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母の家を片付ける その4 大量の布団問題と向き合う

誰も待っていないと思うけど、お待たせしました。実家片付け4弾。
今日のテーマは布団です。

布団だよ、布団。

昭和の時代の布団文化

それはいつからだろう♪ 結婚したら何組かの布団を持たされ、それを打ち直しては使い続け、いろいろ来客もあるしということでさらに布団は新調され、昔の布団は寒いから毛布、タオルケット、夏掛け、ボアの敷布みたいなものと、大量のカバー類が。。。。。。

まあ、とにかく押入れ1つ分を占領しとるわけですわ。
まだ、母はえらい。大量すぎたこともあり、一枚づつ圧縮袋に入れて収納していました。これは虫よけの目的もあった。私と息子が正月に実家に泊まるたびに咳が止まらなくなり、風邪を引いたような症状で帰ることに対する、予防策でもあった模様。
いまはもう亡き、父と二人で奮闘したのでありましょう。これは褒めてしんぜよう。えらかった。

しかしだね。
もうお客は来ないのです。
わたしらも、泊まらないのです。だって、風邪引くから。

毛布が動く恐怖

数年前から、少しづつ説得し続けてきました。
正月に立ち寄った時、昼寝用に押入れから出した毛布が動いたからです。もにゃり、と。

オマイガー。虫がついとる。こわすぎる。

「客用布団でアレルギー症状が出る子どもが増えていて、昔ながらの布団を持ち続けることへ警鐘が出ていますよ。もし来客があるときは、レンタル布団があるので頼んであげます。そもそも、古い布団は衛生面でも問題が多いので、ここは思い切りよく手放しましょー! 」

いやそんなことはない。毛布は洗えばいい。布団は打ち直したばかりだ。清潔だ。何度言っても首を縦には振りませんでした。

80代女性の布団への思い入れは、ちょっとやそっとのものではなかった。なんなんだ、布団。なぜそこまで大事なんだ、布団。(昔は大事だったんだよね。うん、それはわかるけどね)。

それで、ちょっと気づいたことがありました。

高齢者にとっての、時間の感覚についてです。

30年前が「ついこの前」になる加齢という悲哀

服の片付けをしながら母から多発した言葉が
「まだ買ったばかりなの」「ほとんど着てない」「こないだ直したばかり」

布団もその1つでした。押し入れにつまったこの布団たち。全部をふとん屋さんに頼んで打ち直してもらったようで、その費用もかなりのものだったという。
まだ新しい、打ち直したばかりなのに、捨てたらもったいない。

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うーん、でもね。

それ、たぶん私が結婚したときですよ。田舎から親戚が泊まりに来るので、大枚はたいて布団を打ち直し、新調もしたのだよ。覚えてるよ。

それって



30年前だよ。

どうなのよ。

時間とお金と価値について、改めて考えたい

辛抱強く話し合って、このたび、めでたく布団は処分することになりました。それでも、このシーツはまだ使える、その毛布は買ったばかり、と分別を始めたらかなりのものが残っていく。

そこを、どう減らしていくかのせめぎあい。

服も同じです。

母にとって、たぶん

「お客が泊まりに来るかもしれない」

という人生の未来というか、ちょっとした希望みたいなものを手放すことと


「布団は高かった」
「打ち直しにかなりの額を払った」

というお金の問題がどうやらネックであるようだ、と思うわけです。このあたりの気持ちの整理ができないと、ものを手放すのは難しいのではないかと思います。

今回、お金と未来については、ちょっとした工夫をしました。
まず、母の寝室を2階から1階に移動させ(安全面からです)、息子が使っていたけど諸事情で不要になったセミダブルベッドを、空いた2階の部屋に設置することにしました。

これで、数枚の掛け布団さえあれば、お客が来ても安全に泊まることができる!(実際にはほぼこないだろうけど>笑)。お客さんに出しても恥ずかしくないよう、きれいで新しいカバー類だけを残しましょう、と助言。
押入れからふとんがごっそり無くなることに、私達が思う以上の喪失感を抱いているようなんですが、ベッド新設ということで納得してもらいます。

お金の問題はなかなか難しい。

布団については衛生面というエクスキューズがあるけれど、まだ着れる洋服が「高かった」という記憶は、ほかの理由ではなかなか消せないので、こんな風に伝えてみることにしました。

「わかるよ、これはYoji Yamamotoだよね。とっても高いよね。でもさ、こう考えたらどうだろう。これを買ったとき、ちゃーちゃん(母のことをこう呼んでいますので。。。)は、”Yoji Yamamotoで服を選んで買える私”を楽しめたんじゃない? そしてその服を着て出かけられる私、褒められる私を何度かは経験したよね。そこに払ったお金はね、もうそれだけで十分役目を果たしたんじゃないかな?
服の対価ってさ、ものとしての価値だけじゃなくて、体験に対しても払っているように思うの。お金を何に使ったのかを、いまある物の価値だけにしてしまうと、残るのは侘しさだけになっちゃうと思う。あの時払った分、思う存分楽しませてもらったよ、ありがとう! って。
そう言ってお別れするのが、一番いいように思うよ」

もごもごもご。

しばらく無言でしたが


しばらくしてから、ぽつりと


そうね



と、手にしていた服を廃棄する山に置いてくれました。

ものを手放すこと。
時間とお金と価値。

いろいろ学ぶこと多し。

そしていよいよ、布団の処分へ!
どうする大量の布団。
いざゆかん

続く

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