郎の袖を引き、その場から離れようとするが、十郎が振り払う。
 探題館の兵が怪しみ、近づいてくるので、均吾と太郎の心臓が早鐘のように鳴る。
「小坊主ども!寺の仕事をさぼると承知せんぞ!」
 そこへやってきたのは大方元恢(たいほうげんかい)で、十郎の襟首掴んで連れ戻す。
 探題館の兵たちが怪訝に見送ったが、坊主に引きずられていく子供を見て鼻で笑った。
 引きずって行かれる子供が菊池武時の息子とは気づかなかった。
 その後も聖福寺僧堂で修行僧と同じ生活をした十郎、均吾、太郎たちだった。
 三人とも必死に働いて作務をこなした。
 暁天打座(ぎょうてんたざ)、朝課(ちょうか)をこなし、作務(さむ)をし、食事も僧たちと同じに応量器(おうりょうき)を使い偈(げ)を唱えて頂く。
 各種鳴らし物に従って規律正しく行動した。
 探題方による菊池残党の探索は厳しく、まだかくまわれて動けない。
 菊池へ向かうものへの詮議が厳しく、見つかればただでは済まない。
 大方元恢が管主の秀山元中(しゅうざんげんちゅう)に頼み込み、十郎たちをかくまってくれていた。秀山元中は修行の進んだ高僧で、武家を恐れることなく当たり前のように子供たちを養ってくれた。ただ、禅について学べという条件を付けた。
 それで他の修行僧と同じ日課をこなしている三人だった。
 さらに六〇日ばかりが過ぎたある日、博多でまたしてもいくさが起こった。
 今度は宮方の武将たちが寄ってたかって北条探題館に攻めかけたのだった。
 その騒ぎにお坊さんたちが修行を忘れてざわついている中、再び均吾が使いから戻って十郎と太郎に報告をした。
「探題館が落ちたぞ!少弐と大友、他の武将どもが大軍で押し寄せたのじゃ!」
 少弐、大友が鎮西探題を滅ぼしたと聞いて驚く十郎。
「少弐、大友、あ奴ら、どがいな神経をしておるのじゃ!?」
 中央では鎌倉幕府が、足利尊氏を使った後醍醐帝の宮方に攻められて追い詰められ、落ち目だとのもっぱらの評判だった。その為だろう。菊池を裏切っておきながら、大勢を見て今度は探題を討つ。不条理でしかなかった。
「では、親父様はなんのために死んだ!?あの時奴らが今日のこの動きをしていてさえおれば!」
 人は信用できない、身勝手だ、おいは誰をも信じない、と十郎は身もだえする。
「…少弐、大友、…あやつら、いつか必ず」
 とはいえ、憎悪をたぎらせながらも、やはり動けず、聖福寺に日を送るしかない。
 大方元恢はひたすら十郎たちを作務に追い使い、座禅を務めさせた。
「十郎、均吾、太郎、何をしておるか、もう皆揃うておるぞ」
 十郎を急き立て、均吾と太郎は僧堂に駆け込み、与えられた単に座る。
 臨済宗は観話禅(かんなぜん)である。初入の学者に対しては狗子仏性(くしぶっしょう)の公案が授けられる場合が多い。
「恨みなぞ小さい、無を見よ、十郎、犬に仏性はあるのか?お前に仏性はあるのか?無い、犬にもお前にも仏性なぞない、なぜだ?なぜお前には仏性がないのだ?」
 だが、怒鳴っておいてすぐに居眠りを始める。
 年中酒浸りで、酔っての居眠りなのだが、なぜか時間が来ると目を覚まし、修行僧たちに「経行(きんひん)!」なぞと怒鳴りつけて指示を与える。
 均吾と太郎も座るが、足が痛いばかりで身動きしてはならぬという座禅というものに阿保らしさを通り越してうんざりしていた。思うのはうまい団子や握り飯のことばかり。
 十郎の場合は座禅の中、父の死のイメージや合戦の狂気、恐怖と怒り、悲しみが奔流となって渦巻く。笑いかけた武時の笑顔。
「十郎、菊池を頼むぞ」
「父上!」
 そこに覆いかぶさるのは冷酷な悪魔、少弐貞経の笑い声だ。
 目を血走らせ、狂笑するその姿に、十郎はすくめられ、恐怖のために金縛りにあう。
 その金縛りから逃れようとして絶叫する。
「うああああーっ!」
 均吾と太郎は僧たちの手前、うろたえながら十郎を抑えにかかろうとするが、はねのけられた。喚いて立ち上がり、履物を取って鎮座する文殊もんじゅ像を睨み付けた。恐怖と怒りと無力感に押し潰されそうになって、負けまいとしてまた喚く。
「なんが文殊か、何が仏道か!太刀を寄こせ!馬を貸せ!」
 文殊像に履物(はきもの)を投げつけた。
 その履物を拾い、にこやかに見やるのは尼かと見まがう痩せぎすの老僧で、大方元恢の師の秀山元中だった。十郎の苦しみを柔らかい眼差しで受け止めながら言う。
「苦しいか、恨めしいか、菊池の災難が、武時公の死にざまが」
 覗き込まれてなぜか恐怖を感じ、怯える七歳の子供に元中が畳みかける。
「逃げるな、十郎、その苦しみに真っ向から立ち向かい、恐れの正体を掴め」
 気が狂いそうな圧を感じて必死に喚き返す十郎。
「くそ坊主、寝言を抜かすな!」
 穏やかだった元中のまなこがかっと見開かれた。
「恐れは汝が作り出す幻じゃ、父母未生以前(ふもみしょういぜん)本来の面目に恐れなし!」
 仁王様より恐ろしい目で睨まれて、十郎は爆発したように泣き出した。
 地べたを転がりまわって泣きじゃくり、喚きまくる十郎。
 十七歳の今日の座禅にもそんな記憶が荒れ回る。
「うあああああーっ!」
 と、十郎が吠えて転げ回った。

 博多の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵も、父が炎に飲み込まれて消えるあの姿も、少弐貞経の悪魔じみた姿も、十七歳になった今でも決して消えてはくれなかった。
 当の少弐貞経(しょうにさだつね)が打ち取られてしまっているからこそ、始末が悪かった。 座禅をして安らぐどころか恐怖や怒りや果ては狂気までがこみ上げてきて乱れ、明け方の陽が昇るころ、緑川べりの岩の上で疲れ果ててやっと眠れるのだった。
 十郎に今確かな望みは一つ、いつか少弐や大友と戦い、父武時の恨みを晴らすことだった。仇の張本人と目した少弐の入道妙恵(貞経)が死んでいても同じことだった。
 その少弐は足利尊氏側についている。大友もだ。
 だから十郎は足利尊氏の一味を嫌った。理屈ではない。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池15代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

〇緒方太郎太夫 幼名太郎。生涯を武光に仕えることになる幼馴染。

〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が聖護寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。

〇秀山元中(しゅうざんげんちゅう)
聖福寺の高僧、後に大方元恢と共に正観寺開山として菊池に招かれる。




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