好きがあること

今回書くことは、好きがあることです。
ここ何個かのnoteは、独自の考えを書いてました。
それも良いんですが、見方によってはネガティブな感じでもありましたよね。

今回も例に漏れず、自分の考えを書いていくのですが、今の世では到底受け入れられないことだと感じてますので、どうぞお手柔らかにお願いします。
※このnoteは携帯で書いてるため、変になる可能性があります。

1.好きとは

皆さんにとって、好きってどんな事をいいますか?
好みのものでしょうか?
人であったり、物であったりと多種多様なものがあるかと思います。
私も好きなものと言えば、ゲームだったり、マンガだったりと複数持ってます。
その好きって言うのは、誰しも一つは持ってます。
0or1の様な考え方に近いのですが、好きって私からしたら、少しでも楽しくなったり、少しでも興味を持ったものは好きなことで良いと感じました。

人の感性とは、不思議なもので、三つ子の魂100までと言われる言葉があるほど、不思議なことに溢れてます。
その感性が反応したものは、少なからず昔好きだ、楽しいと感じたものだったと、感じます。

今の私は、フィギュアを少しだけ集めてます。
少ない中、数体のフィギュアで遊んでるのが楽しくて。
外から見たら、それはただの遊びです。好きな人からしても遊びの域をでません。
なら、好きとはなんなのか? そんな事を考えて自分の好きは何なのか? と考えたら、答えが出ました。

好きとは、自分自身を動かせるその事象という事でした。

2.好きは押し通して良い?

好きな事をみつけても、ネットで話したり、聞いたりしてたら、自信をなくす人もいます。
自分の好きはまだまだ、そんな初歩的なもので好きを語るな、と比べ、暴言を吐かれと辛い世の中です。
それに加えて、子供っぽいものが好きな人もいます。
例えば、アニメもそうですが、アニメの中でもプリキュアとかアンパンマンとか好きな人もいますよね。
そのものを好きだから知ってて当たり前と言われる様な事が多々あります。

ですが、そんなのを気にしてはいけません。
好きは押し通していいんです。好きなものを好きと言うことが、本当の好きなんだって。
人と比べればそれはたった小さな入り口なのかもしれません。
たくさんの裏話をしってれば、喜ぶ人もいます。
でも、その好きと自分の好きは同じなのでしょうか?
例えば、私はコーヒー牛乳が好きです。たくさん飲んでしまって体調すら崩す本末転倒なこともしてます。
じゃあ、本当に好きだと言う人から見たらどうでしょうか?
コーヒー牛乳にもたくさんの種類があります。
それを飲み比べできるほど飲んでることが好きを証明することになるのでしょうか?
たしかに、詳しくなればなるほど、周りからしたら好きなものと認められます。
自他共に認める好きなんだと思います。

ですが、一つのものをずっと使い続けたり、やり続けるのって好きじゃないとできないんです。
毎日惰性でやってるものでも、それは誇って良いもので、好きなこととして言っても良いです。
他人から惰性だろ? と言われたとしても、出来てることが凄いので、褒めてあげても良いんです。
たしかにラーメンとかの通と呼ばれる人たちからしたら、ミジンコな人もいるでしょう。
同じものばかり食べて飽きない人もいるんです。
それが好きなの? と聞いても好きと言うよりは、なんか食べたくなる、と答える人もいますよね。
これも、私は好きなものだと誇ってもいいですし、それを否定してしまうと悲しいだけなので、認めてもいいと私は感じます。

3.好きを認められないと

好きを認められないと、楽しみというものも失ってしまいます。
どうゆう事なのか?

先程、惰性でも出来てるものは好きでも良いと言いました。
その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだものがあるはずです。

そう、仕事です。

仕事とは、生活する為に欠かせないものです。
脱線しますが、仕事しなくても救済処置を受けてる人もいますし、それをうらやむ人も確かにいます。
それでも、仕事を頑張っている人が沢山いますが、それを好きと言っていいのか? と疑問がわきますよね。
その疑問はもっともで、その疑問こそ、このスキを認められない事のもう一つのテーマになります。
仕事は惰性でやっていて、そもそも好きでしてる人なんて一握り、もっと言っても一割程度だと私は思っています。
じゃあ、その仕事は好きじゃ無い訳で、その時に感じる事は何でしょうか?
『辛い』だと思います。
好きでもなくて、やりたくもない、同じ毎日の繰り返し、そんなの嫌だと思いますよね。
それは、好きではないです。だから、安心してください。
じゃあ、これと同じじゃないか! 惰性でやってるのを好きと言うのは間違っている! 破綻している! と言うでしょう。

ここで私が言いたいことに気が付いた人は、この記事をここまで読んできて『好き』という事を考えてきた方だと思います。

惰性でやっている好きは、義務ではなくて、自分でやっているから好きと言える。

です。
どうゆう事か?
仕事の場合、就労の義務と言う物に縛られた上で、尚且つ生活の維持、彼氏を手に入れる、男性だと彼女の為になどいろいろなものが絡んできます。
それは、就労だけ逃げれないものです。
ですが、例えばプラモデルを作る、無意識に服の事を考えてしまう、など癖になっている物、何となくやってしまうモノは仕事とは違い、捨てれるんです。
それは、やめようと思えば辞めれますし、もっと言えば制限すらもできます。
ですが、そのもの自体をやめる、制限された時に寂しい、空しいと感じるものもあります。
そうでなく、まぁいいや、となった場合はそれは好きではないです。
ですが、考えた時に辛いかも? と感じた時はそれは好きなんです。
それを否定してしまうと、楽しいと言う感情を失ってしまいます。スキを否定する、それは自分の本心を否定してしまうのと同じなんです。
ですが、依存はまた違うので混同しない様に気を付けてください。
依存とは、簡単に言うと、モノからの束縛です。
買い物依存症は、買う事に囚われて苦痛の状態を招きます。
お金が無くなって、つらい、買えなくて気が狂いそうになる、これは事象によって束縛されてしまっているので、好きではないです。

『好きと言うのは、その物を失ったとしても、大切にでき、自分の意志で制御出来て楽しめる事柄』

です。

4.まとめ

ここまで読んでくれてありがとうございます。
好きと言うのは、私からしたら、自分の本心と言う事だと思います。
一人の人としての側面が、見た目になるならば、趣味とはその人の本質であり、性格傾向だと考えます。
昔、電車が好きだったならば、大人になったら機械系をしたいと思ったり、何かを作ろうとしたり。
写真が好きだから、カメラを買って沢山の人や風景を取る様になったり、感性が豊かになったり。
そんな根底にあるものが好きという物です。
だから、好きな物、惰性でも何となくしてしまうモノを他人と比べて好きまでいかないと否定してしまったら、無意識で辛くなってしまいます。
だから、もし、そうゆう物が存在していたら、受け入れてあげてください。そうしたら、気持ちも楽になりますし、世界が変わってくるかと思います。

最後に、感情的になりますが、簡単に好きと言っている人に、詳しい人がお前のは好きじゃないとか言う人が居て、そう言われたら、切り捨てて下さい。
そんなこと言う人は、好きなものではないです。好きって言うのは、皆で共有できてこそです。
出来なくて、一人だけでいいものは気が付くと孤独になって後々嫌いになるんですから。
だから、にわかとか言われたら、この人好きじゃないんだな、面白くて見ているんだな、って眺めてあげて、我関せずで好きなものは好きと言っていいですからね!

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