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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」・16


第三章  征西府(せいせいふ)の旗揚げ


一、

海からの襲撃は突然で、島津勢は驚き混乱した。
上級将士までが兜(かぶと)に鎧(よろい)はつけても、尻はしょりをして兵士を指揮する様は異様だった。
島津の東福寺城を牽制する忽那、河野、村上の瀬戸内海族軍団の群れだった。
東福寺城は島津の主力が詰める城であり、この睨みが親王一行に圧力をかけて動きを封じていた。その城の前面に展開する集落は既に火がかけられ、混乱の極みにある。
相当な数の小早が集落前の浜に乗りつけられ、兵士たちが襲撃にかかっている。
整然たる統率などまるで見えない乱暴狼藉ぶりで、城へとりつき縄を投げ、梯子をかけて乱入し、矢を射かけ、得物をふるって相手を打ち殺して回る。
城からは不測の事態を島津の他家に知らせたり、救援部隊を呼びに早馬が各方面へ散っていく。あくまで牽制なので、海族衆の側には城を取るつもりもなければ城主の首を上げるつもりもない。実を言えば、その騒ぎの間に征西将軍(せいせいしょうぐん)懐良親王(かねながしんのう)とその手勢が島津氏の目をかいくぐり、とある湾から沖の軍船へ小早船をこぎ出していたのだった。
忽那(くつな)水軍の船三〇艘に守られ懐良親王と頼元たちが薩摩を脱出していく。
海賊衆の軍船といっても未だ特別なものは開発されておらず、後の時代の小早船や関船に似たようなものが工夫されつつある時代だった。
安宅船(あたけぶね)のような巨船もあったという説もあるが定かではない。
今、安宅船ほどの規模のものはおくとすれば、小早は水夫二〇名に兵士が一〇人程度、関船は水夫四〇人に兵士が三〇人程度乗船できた。
護衛についた三〇艘がその規模のものだったとすると、小早二〇艘、関船一〇艘と仮定して護衛についた兵士は約五〇〇人程度だろう。
親王一行はそれに守られて肥後を目指した。

懐良一行は河野水軍に送られ海路宇土の津へ入った。
懐良親王の一行を出迎えた側の代表者は豊田の十郎であった。
宇土の海上に忽那の軍船が浮かび、小早が砂浜にこぎ寄せ、谷山の将士に守られた征西将軍一行が上陸してきた。
周囲に幔幕を張り巡らせて武士団に警護させ、砂浜に盛装した武士団が平伏している。
十郎は武澄、武尚、武義ら若手を引き連れ、正装で浜にひれ伏した。
恵良惟澄も配下を引き連れて平伏している。
五条頼元や中院義定に守られ、小早を降り立ってくるのは十七歳になった親王だった。
「面を上げられよ、菊池武光殿」
頼元が呼び掛けた。十郎はあえて菊池姓を使い、武光と名を改め、菊池の棟梁としての威儀を示していた。今日まで菊池の衆に対し、強引に懐良親王受け入れを申し渡し、準備をしてきた十郎だった。五条頼元も決意し、菊池に賭ける腹を決めて打ち合わせを重ね、今日を迎えていた。菊池の衆が十郎棟梁就任を受け入れたのは、征西将軍牧の宮懐良との交渉を締結させ、菊池入りを決定した功績のためだった。
反対者もあったが、後醍醐帝の皇子が渡ってこられるという事実は菊池の人々を畏敬させた。それを実現させた十郎の手腕に誰も逆らえなかった。
いずれにせよ危ない橋ではある。
「鎮西の宮、征西将軍、牧野宮懐良(まきのみやかねなが)様、お渡りである」
五条頼元に促されて顔を上げた十郎(二〇歳)と親王の目が絡まりあう。
皇家に遠慮こそあれ、気後れするなど肥後武士の名折れだと思うから、十郎は親王とやらをしっかり見届けようと傲然目を上げた。
ところが、はっと胸が騒いで平静さを失った。
そこにいたのは百面の貴公子そのまま、透き通るような肌のほっそりとした若武者だった。少年から大人に脱皮しようという危ういはかなさが、色合いの美しい水干の上に鎧を着こみ、烏帽子姿で進み出た。
「征西将軍、牧の宮懐良(まきのみやかねなが)である」
透き通ったその目で見られて、思わずぼうっと見つめたものの、次の瞬間、情けなくも思わず目を伏せていた。卑屈か!?とおのれに怒りを感じ、無理にでも視線を返そうと目を上げた。皇室の権威何するものぞ、との向こうっ気だった。
だが、再度親王の眼差しに射られた時、十郎は赤面してしまう自分に驚く。
瞬間的に親王の上品さに気圧され、己の野卑さを恥じていた。
そんな自分の感情にうろたえる十郎は、ところがすぐにおやとなった。
親王が武光を睨み付けている。
「このお方は…」
懐良は手に何か握りしめていたが、手首でそれを足元の砂に投げ捨て、歩みを進めた。
傲然と胸を張り、顔を強張らせたまま、進んで行く。
一同、はっと平伏しながら見送る体制に体を入れ替えた。
十郎は気になって見返り、親王の捨てたものを目で探した。
そこに半分砂に埋もれてあったのはどうやら紙の人形のようだった。
古ぼけてすり切れたひな人形のいわれや、懐良がなぜ今それを捨て去ったのか、十郎には分らなかった。

高燈明の炎が揺れている。
ここは取り戻された赤星館の一室。館の主の赤星武貫(あかぼしたけつら)が主人の席にいる。慈春尼、武隆、他、寄合評定衆の古老たちが渋面で集結している。
座は正月の祝いの形をとって、膳部が用意され酒も出されてあるが、女房衆の酌やもてなしはなく、人払いされて寒々とした板の間に火鉢の火が赤い。
今日は慈春尼の用人で矢敷宗十(やしきそうじゅう)という郎党も末席に参加している。
端正ではあるが、頬のこけた顔に鋭い目が油断ならぬ顔つきを作っている。
古老の一人が唸った。
「十郎たちは今頃、御船城で親王をおもてなししていよう、数日後には菊池入りじゃ」
「すべて、十郎の意向通り、まずか、まずかぞ」
懐良親王の菊池入りを十郎と恵良惟澄とが図って段取りしてしまっていた。
合志一族撃退の功績は、菊池寄合評定衆の者にもいかんともなしがたかった。
「恵良惟澄が呼び掛けて、南朝方の武将たちが北朝勢をけん制し、今のところ敵方に大きな動きはない、このままでは親王は菊池に入られ、新しい流れはもはや止められぬ」
「やむなし、かくなるうえは親王様をお担ぎし、南朝方として忠誠を示す外は」
「何をお前さま方は情けなかコツを、それではこのまま十郎めに菊池を乗っ取られましょう!」
慈春尼は焦れ切っている。
「じゃが、民どもがのう…」
菊池の南朝の旗印が周囲に鮮明となり、その流れで十郎の存在感は犯しがたいところまで膨れ上がっていた。民衆は都の皇子の菊池入りに興奮して、近頃は誰もかれもが寄ってたかってその話でもちきりとなっている。
「このままいけば、十郎を棟梁に据えざるを得ん、…というこつですな」
その意見が慈春尼には歯がゆい。
「十郎めは十分計算の上なのじゃ、親王を担ぎ、その威でもって菊池を制する、菊池を己の意のままに操るつもりなのじゃ、乗っ取りじゃ!お前さま方はそれでよかつか!?」
「…良い訳はない、…今ならまだ、武隆殿を十五代に頂く芽はあり申す、今ならまだ…」
「しかし、新王様が菊池入りされる以上、そいをひっくり返すちゅうこつは南朝に弓引くちゅうこつぞ、そうなれば内戦じゃ、敵味方に分裂し、菊池は滅ぶ」
「周囲の北朝勢もその機を見逃すはずはなか」
皆の思案が完全に行き詰った。
「うかつには動けぬのう…」
と、赤星武貫が腕組みをして考えあぐねた時、慈春尼が宗十を見返った。
「宗十、お前に妙案があるのであろう?」
皆が、え、と慈春尼を見返った。
宗十は二年ほど前から慈春尼に拾われて才覚を現した男だった。今では建前隠棲した尼の暮らしを才覚して取り廻す用人(ようにん)の役を果たしていたが、使用人たちの間では慈春尼の間夫(まぶ・愛人)であると囁かれている。
慈春尼は宗十と相談の上でこの場に臨んでいると皆は思ったが、口には出さない。
やがて宗十が口を開いた。
「身共は多年、広い世をあっちこっち渡ってきて、物事には流れというものがあると知り申した、…その流れを制するのでございます、…いくさも大事でござるが、要は一呼吸の機先」
「一呼吸の機先?」
赤星武貫が怪訝に見やった。
すると今度は慈春尼が宗十より先に口を開いた。
「武貫、おまんが配下の手練れを集めるのじゃ」
「慈春尼様、なんごつされようとでっしゅう?」
武貫が問うのに対し、慈春尼は顔を歪めて笑った。
その背後の無表情な宗十の顔に高燈明の明かりが揺らぐ。

懐良親王の菊池入城の日となった。
一三四八年、正平二年一月一四日のことである。
雪はないが、肌を切る冷たさの空気の中を、征西将軍の一行が進んで行く。
菊池は八代海(やつしろかい)の河口から菊池川をさかのぼったどんつきに位置し、阿蘇外輪山を背後に控え、前面には広大な平原を擁する美しく広い大地を持つ。
菊池川流域には早くから稲作が渡来し、古墳時代には装飾古墳群が多く作られた。
山岳部は菊池の背後、阿蘇外輪山や鞍岳(くらたけ)、矢筈岳(八方ヶ岳)を連ねて、大きく開けた西の方面は菊池川、迫間川(はざまがわ)両河川が蛇行して絡み合ってつながり、広大な湿地帯となる。
菊池入りする親王の一団は御船城を出て海を回り、船で菊池川をさかのぼってきて、七城の馬渡城(まわたしじょう)の渡し場で船を降り、田の中の道を進んで切明から隈府を目指した。頼元は薩摩谷山から一族郎党二〇騎を引き連れ、それに栗原貞幸の三〇騎が加わり、  徒歩一〇〇名を繰り入れて近衛軍とし、親王の輿を守っての菊池入りだった。
それを鎧兜で盛装した十郎とその郎党たちが先導していく。
輿が用意できなかったため侍従たちは騎馬での行進だった。
一行はしずしずと歩みを進め、切明(きりあけ)に差し掛かり、見えてきた菊池の繁華街はまさに荒廃の中からの建て直し最中で、至る所で家の建設が行われていた。
金烏(きんう)の御旗が先頭を飾る。
後醍醐帝より重大な使命を帯びて西下を命じられた親王に与えられた八幡大菩薩旗である。太陽の中に二本足の烏がおり、縦が一九一、二センチ、横が七二、六センチある。
行列が目指すのはさらに先、隈府の田畑や林を抜けた彼方に新城を建築中の中にしつらえられた仮御殿のある隈府守山の砦だった。
深川の館城は合志幸隆から取り戻すために、あえて十郎が焼失させてしまっている。
そこに新たに館を再建してはあったが、十郎は既に本城移転を命令していた。
評定衆との会議の席上、多くの反対派を抑え、お迎えする親王様のために絶対の安全を保障しなければならぬ、との主張には大義があり、評定衆はこの問題でも十郎に押さえつけられていた。評定衆と十郎の威は拮抗しているが、誰もがこの拮抗はいつか破られる、と予感している。十郎は恵良惟澄の軍事力を背景にしており、菊池奪回の武功と共に有無をも言わせぬ圧をかけている。だが、長年の既得権益集団たる評定衆のしぶとさはなまなかではない。
いつ、どんな形で両者が激突するのか、その時菊池は分裂するのか、北朝方に付け込まれて滅亡していく運命に見舞われるのか、百姓衆までもが噂でもちきりとなり、不安や期待が入り乱れて、昨年末から菊池はピリピリと緊迫の絶頂にあった。
その問題含み、波乱含みの新城へ、十郎率いる親王一行は進んでいく。
その前方、隈府の林の中に騎馬軍団が声を殺して待ち伏せしていた。
殺気が充満している。
そうとは気付かず進んでいく行列の前後に、突然、異変が起きた。
いきなり騎馬武者たちが表れて取り囲んでいた。
「征西将軍様ご一行とお見受けいたす、待たれよ!」
武隆、赤星武貫に率いられた本家生え抜きの将士たちが行く手を塞いだのだった。
背後の林の中には矢敷宗十もいて、様子を見ている。
「菊池本家、菊池武隆にござる、礼を尽くしてお迎えいたしたく、新城まで我らが先導いたす!」
武隆が口上を叫ぶや、赤星武貫が一行を守る武士団に指示する。
「警護の方々はそのまま背後に従われれば良い!」
「まずは我ら菊池本城、菊の城におはいり頂き、ご休憩の後、菊池の将士が集まりおる隈府守山の新城にご案内いたすゆえ、親王様には左様心得られたし」
そう宣言した武隆、赤星武貫たちの計画は、親王入城の主導権を十郎から奪い去り、この晴れ舞台から締め出そうというものだった。
武隆、慈春尼派の功績として親王を菊池城に迎え入れる。行列を力ずくで奪い去り、武隆が先頭を切って菊池の人々に晴れ姿を見せつけようというのだ。
それで既成事実が出来上がる。
だが、金烏の御旗の粗雑さを見て、赤星武貫が、はっとなる。
妙に安手の絵が描かれており、地の色も朱がはがれて柄に色落ちして流れている。
「むむ、ご無礼!」
親王の輿に駆け寄り、じっと顔を見た武貫に対し、田舎じみた顔いろの風采の上がらぬ男が、へへ、と愛想笑いをして見せた。見事な衣装で着飾ってはいるが、そこらの雑兵だ。
赤星武貫は先導する十郎の馬に駆け寄るも、兜で顔の見えない十郎だが、馬が違う!と、気が付いた。十郎の馬は見事な体つきの芦毛(あしげ)だが、この馬は平凡な体形の鹿毛(かげ)だ。武貫は相手の兜を引きはがしたが、十郎の郎党の太郎の顔があった。
「ぬしゃ!?」
「ど、どうも」
強張りながら、笑顔を作ろうとする太郎。
「親王は替え玉か!?」
「十郎めの姿もない!」
「諮(はか)られたばい」
唖然となり、次いで憤怒の表情となった武隆。
武貫が引き倒した御旗を馬のひずめで踏みにじり、悔しがったが、いかんともなしがたい。
林の中で宗十の目が暗く光った。
「豊田の十郎、…あやつ」


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇恵良惟澄(えらこれすみ)
阿蘇大宮司家の庶子として阿蘇家異端の立場に立ち、領地が隣り合った武光との絆に生きる道を探そうとするが、阿蘇家のため、武光に最後まで同行することを果たしえず終わる。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇菊池武隆 
武光の兄。慈春尼の息子で、第一五代を狙う。

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇慈春尼(じしゅんに)
武重の妻、息子の武隆を一五代棟梁に望み、様々に画策する。

〇矢敷宗十(やしきそうじゅう)
あぶれ武者から流れ野ぶせりになった男。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。




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