見出し画像

踊り、躍る その壱

好きなお酒はハイボールです。
こんにちは、日本舞踊家の花ノ本以津輝です。

「日本の文化についてお勉強していくためのnote」と
大それたことを言いながら始めたこのnoteですが
知りたいことを羅列してみた結果、
専門家の皆さんに取材しないと書けないことばっかりじゃん!
ってなって一旦PCの電源落としました。はい。

ということで現在取材に協力してくださる方、絶賛募集中です。
特に、和楽器・芸者・江戸時代の庶民の生活・江戸文化と上方文化の違い
のことについて知りたいです。
協力してやってもいいよ!という仏のような御心をお持ちの方が
もしいらっしゃいましたら、以津輝まで連絡ください...

ない知識のことを憂いても仕方がないので、
今日から少々「踊る」ことについて書いてみようかと思います。

第一回目は、以津輝がどのように「踊り」を踊ってきたかについて
お届けします。


以津輝の踊り始め

父は、元々花ノ本流先代宗家
花ノ本寿(現・爽)の内弟子でした。
詳しいプロフィールはWikipediaをどぞ。

そして、伯母は花ノ本寿以知といって、
花ノ本流の日本舞踊のお師匠さん。

ですので遊びの延長で稽古場に行き、
たぶん扇子やら稽古用の道具やらで遊んでいたんだと思います。

2歳半の時、お稽古を始めたそうです。
まあ本人に「お稽古」という意識があったかどうかは定かではないですが。

そしてあれよあれよという間に、4歳の時に初舞台。

画像2


初めての鬘が痛すぎて泣き叫び、
私の所為でプログラムの順番を変更したというのはここだけの話。
いきなりプログラムの順番を変更させられた、
私の次に踊るはずだった方には非常に申し訳ないことをしました。
ごめんなさい。

そんなこんなで、4歳にして、
「舞台で踊る」ということで得られる快感のようなものを
知ってしまい、舞台で表現することの楽しさに魅了されてしまったのでした。

ダンスとの出会い

ところが、小学校に入りますと、
日本舞踊のことを知っている同級生なんて、まずいません。
なんなら学校の先生も日本舞踊のこと知らない人のほうが多いんじゃなかったかしら。

そして、時は、沖縄アクターズスクール出身のアーティストの全盛期。
私も例に漏れず「SPEED」に夢中になりました。
どうしてもSPEEDが踊っているダンスを完コピしたくて、
でもダンスなんてやったことないから、どうしても習いたくて
母に直談判!

そこから日本舞踊そっちのけ(精神的な意味で)で
ジャズダンスやヒップホップダンスなどを習い始めました。

高校生になって、ミュージカルをやりたい!と思い始めてからは、
更にクラシックバレエやタップダンスなどもお勉強しました。

なんで私がミュージカルを?と思った方はこちらも読んでみてね。

すごい!以津輝さんってダンスもできるんですね!
と誤解されるような書き方をしてしまいましたが、
残念ながら、そこまでダンスが上手いわけではありません。
短大時代は常にダンスの先生に怒られまくっていました。

というのも、元々まっっったく運動神経皆無で、
走るのも遅いし、ボールは投げられないし、ドッジボールでは逃げ回るしっていう根っからの運動嫌いですので、
ダンスで飛んだり跳ねたりするのは非常に苦労しました。

ただ、そんなでも必死にダンスを習ったおかげもあって、
多少アクロバティックな動きのある日本舞踊の演目もできるようになったというのは非常に良かったな、と思います。

画像1

こちらは「吉野山」という、
歌舞伎でいうところの"義経千本桜"の中の一節なのですが、
親を義経所有の鼓"初音の鼓"の「鼓の革」にされてしまったという悲劇の狐が、義経の家来「佐藤忠信」に扮して
鼓を追って、静御前(義経の正妻)の元へ行くという舞踊劇の中の一コマ。

ちなみ今月の歌舞伎座では、そんな「吉野山」が
なんと市川猿之助丈の"忠信"で見られるという!!!!!!
はあ、楽しみ。(観に行きます)

この、通称「狐忠信」は澤瀉屋(猿之助丈の屋号)のお家芸
ともいえる演目なので、
死ぬまでに一度は絶対に観てください。

八月花形歌舞伎 詳細はこちらをチェック

高校生だった私がちゃんと表現できたのかどうかは定かではありませんが、
猿之助丈の「狐忠信」は『武士に扮した、子狐』っていうのが
ものっっっすごい秀逸に表現されてます。

あああ止まらん!
今度改めてこの「狐忠信」についての記事書きます。
今日はタイトルから逸れすぎたのでこのくらいにしますね。

話をダンスに戻します!

運動音痴なんですけど、「踊る」ということは大好きで、
その後もコンテンポラリーやフラメンコなど
様々なダンスに挑戦したりしました。


日本舞踊を軸とした新しい舞踊を創る

画像5

「踊る」ということについて考えるきっかけとなった
最初のターニングポイントは、
俳優兼舞踊家として公演に出演した際に、
一曲まるまるの演出と振付を任せていただいたこと。

その公演は「第一部が時代劇のお芝居、第二部が舞踊ショー」という構成でした。

共演者にダンサーも多くいたことから
その公演の座長から「ダンサーとコラボした踊りをやってみない?」と言われ、ダンサーたちと”洋楽ポップス×日本舞踊〜演歌×ダンス”
というメドレーを創作しました。

「日本舞踊もポップで楽しい!!」ということを伝えたいと思い、
古典的な日本舞踊の振付の中に、キャッチーなダンス的要素も取り入れたり、敢えて緑のウィッグをかぶったり(なんで緑だったんだろう)
本当に自由な発想で創作をさせていただきました!
当時の演出家、プロデューサーの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。


傾輝者の結成、そして破天航路へ

上記のコラボ演目を通じて意気投合した仲間と、
パフォーマンスグループ『傾輝者』(かぶきもの)を結成。(現在活動休止)

画像3


日本舞踊・新体操・ダンスそれぞれのジャンルのプロフェッショナルが
集まって一つの公演を創る...
未知なる体験と日本舞踊の新たな可能性にゾクゾクしたのを憶えています。

『傾輝者』では国内での活動の他、
世界三大演劇祭の一つである「エジンバラフェスティバル」(スコットランド)でも公演をさせていただいたりと様々な体験をさせていただきました。

画像4

な、懐かしい!!!!また行きたいなぁ〜〜

そこから現在活動をしている、
メタル×日本舞踊×殺陣×ダンス!なグループ
『破天航路』(はてんこうろ)へと繋がっていくわけであります。

画像6

ということで、今回は私の辿ってきた道をお届けしてみましたが、
次回は【踊る その弐】として、「花ノ本以津輝のソロワーク」として
踊りを創ることや創った作品などについてお届けしてみたいと思います!

どうぞお楽しみに!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?