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だってかんれきなのだもの

某月某日  

気がついたらコラムニストという肩書でもう20年以上も仕事をしてきた。でも、いまだにコラムニストとエッセイストの違いがよくわからない。 

たぶん、コラムには求められたテーマがあって、エッセイはないのかもしれない。それでもそこはかとなく、コラムニストよりエッセイストのほうが偉いような気がする。このあたりの微妙な感覚というものがあって、すごく有名なエッセイストさんでも、「作家」という肩書にあこがれたりするのだそうだ。  

そしてわたしはコラムニストなのだった。いつそう決めたのかわからないのだけれど、どこからかそういうことになった。
ただコラムニストだと、読者が何者なのかわからないので、別の肩書はないのかと聞かれることが増えて、途中から「生活コラムニスト」となった。不思議だ。その前は勝手に一人だけのユニットを作り「M’s ネット代表」と書いていたんだが、その時は何も言われなかった。
情報ゼロのM’s ネットより、コラムニストのほうが「わからん」と言われる。そうか、「代表」という二文字がついていれば、母体は何でもよかったのかもしれん。つくづく肩書は不思議なものなのだった。  

さて、そんな意味があるようでないような肩書で仕事をするということは、来るお仕事はその肩書に合ったものということになる。

当たり前だ、子どもでもわかる。 
今月私が書いたのは、時短家電の選び方であったり、家事の繰り返しについてであったり、よいお弁当箱の選び方なんかで、答えたインタビューは子供のお手伝いと、主婦の時間管理だ。  
今年、私はなんと「かんれき」という年齢になった。かんれきになってもまだ、そんな風に私の肩書にお仕事をくださる方々がいる。ありがたいことだ。それで私は暮らせていけるのです。ありがとうございます。ぺこり。ぺこり。  

でもそろそろ、まったく別のことも書きたいなあと思うのである。
だってかんれきなのだもの。
  
この「もやしのひげとり」は、そんなかんれきのコラムニストももせいづみの、どうでもよいことを書き連ねていく日記として、作った場所です。毎回1000字を書きます。お暇なときのお目よごしに、たまに覗いてやってください。ぺこり、ぺこり。

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