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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」24


第四章    暗殺隊


四、


明け方が迫っており、高燈明の火はすでに消えている。
菊の城の奥の間で落ち着かぬ慈春尼と武隆が宗十からの知らせを待っている。
武隆はウトウトしかけているが、慈春尼は神経が冴えて数珠を手繰っていた。
この深夜、表に人の気配がした。
慈春尼は反射的に腰を受かしていた。
「宗十かえ?」
「慈春尼様、おいでござるよ」
その声に慈春尼はぎょっとなって硬直した。
酒徳利を持って入ってきたのは武光だった。
愕然たる慈春尼は硬直してしまう。
武隆が目を覚まし、武光を見てうろたえた。
這いずって背後に立てかけてあった太刀に手を伸ばしたが、武光の声が制した。
「武隆殿、一献いこう」
武光は懐から盃三つを差し出し、徳利から酒を注いだ。
「互いに眠れぬ夜は昔語りがよか、親父様、武時公の思い出など聞かせてくださらんか、…おいは共に暮らしたこつがなかで、思い出らしきものがなか」
盃の一つを慈春尼に、もう一つを武隆の前に押しやった。
警戒心と緊張と憎悪で慈春尼は体を震わせた。
「…こげな夜中に奥の間まで忍んで来るなぞ、無礼であろう!」
構わず杯を口に運び、笑った武光。
「おいの思い出といえば、博多の夜のこつだけじゃ」
武隆も慈春尼も何を言い出すかと硬直して動けない。
「尼御前(あまごぜ)、親父様んこつを聞かせてくだされ」
慈春尼が憎しみを込めて言い放つ。
「お前と分かち合うべき思い出なぞなか!」
慈春尼を見やった武光の顔には頼りなげな寂しさが浮かんでいる。
慈春尼は、う、と思わず胸を突かれた。武光の声には物悲しい響きがある。
「親父様はわしに菊池を頼むと申された、…そいがかけて頂いた最後ン言葉じゃった、…菊池を頼む、…おいにはその言葉だけが親父様とのつながりじゃ、…じゃから、おいは親父様に応えたか、…菊池を守り、…末代まで栄えさせたか、…こん気持ちに偽りはござらぬ」
「それがなんじゃ?」
憎しみをぶつけて慈春尼は思いを吐き出す。
「お前には本家の意味が分かっておらぬ、菊池とは本家のことである、武重が跡を取り、武士(たけひと)が継いだ、その跡を継ぐのはこの武隆か、武尚、武義、さもなくばその子らでなければならぬ!お前にはその資格はなか、お前は、お前は豊田の女の」
「…いつかお返ししてもよか」
え?となって慈春尼が武光を見つめた。
「それだけではない、…いつかあなたに討たれてもよい、…ただその前に果たしたいことがあるのじゃ、…少弐と大友を討つ」
慈春尼と武隆は言葉の意味を探った。
「親父殿の仇敵(かたき)を討つ、…それまでは死ねぬよ」
武光が厳しい顔を上げて、はっと身を固くした慈春尼と武隆だった。
慈春尼はこの時、武光にすべてが漏れていると直感した。
ことは露見し、未然に防がれてしまった。がくがくと震えが来た。体中から嫌な汗が噴き出した。表には兵が押し寄せているのではないか。
殺される!
「…親父殿の無念を晴らす為には、まず菊池が生き延びねばならぬ、…生き延びるには欲得では無理じゃ、…志が要るばいた」
と、武光が慈春尼と武隆に向き直った。
「…皆が一致団結するには志なのじゃ、…だけん南朝に賭けるち決めた、…有利な道ではないが、右往左往するものに掴める未来なぞ知れておる、…奴らを討つことなぞできぬ、…おいを信じてくだされ、…結果を出しもうそう、そいでそん時は貴方の前にわしの首を差し出し申そう」
言葉を失う慈春尼と武隆は今にも武光から死を宣告されると思った。
長い間をおいて、寂しい笑みを残して武光が立った。
静かに出て行ってしまった。徳利が残されている。
取り残されて恐怖に固まり、座っている慈春尼と武隆。
静寂が続いた。
何も起こらない。
どういうことなのか。ことが露見したと思ったのは勘違いか?
武光は本当に武時の思い出語りをしたかっただけなのか。
そんなはずはない。武光はすべてを知って責め立ててこなかったに違いない。
後で罪を突き付け、処断を言い渡す気なのか!?
違うだろう、今斬って捨てることが一番明快であと腐れがない。
慈春尼はあらゆる可能性を考えて、武光の真意を推察し、結論にたどり着いた。
武光は不問に付す気なのだ。それも下手に出て穏便な解決を図っている。
菊池を支配していくための政治的決断だろう。
慈春尼が怒りをこらえて手の中の数珠を握りしめ、引きちぎった。
数珠の球が部屋中に散って転がった。
「…許せぬ、豊田の十郎、…あ奴の器量はぬしなぞよりはるかに上じゃ!」
え?と武隆が慈春尼を気弱に見やった。
「…菊池をすべるには、あの器量が必要かもしれぬ、じゃが、だからこそ許せぬ、…わしは生涯あ奴を憎む、…菊池の棟梁はあ奴にやらせよう、じゃが、あ奴を許さぬ!」
慈春尼の頬を滂沱の涙が流れた。
武隆は気まずくうなだれて言葉がない。


10、菊ノ城の館小


まばゆい光が深川の街並みを照らし出している。
太陽はすでに鞍岳の上に登っている。
菊の城の裏手から、武光が出てきた。
その武光の前に太郎と筑紫坊が姿を現してくる。
二人とも血にまみれ、太郎は包帯で肩を吊っている。
太郎の無事な姿を見て、武光は密やかに安堵のため息を漏らした。
「復命せよ」
武光の言葉に、筑紫坊につつかれて太郎が答える。
「長谷部山城守を打ち取り申した、敵勢死者十七、重症十八、じゃが、長谷部の家来十三名と、矢敷宗十は逃してしまい申した、我が方の犠牲は重傷三、軽傷七、死者はありまっせん」
武光の顔に喜色が浮かんだ。最悪菊池側と大友勢が相打ちで滅んだとしても、暗殺は未然に防げる訳で、そこまでの勝算はあったが、情としては皆に生きてほしかったし、太郎に手柄を立ててほしかった。その太郎が怪我は負っても元気に戻ったのだ。
硬くなって申告する太郎の肩を、武光ががっしりと掴んだ。
「よか、十分じゃ、ようやったのう太郎、いや、緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)」
太郎がえ?と武光を見やった。
「今日からおまんは苗字持ちじゃぞ、穴川からの敵を打ち取ったのじゃから、おまんに穴川を領地として与える、家を構えて郎党を持て、これを、感状じゃ」
感状(公式な手柄の認定書)を差し出した。宛名には緒方太郎太夫とある。
受け取って、字は読めぬながら、太郎は感激してあえいだ。
「お、おいが緒方!」
「おお、太郎太夫じゃ、緒方は豊後に伝わる名家の名ぞ、不足はあるまい」
「立派な名前じゃのう!」
筑紫坊が大笑いした。
「系図も作れよ」
と笑われて、感激してうれし泣きする緒方太郎太夫が、おおおおお、と泣き崩れた。
この時、筑紫坊がはっと背後に身構えた。
姿を現してくるのは城隆顕(じょうたかあき)だった。
クールなまなざしで武光主従をじっと観察した。
「…何やら騒動があったげな」
「なんのことかのう」
武光が笑ってごまかしたが、城隆顕は鋭く突き付けてくる。
「慈春の尼御前(あまごぜ)をどうされるのか」
どうもなにも、ただ酒を酌み交わしてきただけじゃよ、と笑ってごまかしたが、城隆顕は鋭く言う。
「…本家と事を構えられるなら、心されよ、おいは菊池本家をお守りする覚悟じゃ」
武光と城隆顕が睨み合った。
武光は真顔になった。
「今が菊池の正念場、分裂は破滅を招く、わしは必ず菊池を繁栄に導く、古いものにこだわる勢力は時代に対応できん、必要ならわしは鬼にも蛇にもなる、…たとえ父武時の奥方といえど、断罪すべき時には容赦はせぬ」
武光と城隆顕の目が激突して火花を散らしている。
「…じゃからこそ自重してもらいたか、あのお方ご自身にそれができぬとあれば、寄合内談衆がお相手をし、二度と過ちを起こさせるな」
武光の目にはそれを不服とするなら、おぬしとの対決も辞さぬ、という意思がある。
城隆顕は武光のまなざしに不退転の決意を見て取った。
言い捨てて武光が立ち去り、太郎と筑紫坊も去った。
城隆顕は圧倒されて声を失って見送った。
武光の後ろ背を見つめ、この男には確かな器量がある、初めてそう感じた。

事件はこれで一応の決着を見た。
この時の太郎への武光からの感状が今に残っている。

「その元、数度の軍功、あへてかぞうべからず、ことにこの度、勇戦を励み、長谷部を追い散らし候事、菊池郡のうち、班蛇口郷を加増いたし候、依って証状くだんのごとし

  正平二年三月〇日
      肥後守武光  花押

   緒方太郎太夫殿」


「数度の軍功、あへてかぞうべからず(あえて数えるまでもなく)」とあるのは、武光から太郎をからかった言葉であったろう。感状でふざけるほど、武光には太郎はかわいい家来であったということか。




《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇慈春尼(じしゅんに)
武重の妻、息子の武隆を一五代棟梁に望み、様々に画策する。

〇菊池武隆
武光の兄。慈春尼の息子で、第一五代を狙う。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。









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