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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」26


第五章      懐良と美夜受


二、


武光邸で毎夜のように酒宴が開かれるようになった。
身分の上下隔てなく参加したいものを呼び込み、酒肴でもてなし、歌い騒いだ。
伊右衛門や弥兵衛、太郎なども常連で常に酒席にいた。
武光が自分で声をかけるだけでなく、太郎や伊右衛門、弥兵衛を通じて身分の上下なく人を招いたので、次第に参加者が増えていった。
初めは武尚、武義兄弟達武光信奉者が飲んで騒いだが、やがて西郷や加島氏や出田氏など、分家の城主たちまで顔を見せた。
その顔触れにいつしか城隆顕(じょうたかあき)や赤星武貫(あかぼしたけつら)までが加わるようになった。
武澄や武尚もいて、誰もが勝手にがなり合い、やかましくて耳を弄するばかり。
「ご無礼!」
赤星武貫がよた付きながら濡れ縁から庭へしゃーと小便する。
「きたなかぞ、赤星!」
武澄が文句を言うが、明らかに嫌がらせをしている武貫は意に介しない。
「間に合わんばいた、許されよ!」
座の隅で城隆顕が座に戻った赤星武貫に訊く。
「なぜおる?…ぬしゃ、武光様を信用せぬのではないのか」
「せぬ、正体を見届けてやるために来ておるのよ、飲めば隙が出よう、一族をおのれの欲のために振り回す悪党なら、この手で成敗してくれる!じゃが、ぬしゃなぜ来る?」
武貫に問い返されて、静かに笑いながら城隆顕は盃を口に運ぶ。
「…似たようなもんかの」
その座は無礼講とされ、常にざっくばらんな酒宴となった。
もっとも太郎が酔って赤星武貫の頭をぺしゃぺしゃ叩きひげを引っ張った時は、激怒した武貫が太郎を引きずり回して叩きつけようとしたので、皆が止めに入って大騒ぎを演じることなどもあったが。時には懐良親王も招かれた。
だが、さすがに親王の前では誰もかしこまって酔いきれないので、親王自身が以降は遠慮して参加を控えた。代わりに頼元や頼氏、中院義定(なかのいんよしさだ)たちが招かれて楽しんだ。
城隆顕はその間冷静に武光を観察し続けた。
やがて武光という男への警戒感が薄らいでいった。
その宴は武光のさびしがりな性格に由来するものだと、察していった。
子供のころからの孤独を武光は埋め合わせようとした。加えて武光には不眠症があり、夜が辛かったのだ。孤独な夜を恐れて武光は皆を集めた。
いずれにせよ、菊池軍団の結束がその酒宴で形作られていった。
武光が計算した以上に、剛腕で菊池を統括するだけでなく、人情の面で男同士のきずなが結ばれたことが功を奏して団結を生み、この後、菊池の強さを支えるようになっていく。
武光以前の菊池のぎくしゃくした不統一感は払しょくされていき、あれほどまとまらなかった一族が、以降一切乱れることなくまとまっている。
城隆顕の胸に武光という個性を愛する気持ちが生まれていった。
もっとも、その酒宴その他の出費で武光の懐は常に危機的状況が続いた。

その宴の甲斐もあり、武光は一族の幹部たちをうまく采配し、菊池の整備を進めていった。
新造なった隈府(わいふ)の街は条里制を採用し、三本の道筋で本城へつなげるが、折れを多用して敵侵入の場合の守りとするよう計画された。
迫間川寄りの一条は武家屋敷群とされ、本城周辺から西に下るにつれて、重臣の館から身代の小さな家臣団の館が配置されるよう指示した。
新市街一条の通りに武家屋敷街を創設させたのは鎌倉の市街設計に倣い、離れた領地の豪族たちの屋敷を置いて、そこで生活させることで招集をかけやすくし、気ごころを通じ合わせることに狙いがあった。事実、武光の館の宴会は一条の通りに館を構えた豪族たちがいつでも参加でき、親しくなって結束が強まっていた。
伊右衛門や弥兵衛たち旗本もその通りの下手に小さいながら屋敷を構えることが許され、田畑も手に入れて晴れて菊池の一員となり負わせていた。
普請奉行を命ぜられ、全工程を監督する城隆顕は次第に乗ってきていた。
城隆顕は武光の慧眼に舌を巻き、どこからこれほどの教養を得たのかといぶかしんだ。
豊田の田舎にどんな教育機関があるわけでもなく、菊池本家が仕込んだわけでもない。
ある種の天才かもしれない、と城隆顕は思った。
城隆顕はこの頃から次第に武光の棟梁としての器量に惚れ始めていたのかもしれない。
城隆顕は御城下の設計に本腰を入れ、将士や人夫を動員した。
武澄、武尚、武義ももはや武光の意を受けることが楽しくてしようがない。
延寿刀鍛冶(えんじゅかたなかじ)の館を西寺に移し、大量生産を可能とせよ、と言われた時は膝を打った。
山城、京より招かれた来(らい)一派が延寿と名を改め、菊池稗方(ひえかた)に土着して代々当主を延寿太郎と称し、名工を輩出している。流派の特徴として鍛えは柾目(まさめ)、にえ細やかに匂い深く、菊池の砂鉄を用いたので、地肌締まって特有の青さを帯びている。
菊池川、迫間川から産出する砂鉄を溶解した玉鋼(たまはがね)を鍛錬して刀剣を製造するのだが、武光は新しく整備された西寺の延寿屋敷の周辺を製造工房として割り振って生産規模を拡大し、さらに高瀬、同南田、今村の木下、西迫間などに工房を展開せよと命じた。
のち、菊池氏断絶の後は四散して、一派は玉名に移って胴太貫と称すのだが…。
武光は菊池武豊、赤星武貫たちにも役割分担を与えていった。
各外城(とじょう・本家以外の城塞群)の補修整備も急げよというものだった。
後に十八外城(じゅうはちとじょう)といわれた外城群だが、必要に応じて作られたり破城されるので、実数はそんなものではない。かくして次第に菊池は国際港博多、中央の権威を伝える太宰府に次ぎ、第三の都として生まれ変わっていく。


25、上市場下市場小


深川の上市場では定例の市が立つようになった。
武光の号令で菊池は交易船の誘致に力を入れ、船あきんどたちが増えている。
湊はさらに整備され、川底が掘り起こされて船着き場が拡張されて、船の修繕ドックも新設された。船便が入ると様々な外国の産物や都会からの物資が荷揚げされ、一部が卸の業者から小商いのものに払い下げられ、それが目玉商品となって近在から人々が群れ集まった。
上市場、下市場と呼ばれる場所で三斎市(さんざいいち)の日には焼き物や帯売り、白粉売り、布売り、薬売り、からむし売り、綿売りや塩売り、麹売り、豆腐売りに扇売りなど、ありとあらゆるものが販売されて賑わった。
上市場、下市場はのちに北宮神社が勧請されてから、さらに賑わいを増すことになる。
深川の湊からほど近いそこには近在のものは無論、遠く他領からの買い物客が集まり、船便で来た異国からの旅人さえ混じった。人気は焼き芋やまんじゅうなどの食い物で、腹を減らした乞食の子なぞも群れてくる。
その雑踏を、今野良犬のようにさまようものがある。
よだれを垂らしながら人々の背後から来て食い物を見つめるのは、乞食のような姿となった矢敷宗十だった。見つかれば縄を打たれる身でありながら、まだ菊池を去りがたい宗十はただ空腹だった。しかし、並べられた饅頭に手を伸ばした時、泥棒!と叫ばれてしまった。
慌てて逃げだす宗十を大人たちが追った隙に、子供達がまんじゅうを盗んでいく。
宗十は逃げながら惨めだった。そしてだからこそ怨念そのものと化していく。
武光、そして懐良、奴らの首を取る。その首を大友に持参し、禄を得る。
その執念に凝り固まって走る宗十だった。

川面といわず生い茂る草の間といわず、夥しい数の光が飛び回っている。
現代からは考えられないくらいの数のホタルの群れだった。
その蛍見物に、菊池の将士といわず、女房といわず、百姓衆といわず、大勢の風流人たちが歩き回っている。木庭城ふもと近くの菊池川に乱橋(みだればし)と呼ばれる石橋がかけられてあり、毎年この季節には人々が暑さしのぎにホタルを愛でに集まってくる。
「きれいかですのう」
太郎が子供のように目を輝かせた。
緒方太郎太夫ときている武光がうんと頷く。
蛍は豊田にもいたが、菊池の衆の風流心につられていた。
その時、前方から親衛隊士を従えながら来る親王と美夜受を見た。
武光の足が止まった。
「武光」
懐良が静かな目で見やり、武光は思わずうろたえた。
武光は都の貴種に張り合ったつもりだったが、結局その美しさと品の良さに圧倒されてしまっていた。懐良と目が合うと、思わず上ずってしまう。苦手でありながらも憧れてしまい、それを見せまいとして大らかに笑って見せた。
「親王さまも来ておられなったつか」
「菊池のホタルは見事じゃ」
懐良が思わず素直な言葉を吐き、武光も雑念を忘れて眺めやった。
何万という蛍の光の中に、二人の美しい若者がいた。
並んで無心に蛍を眺める二人を見て、居合わせた人々にざわめきが起こった。
夢幻の中に不思議な美を見た思いがして、人々はため息をついた。
だが、やがて武光は鋭い視線を感じた。
美夜受の武光へのまなざしが突き刺さってくる。
武光にも複雑な思いがあって、言葉をかけたいがそれはできない。
美夜受の目は妖しく燃え立ちながら武光の言葉を待つ。
二人の間の感情が爆発しそうに膨れ上がったが。異様な沈黙が続いた。
今夜の美夜受は美しいというより、羅刹女(らせつにょ)の趣だった。
武光は困り抜いてしまっている。
太郎がそんな二人を痛ましく見ている。
懐良はふと太郎の表情に気づいた。
太郎の視線は武光と美夜受に向けられている。
それで懐良は武光と美夜受の表情を見てしまう。
懐良は戸惑ったが、すぐに武光と美夜受の感情の背後に、ただならぬ交錯があることに気づいた。美夜受は隠しても隠し切れない思いを爆発寸前でこらえている。
懐良は衝撃を受けた。
絶句して立ち尽くした。
そんな男女たちの周りを夢幻のように小さな灯かりたちが舞い踊る。
菊池の衆から感嘆の声が上がり、笑いさんざめく声が漏れる。
いくさの時代が嘘のような平和と穏やかな和みが辺りを満たしている。
その光景は背後の木庭(こば)地区の山からも見えている。
暗い川床に何万、何十万の小さな灯かりの粒が飛び交い、人々の幸福が塊り合っている。そんな光景が遠く見えるここは藪と木立の闇で、一匹のけだものが潜んで見下ろしている。
藪蚊に食われるが、痩せこけて腹を減らしたそのけだものはもはや追い払う意思を持たない。今、初夏の生い茂った茂みの闇から里の明かりをうかがう矢敷宗十の目には、菊池川を群れ飛ぶ蛍の光ではなく、武光と懐良の生首が見えている。
宗十の目には敵意と憎悪が燃え立っている。
奴らの首が欲しい、と宗十は執念に取り付かれている。


19、乱れ橋小


美夜受は沈み込んだ親王の気配を探るように見ている。
「宮様」
懐良の夜着を脱がせにかかった美夜受だが、その手が跳ねのけられた。
「…どうかなされましたか?」
御所、雲の上宮の寝所で、美夜受が今夜も務めを果たそうとするが、懐良の態度は一変している。美夜受は自分との間に固い壁が建てられてしまっていることを感じ取った。
「…懐良様、…ねえ」
耳元に唇を寄せ、息でしゃべりかけて懐良の官能をくすぐろうとするが、かわされた。
唇を噛み締め、身体をこわばらせ、親王はみじめさに耐えている。
蛍の夜の後、懐良は中院持房(なかのいんもちふさ)を使って美夜受の素性を探らせた。
そして美夜受が豊田の荘以来、武光の思われ者であった事実を突き止めていた。
美夜受が武光だけを想い、その命で懐良の元へ遣わされたのだということも。
美夜受は冷静に観察し、親王が自分と武光の間柄について、真相を察したのだとみてとった。そして満足した。
「なにをすねておられますのか?」
美夜受の狙いは当たった。
あの夜、わざと武光への感情を高まらせて露出させ、懐良に見せつけたのだった。
「…美夜受、お前と武光は」
「わたくしと武光様が、…なんでございます?」
意地悪な笑みを浮かべながら、美夜受が親王を追い詰めようとする。
美夜受が再度誘い掛けようとするが、親王がたまりかねて睨み付けた。
「よせ」
誇りが邪魔をして美夜受を問い詰めることはできない。
ただはらわたが煮えくり返っていた。
(わしに情けをかけたつもりか、武光)
美夜受への想い、誇り、操られて喜ばされた無念さ、みじめさ。
わしの命も南朝の運命も、いつも誰かの手に委ねられている、今は武光の手がそれを握っている、奴の施しでわしは体裁を保っていられる、奴の施しの女をあてがわれ、飼われている。わしはおのれの意志で飯一椀も食う食わぬを決めたことがない!
わしはいったい何なのか。武光を許せないと思った。
美夜受が無表情の下でほくそ笑んでいる。
これが美夜受の武光への復讐だった。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

〇矢敷宗十(やしきそうじゅう)
あぶれ武者から流れ野ぶせりになった男。

〇伊右衛門
武光(十郎)の家来

〇弥兵衛
武光(十郎)の家来











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