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「母性」とは

母性とは?

そう質問されたら、私はホルモンの一種だと答えるだろう。では、言葉で定義付けるとしたらどう答えるか。映画母性を踏まえるとこう答えるだろう。

母性とは、子供に対して○○のような子に育って欲しいという想いと愛情を持つことである。

なぜ私がこの定義にたどり着いたのか、
それは、娘を愛せないルミ子と娘を誇らしく思うルミ子の両側面を『母性』で見たからである

まず、子供に対して○○な子に育って欲しいという想いという部分についても私は母性の一部だと捉えている。
なぜなら、愛だけでは子供は育たないからである。愛だけは無償に持っていたとしても、甘やかされ、なにもできない子供や善悪の判断がつかない子供に育ってしまったら、それは愛とは言えない。礼儀正しい子になって欲しい。誠実な子になって欲しい。など親は子供に色んな願いを込める。私が子供の時もたくさん礼儀やマナーで両親から叱られたが、今思い返すと、おかげで礼儀がしっかりしていると褒められることが多かった気がする。この想いというのは、行きすぎると束縛に繋がりかねないが、この想いがあるからこそ、子供はある程度分別のつく人に育つのだと思う。

これを、ルミ子と清佳に当てはめるとどうなるか。私には、ルミ子が清佳を大事に思っていると捉えられる場面がいくつかあった。その全てに共通するのが、清佳がおばあさまに喜んでもらえそうな行動をとったことをルミ子に報告しているときである。おばあさまが喜ぶだろう。そういうときだけ、ルミ子は清佳に笑いかけ、触れるのである。この部分を見た瞬間だけ、私はルミ子は母性を持っているのではないかと思った。つまり、ルミ子は完全に母性が欠落しているのではなく、場面によって母性をもったり欠落したりを繰り返しているのである。

では、ルミ子の母性が欠落していると思わせる原因は何か。

それは愛である。

娘を愛せない母親と紹介されるルミ子は作品のなかで一度も娘の名前を呼ばない、娘が自分に触れることを嫌うなど自分の娘なのに拒絶する描写が多くある。ルミ子から娘の清佳に向けられる愛情はほとんどないと言っていいほど、ルミ子は清佳を愛せていない。また、印象的な台詞である「愛能う限り、娘を愛していた」というところからも、娘への愛情が不十分だったことが伺える。ルミ子は、娘の清佳だけでなく、世界で一番愛している(依存している)お母さん以外を愛せないのである。
だから、清佳に対して冷たく、忌み嫌うような視線を向け、愛されたい清佳と愛せないルミ子はすれ違うのだ。

また、私は母性を持つ人間は『母性』には誰一人として出てこないと考える。ルミ子については先ほど述べた通りであるが、お母さん、義母も娘への無限の愛は持っているものの、依存させすぎ、甘やかしすぎていると考える。それぞれが結果として、どちらかが目の前からいなくなったとき、全てが破綻したようになっている

映画から私が感じ取ったことをまとめると

愛だけでも、こうなって欲しいという願いだけでも母性というものは成立しないのである。

よって、母性とは、子供に対して○○のような子に育って欲しいという想いと愛情を持つことという定義が私のなかで生まれたのである。

だが、実際のところ私は大学生で子供はいないので、母性とは何か答えはまだまだ難しくわからない。


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