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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」19


第三章   征西府の旗揚げ


四、

武尚と武義が守山の工事現場に駆け上ってきた。
砦の補強作業現場の端にひっくり返った武光がいる。
「武光兄者、一族中が大騒ぎじゃ」
「武光兄者のいう事を聞くべきか否か、寄合内談衆を含め、坊さんや長者たちまでが上を下へ、あっちで会合、こっちで会合となっておりますぞ」
「そうかい」
日向ぼっこの武光があくびをする。
「いずれ皆の判断は落ち着くところに落ち着こうよ」
武尚と武義は顔を見合わせた。意外なことに武光は話し合いを分家の者たちや重臣に一切任せかけ、自分は手持ち無沙汰にして、どう動く気もないらしい。
「棟梁として指示されんでよかつか?」
「重臣たちそれぞれの家格に対し、あらたな役回りの仕切り直しをするとか、本家、庶子家、受領の年貢の取り分はどうするのか、武光兄者から指示すべきであろうに」
「おう、たしかに、よし、武尚、武義、おまんらに任せた!」
二人は大きく伸びをする武光の本心を推し量った。
武辺の腕は間違いない、だが、もしやただの怠け者?国を差配する器量がないのか?
しかしそれでは武光反対派に付け込まれる、実権を奪い返したい勢力は虎視眈々と狙っているだろう。年長の武澄はあの寄り合いの後、そっと武光にそう忠告もした。
「おいたちは兄者に従う、なんでも言いつけてくだされ」
「おいもじゃ!」
若い武尚や武義は武光の鮮やかな菊池デビューにすっかり心を奪われて信奉者となり、武光の支配する菊池の未来に夢をはせ始めていた。
「新しか時代が来るばい、このままでは菊池は腐る」
「寄り合い内談衆は排除するしかなかと思うておったつばい」
「ああ、次の手はどがいに考えておられるのじゃ!?兄者よ」
「うん?…そうよなあ」
だが、気のない返事を返すばかりで、武光は草の上にひっくり返っている。
太陽に手をかざして光に透けるおのが手指に、はあ、と感心した。
「お陽さんが光はすごかねえ」


3、守山城主郭小


間もなく、武光の肝いりで、親王は山鹿郡吾平村(あいらむら)の吾平山医王院相良寺(ごへいざんいおういんあいらでら)に参詣した。
筑紫坊や伊右衛門、弥兵衛達親衛隊に守らせ、行事一切を武光が仕切った。
六月の梅雨の雨が続いていた。
国家安泰、南朝興隆、九州平定の祈願をこめての参詣だった。
雨がちな日々の中、一七日間の参籠が行われた。
その参詣には菊池に征西府を置き、そこから南朝方の勢力を拡大していくという姿勢を周辺地域の者に宣言する意味合いが込められていた。
頼元は阿蘇氏や他の武士団を糾合しようと焦っていた。
この期に及んでもその目途はたっていない。
惟時殿はなぜ動かれぬ!?阿蘇一族さえ味方にできれば!
そう焦ったが、九州の武士たちの荒くれた頑固、片意地な肥後もっこすの精神は容易に従わせられないだろう、との予測はすでに立っている。
武光にはそれがやれるのか!?との思いがいら立ちを募らせる。
実質菊池の内部さえまとまってはいない。
だが武光は平然と構えている。
親王も淡々と仏事を勤めていったが、その姿はひたすら美しかった。
成人して菊池一族に守られ、晴れて征西将軍として仏に詣でた親王だった。
その瞳は相変わらず何をも見ていない。
親王はいまだに己の生きる道が定まっていないかのようだった。
頼元の気は晴れない。


21、荒牧の牧場小サイズ


迫間川を挟んで増永城の対岸に新牧(あらまき)という地名が存在し、かつては高台があって牧場が営まれていたという。だが、現地に高台の名残りはない。
新牧とは「荒い巻き」、水の荒れる場所だとすると、迫間川の急流の地を指す地名が起源で、であればさらに牧場地の推定地として適さない。牧場は台(うてな)台地の上あたりに営まれていたのではないか。
当時、武家には馬が最高の兵器であり、その養成には最大の注意が払われた。
その牧場へ武光は親王を連れ出した。
近頃は親王の動きを追うて生娘や後家などの女どもがどこへでもついてくる。
その女どもの目を十分意識して、武光は懐良に恥をかかせる気でにやつく。
「当面ゆっくりされるとしても、あまりにもご退屈でありましょう、今日はおいが無聊(ぶりょう)をお慰めいたそうと思い立ち申してな」
五条頼元や中院義定もついてきている。
頼元たちは連日会議を重ね、九州中の武将たちに合力の呼びかけをする手紙を書くのに忙しく、そんな暇はないはずだったが、どうやら武光を警戒している様子だ。
親王に万が一のことがあってはと、自分たちも暇を持て余した体でついてきた。
彼らに構わず、武光は乗ってきてつないである颯天の身体を撫でてやり、修復したひずめの様子を見ながら、馬について熱く語り始める。
「馬は好戦的で小ぶりでも逞しい馬を選ぶべきでありますな、中型で骨格と肉付きがしっかりしたものを選ぶこと、気の強さがなければいくさで打突するのに役には立ちませぬ、かというて乗り手を軽んずるようでは使え申さぬ、気の強い馬を従えさせ、共に一心同体となって敵に当たる、馬は武者の相方でござるでの」
懐良は見まわして、一頭の馬に近づいた。
「この馬に鞍を乗せよ」
「宮様、その馬を選ばれたわけは?」
「気が強そうじゃ、打突で負けぬためには大きい方が良い」
武光がにやりと笑った。
「違いますな、大きい馬は小回りが利かず、気が強ければ御しがたい、さらに乱戦となって一たび落馬すれば、重い鎧で再度跨り乗るのは困難、敵に討たれるか、味方に無様な様をさらして笑われるかです、その馬では」
牧場の郎党たちが鞍を運んでくるのを待たず、親王は馬のたてがみを掴み、無理に背に乗ろうとする。たちまち馬は暴れだした。
「親王さま!」
「危ない!」
見物の女どもが思わず声を上げている。
馬は大きく跳ねまわり、たちまち親王は振り落とされてしまう。
女どもからキャーと悲鳴が上がった。
「宮様!」
「お怪我は!?」
侍従の中院持房たちが大慌てに慌てるが、武光は笑う。
「この馬にも勝てぬで九州の武者は使いこなせませぬぞ」
烏帽子を落とし、泥で顔を汚した親王は武光を睨み上げた。
それへあざ笑うように言い募る武光。
「九州武士団を使いこなさなければ、お前様に明日はなか」
と背後の女どもの目を意識して悠然と立って見せた。
「無礼であろう!武光殿、菊池の棟梁は礼儀を知らぬか!」
持房が抗議するが、武光は怒鳴り返した。
「ここでは実力がものをいうばいた!御所から人に命をかけよと令旨を発行するだけで肥後人は動かぬでな」
武光は懐良の前に立ちはだかった。
「侍どもは平時ならあなたを親王様と犬のように這いつくばろうが、いざいくさとなれば腰は砕ける、軍忠状に基づいて所領安堵、報奨金、官位の発行と、お前様の力が頼りじゃが、北朝勢に押されてしまえば、それもどこまで当てにできるか知れぬ、となれば、問題はお前様の生まれや地位ではなかです、お前様に肥後侍の先頭に立とうという気組みがあるかどうかですばい、それを我らが眼前にお示しいただく」
都から来た見るからにやわそうな貴種に対し、武士の力を見せつけようというのだ。
にやけて言う武光の目を見返し、懐良は死に物狂いで睨み付けた。
「菊池はお前様に命を懸け申す、南朝の命運はお前様次第、…親王様にこたえるお力がおありですじゃろか?」
言葉を返す余裕がないまま、懐良は立ち続けた。
懐良は年の近い武光に、自分にはない逞しさを感じ、負けたくなかった。
侍従たちからひ弱さを嘆かれているのは分かっていた。
負わされた責務を果たすには変わらねばならぬことを十分承知していた。
だが、みなには自分に対する遠慮がある。
それを余人と違い、真っ向から突き付けてくる武光に対して怒りを感じた。
いや、実のところそれは怒りでなく、懐良の中の男子の意地が刺激されていたのだった。
武光に負けたくない、武光の向こうを張りたい。
生まれて初めて懐良はがむしゃらな負けん気を起こしていた。
身を翻した親王は武光が乗ってきた颯天に駆け寄った。
「お」
と武光が笑った。
いきなり親王は颯天に乗馬して駆けだす。
「親王さま!」
「頑張って!」
女たちが祈るように声援を送る。
だが、主人ならぬものを簡単には受け入れない気の荒い颯天は親王を振りほどき、荒れ狂った。親王は落馬して叩きつけられ、武光が笑い転げた。
泥にまみれた顔で見上げた親王は無様だった。
「ひどか!」
「新王様、かわいそう!」
「武光、ひっこめ!」
女たちが叫んで、武光は睨み付けたが、女たちはひるまない。
皆で武光を睨み返した。
「宮様を笑いものにするか、菊池武光!」
中院義定(なかのいんよしさだ)が刀に手をかけ、頼元が抑えた。
義定の目にはこらえがたい怒りがある。
武光はそれをふんと鼻であざ笑い、颯天に飛び乗った。
颯天の腹にけりを入れ、笑いながら駆け去った。
「武光のばかーっ」
「無骨ものの田舎侍!」
「今度親王さまをいじめたら、承知せなんぞ!」
女たちの声を背に、懐良は駆け去る武光を見送った。
その気配を感じながら、武光は颯天を駆る。
武光は懐良を背後に置き去りにして、笑みを漏らしていた。
厳しく当たったのは女たちの親王さま熱に水を差したかっただけではない。
懐良の人となりを確かめたかった。
だが、初めの思惑と違い、むきになって張り合おうとする懐良のひたむきさに胸を突かれてしまっていた。端正な顔に浮かぶ張り詰めた目の輝きに気圧されていた。
武光は懐から懐紙に包んだ何かを取り出して見やった。
擦り切れた紙のひな人形だ。
あの日、懐良が砂浜に捨てた紙のひな人形。
なぜか気になって拾ってきていた武光だった。
懐良のデリカシーに触れた気がしている。武光の知らない感性をあの親王は持っているらしい。それが何なのか。武光はその紙の人形を再び懐にしまい込んだ。
再度、武光は颯天の腹にけりを入れた。
颯天を思いきり駆けさせた。
元の牧場では義定が懐良を助け起こした。
戻りましょう、と義定が懐良に言うが、懐良はあの大きな馬を見やった。
駆け寄り、たてがみをつかんで引き寄せ、飛び乗った。
「親王さま!?」
鞭をくれて走り出す懐良。
またしてもたちまち振り落とされて地面に叩きつけられた。
腰をしたたか打って起き上がれず、泥の中に体を投げ出した。
「宮様!」
頼元たちが駆け寄る。
女たちは涙目になって悲鳴を上げるが、親王自身には笑いがこぼれた。
高い天空に雲が浮かび、その雲を見上げて懐良が笑う。
晴れ晴れとした笑顔だった。
頼元が驚いて懐良を見つめた。
そんな笑い方をした懐良を、頼元は初めて見た気がした。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇菊池武澄
武光の兄。初めは武光の一五代に疑念を示すが、やがて腹心の武将として一身を捧げる。

〇菊池武尚(きくちたけひさ)
武光の兄弟。高瀬家を起こし、武光を助ける。

〇菊池武義
武光の兄弟。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇五条頼氏
頼元の息子。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。





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