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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」23


第四章  暗殺隊


三、


上半尺(かみはんじゃく)、二つ野、中村と、長谷部の一党は穴川川沿いに下ってきて、鳳木川(ほうぎがわ)との合流地点を過ぎようとしていた。ここから先は川の呼び名は迫間川(はざまがわ)となる。
折からの暗夜だ。足で水際を確かめながら、川の浅瀬伝いに進んでいくしかない。
ゆっくりと長く歩き、やがて龍門に差し掛かった。
迫間川の脇に両サイドの山が迫り、一番狭くなっている場所を「龍門」と言い、そこには滝がある。一気に落下する垂直の滝ではなく、岩の斜角を水が滑り落ちている。


20、勢返しの滝



そこを降りて、さらに市之瀬を過ぎ数キロ下流に進めば菊池本城城域の裏手に出られる。
その裏手からは宗十が御所と武光邸へのルートを掴んでおり、案内できる。
深夜には使命を達し、穴川の峠を越えて夜明け前には津江の領地に逃げ込む計画だった。
ざあざあと滝の流れる音が人の気配を押し隠す。
その滝の岩陰に分散し、黒い影たちが潜んでいる。
太郎と伊右衛門、弥兵衛たちが闇に息をひそめる。
辛うじて間に合い、ここまでたどり着いて待ち伏せできた。
太郎は目だけ出して斜面上方の鬼面党員からの合図を待った。
鬼面党員が敵の動き次第で火縄を振って、その振り方で指示を出す手はずだった。
武者震いがし、太刀を掴んだ太郎の手が震えた。
武光のいない初めてのいくさ場で、おまけに自分が指揮官とされた。
太郎としては武光と一緒でないいくさは初めてで、恐怖感がせりあがった。
生まれて初めて死を意識した太郎が隣にいる伊右衛門に問う。
「伊右衛門よ、死んだらばどぎゃんなると?」
「あ?」
「生まれてくる前、死んでから後、おいはどこいおったつか?どこい行くとか?」
「げんの悪かこつ聞くな、臆病風に吹かれたか」
伊右衛門が声を潜めながら叱り付け、弥兵衛が笑って言う。
「やるばいた、家のため、女房持つため」
自分を励まし、泣き顔になりながら、太郎が決意を固めていく。
龍門の滝の岩場に取り付き、長谷部の暗殺隊が降り始めた。
長谷部隊に隙が生まれた。崖にとりついて足場に気を取られ、周囲を警戒する余裕がなかった。それを見張りの猿谷坊は待っていた。
あと一息誘い込むべし、との火縄の振り方を変えることによる合図を送った。
伊右衛門、弥兵衛は体を低くするが、太郎はもう立ち上がってしまう。
「行け!切り倒せ!」
と 、うわずって叫んでしまった。
「ば、ばかたれ!」
「合図が違う!」
伊右衛門と弥兵衛が慌てるが、相手が気づいてしまい、もう遅い。
やむなく伊右衛門や弥兵衛が突撃していく。
「なんじゃ、なにごとじゃ!?」
宗十が慌てふためくが、幸い闇でこちらを認識できない、と筑紫坊は見て取り、分散した鬼面党員に合図を出した。
猿谷坊はじめとする鬼面党員が松明に火をつけ、相手の傍にいくつも投げつけた。
長谷部勢の周囲に炎が立ち、その姿が浮かび上がる。
「け、消せ!わしらの姿が丸見えじゃ!ばれたのか!?」
長谷部山城守が叫んだ。
だが、岩を下りかけて足場が悪く、機敏には動けない。
長谷部隊からは炎の向こうは闇となって相手を視認できない。
滝の上部の流れを渡り、駆け寄せた太郎と手のものが襲い掛かる。
「うやーっ!」
弥右衛門や伊兵衛も切り込んだ!
だが、太郎がこけた。
「うわ、うわ、うわっ」
太郎は切りかかられるのが怖くて夢中で太刀をぶん回す。
双方身軽さを重視してそもそも鎧草刷り(よろいくさずり)等はつけていない。
籠手(こて)に脚絆(きゃはん)をつけて胴丸で体を守り、襷(たすき)をかけて袖を上げて太刀をふるう。刃が当たれば体は切り裂かれて簡単に致命傷を負う。
足場の悪い岩場で戦闘が開始された!
最初は先手を取られた長谷部の武士たちが切り倒された。
芋を切るように打ち取られていったと土地の伝承には伝わっている。
筑紫坊も裏の技で次々と相手を倒していく。
巻きびしで相手の足元を危うくし、駆け寄って山刀で斬りつける。
だが、相手側が巻き返した。
「相手はすくなかぞ、ひるむな!押し返せ!」
長谷部の兵たちは勇猛果敢だった。
兵力は長谷部側が多数で、次第に太郎と筑紫坊一派は苦戦した。
無闇に太刀が振り回され、腕が落とされ、腹から腸が噴き出した。
滝を転げ落ちて相手の刃を逃れるものや、岩に叩きつけられて骨を折るものもある。
戦いは滝の上でも下でも展開されて、黒部のふちには斬られて落ちた武士たちの死骸が滝の斜面を流されてきて溜まった、という。
後に切り込み渕と呼ばれた。
双方に必死の覚悟があったため、戦いは長引いた。
互いに一歩も引かず激戦が続き、やがて太郎は敵の大将格を追い詰めた。
滝の中間部の平たい踊り場様の場所だった。
大将格は滝壺に落ち込まぬために踏みとどまるしかない。
肩が大きく上下して荒い息となって太刀を向ける太郎は目が吊り上がっている。
「名乗れ」
戦場でも名乗りあうような戦いをしてこなかった太郎は、なぜかこの時相手に問うた。
相手は名乗らなかったが、太郎は名乗りたかった。
「豊田の十郎が家来」
そこで詰まった。名乗れるような立派な姓がなかったからだ。
それで仕方なく、
「太郎!」
と喚いた。
「…長谷部山城守信経(はせべやましろのかみのぶつね)」
長谷部は軽く口先で答えた。
その頃には大方の戦いが終わり、数多く生き残った武光親衛隊の面々が集まり始めていた。長谷部側のかなりのものが打ち取られ、多く残ったのは武光の旗本たちだった。
長谷部山城守は焦った。
宗十!と、心の中で助けを求めたが、宗十の姿は見えない。
牛のような鼻息を漏らしながら、太郎がじりじりと押していく。
長谷部は下がり、やがて滝の上部の端に追い詰められた。
水に足を取られそうになり、こらえた。
顔は泣きべそでもまなじりを上げ、太郎がさらにじりじりと押していく。
息が上がってハアハアとあえぎ、よだれをしたたらせた。
相手はどこかでこらえきれなくなり、切りかかってくるはずと読んだ。
その瞬間に勝負は決まる。
双方の神経が限界まで研ぎ澄まされて緊張が極みに達する。
ついに耐えきれなくなった長谷部が足場を蹴った。
「うわあああーっ!」
上段から袈裟懸けに切り下そうとした。
太郎はその瞬間、一切の妄念を離れた。
体を投げ出すように飛び込みながら太刀をふるった。
太郎は肩を斬りつけられたが、太郎の刃は長谷部の首を下から切り上げて致命傷を負わせていた。長谷部の体が跳ね飛んで水に叩きつけられ、そのまま滝の斜面を流れ下って行った。下の滝壺辺で戦いを終えていた鬼面党の一人が、落ちてきた長谷部の遺体を見た。
首はちぎれかけており、その死を確認して上へ合図を送った。
伊右衛門や弥兵衛が駆け寄り、太郎を助け起こした。
「ようやったのう、太郎」
「見事じゃ!」
太郎は言われても事態が把握できず、呆然となって腰を抜かしている。
長谷部の兵は生き残った数人が逃げ散っていた。
武光親衛隊の者が追ったが、あまりに暗く、すぐに追跡は断念された。
宗十も逃げていた。
「しくじった、くそ、くそ」
すべてが無駄になったと宗十のはらわたが煮えくり返っている。
高慢な婆あの尼に取り入り、下働きをして数年耐え、やっと掴んだ手柄の端緒を武光の手勢に叩きつぶされた。その事実が宗十の血を逆流させていた。
絶体絶命の危機を逃れ、山中に逃走していく矢敷宗十だった。
「武光、邪魔しやがった、親王の奴、首を取ってやる!」
矢敷宗十は闇に消え、筑紫坊たちは敵味方の遺体の確認作業に入った。
滝は凄絶な戦いの時を終え、またざあざあと変わらぬ音を立てて岩を伝い流れた。
滝つぼに遺体が浮いて渦を巻いている。
以降、この滝は「勢返しの滝」と呼ばれるようになって今日に至る。
菊池龍門ダム直下である。



《今回の登場人物》

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。

〇矢敷宗十(やしきそうじゅう)
あぶれ武者から流れ野ぶせりになった男。

〇伊右衛門
武光(十郎)の家来

〇弥兵衛
武光(十郎)の家来

〇長谷部山城守
大友領津江の領主。






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