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サバイバルなキャリアの振り返り

note 始めてまだ日が浅くて、何について書くのがいいのだろうか、と思い、せっかくの機会なので、これまでのキャリアを振り返ってみたいなと思い、何回かに分けて、投稿させていただきます。

ほとんど海外経験なし

現在身を置いている翻訳業界の前は、長く英会話スクール業界にいて

教材開発や講師の仕事をしていました。

そのこともあって

よく下記の質問をされます。

「どうやったら英語が話せるようになるのですか?」

英会話習っておられる方や

これから習おうとされる方、お仕事で必要とされる方など

みなさん、知りたいことだとは思うのですが、

海外経験は、短期間にUKにホームステイして現地の語学学校通ったのと

次の投稿で書かせていただく通訳のお仕事でUSで3カ月ほど生活したことが

純粋に旅行以外の体験で

あとは・・・というと

高校生のときの英会話スクールと短大卒業後の通訳学校、という感じでほとんど国内対応でやっていたのです。

アウェー感満載の職場

20代の前半で、大手英会話スクールの教材開発をするチームに入れてもらい

2年目にその当時はまだ珍しかった Communicative English のための少人数またはプライベートレッスン用の教材開発のプロジェクトコーディネーターをさせていただきました。

そこでは上司をはじめ、チームメンバーがほぼ全員 Native English Speaker および日本人の大学の先生がおられたのですが、その方々もほぼ Native で、オフィスのその一角は異文化空間でした。

いわば、

私にとっては、オフィスは完全アウェーな感じでした。

そのころは、海外の方とお仕事するのは完全に初めてで

そこまで英語が話せたわけでもなく、

ただ、仕事を回さないといけなかったので

とにかく、朝から晩まで日々戦いといいますか。

そこで、言いたいことが伝わらないと

最終的には印刷もからんでくるので、間違いもできず・・・

ただ、当時は印刷関連の用語も

USと日本のフォントや印刷関連の違いすらもわからずで日本の業者さんとチームの板挟みでした。

しかも、チームの海外のメンバーはかなりの個性の強い方々でしたので、現在、海外のお客様などからお仕事を請けさせていただき、問題の発生時も含めて調整したりなど曲がりなりにもできているのは、その当時の苦労のおかげなのかなとも思います。

当時は、うまく進行させようと思う気持ちの焦りから、チームメンバーと日本の業者さんの打ち合わせなどで、メンバーが話す内容を、若干、マイルドな言い方に変えて通訳したりしていたのですが、

それはそれで、最終的に話がややこしくなってうまくいかないことも多々ありました。

何かのときに、あまりにも上司とかみ合わず、一方的に言われたように感じたときがあり、言葉が通じない(よくよく考えると、言葉もそうですが、おそらく気持ちが通じなかった)苛立ちから、手元にあった消しゴムを投げて、泣きながらオフィスを後にしたことがありました。もちろん、投げた消しゴムはあとで拾いましたが。

今から振り返ると、反省点はてんこ盛りです。

そんなこんなで色々ありましたが、もちろん、勉強として、英語を学ぶという部分も必要ですが、私の場合は本当に実践あるのみだったというか

要は、必要に駆られて、というのが一番大きいような気がします。

それだと、回答になってないですよね💦

日々のインプットはかかさず

もちろん、当時、定常的に色々インプットはしていました。

海外ニュースを見て(当時は、CNN ニュースや US の ABC ニュースなど)シャドウイングしたり、英字新聞の音読をしたりなどでした。

今の仕事でも、半分英語漬けの日々なのですが、

できるかぎり、仕事とは別の分野のニュースなどを

音読するようにしています。

これは、第1弾ですが、

まだまだ、何かとありますので、次の投稿で書かせていただきます。私事の話に長々おつきあいいただき大変ありがとうございます。

よろしければ、次回もお読みいただければ幸いです<(_ _)>

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