見出し画像

早足の毎日をやめる

息子を34歳で生んでから、ずっと早足で生きてきたような気がする。
フルタイム正社員でのワーママ生活から、フリーランスでの個人事業主になって、離婚して夫からの養育費がなかったからめちゃ頑張ったんだった。子どもを家で見ながら、まあ、とにかくよく働いた。

そんなだったから、「時間を有効に使う」ってことばかり考えていたのよ。

歩くときはいつも早足だし、駅のエスカレーターは可能な限り歩いて上り、スーパーのレジは一番早そうなところを選んで並ぶ。
仕事だけでなく、家事もマルチタスク、トリプルタスク。浄水ポットに水を貯める時間も惜しかったから、水道が出ている間に食器をしまい、ポットからあふれる寸前に水栓を締めて。そうしていろんなことが複数からまりあって、最後にピタッと収まる感じが快感だった。

電車に乗っている時間はポッドキャストで語学の勉強をし、歩きながら思いつくアイデアはスマホのメモに音声入力をして、帰宅時には、家についてからの家事・育児・仕事の段取りを頭の中で整理しながら帰った。

ってか

そんなライフハック術が巷には溢れてて、なんかそういうことやっている人が有能だったり、人生で得をすると考えられていたような気もする。

律儀に、頑張った。というか、そうせざるを得なかったというのも現実だったように思う。一人で全部やるには、とにかく時間がなかった。体だけでなく、頭の中も常に休むことなく動いてて。まあ、ほんとお疲れさまでした。

おれ。


そんで

ダイアモンド世代となり(注:なぜこう言うのかはまた改めて書きます)、ある日、ちょこっと気がついたんだけど。

いま、そんなに忙しくないのに、私、まだ早足で歩いてるんだよね。

そして、無駄な待ち時間も苦手。

それでどういうことが起こるかというと、いろんな場面で「イラッ」とか「チッ」って思っちゃう。

特に急ぎの用事がないのに、駅までの道を早足で歩き、目的地までを最短距離で行こうとしているのに、その途中で誰かが急に横から飛び出してきて行く手を阻まれたりすると、反射的に「ナンダヨ」と思う。

自分の前の人がレジで手間取るとか、チケット売り場で前の人が質問ばかりして時間を取るとか、そういうことがあるたびに「チッ」って心の中で思ってる。ときには小さく口に出る。
気がつくと、意味もなく頑張っていたり、必死になっている。

なんかさああ。

この歳になってこれは、かっこ悪すぎるよ、と思う。


効率化とか、時短とか、マルチタスクとか。そうした発想の元で「想定したルートと時間」を邪魔するものに対して、本能的に「チッ」と思ってしまうような思考回路が出来上がっていたんじゃないかなー。

そういうの、渦中では気づかなかったけど、あんまりよくないよねー。

いわゆるライフハックみたいなものは、偏りすぎるとアカンってこと、十分わかっていたはずなのに、気がついたらなんか毒されていた。
優しさを忘れないように生きてきたつもりだったけど、おしなべてとにかく、一人で働きながら子どもを育てたこの20年ぐらいはずっと早足の人生で、その中で欠落していたものもあるんだなーって、いま改めて思ってる。

ということで、早足の人生よ、さようなら。


いろいろ難しく考えるより
ただ、早足で歩かなくていいってことと
その途中を何に邪魔されても、平常心で笑顔でいられるように。

そんなことを思うようになった、という覚え書きでした。
ゆっくりゆっくり、歩くのだ。

効率化や時短やライフハックって、自分の人生を快適にするために取り入れるんだけど、その横で、多様性みたいなものに対しての優しさが削られていくってことも、あったのかな。

ゆっくり歩きながら、また考えてみる。

今日はこれで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?