毒親を語ることについて
毒親について、なんて語るべきじゃないという人がいる。
それはあなたの家の恥を晒しているだけ、とか何度も言われた。
でも、語るしかないんだ。
これが毒だって誰もが理解するまで語るしかないんだ。
何故なら、毒親育ちは二度殺されるからである。
一度目は毒親に。
二度目は社会に。「親はあなたを思っているはず」というお花畑の常識に。
だから、そんなことはないと言わねばならない。
子を愛さない親もいる。
愛しかたが正しくなくて、支援の手も届かなくて、毒親になった親もいる。
だから語る。
毒親になりたくないと思いながら毒親への道を歩んでる人が、私の文章で、支援の必要性に気づいてくれたらそれでいい。
自分の親は毒親じゃないと思わされている子どもが虐げられていることに気づいて逃げてくれたらそれでいい。
そう思うから、それからこうして書くことで普通じゃないとより思えるから、私の平穏のためにも、毒親育ちを語っていく。
っていうかね、未成年の親への愚痴には深刻なことがあるのではって思って聞いて、ちょっとの疑いでいいから児童相談所とかに通報してほしかった。
生きる糧になります。