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古代史検証 大化の改新 

関祐二:著

 この本は、大化の改新を再検証した内容です。
「大化の改新」といえば、かつて大悪人蘇我入鹿と蝦夷を中大兄皇子と中臣鎌足が討ち果たした正義の事件だったと教えられてきました。
ところが、「日本書紀」などの書物を丹念によんでいくとどうもそうではないらしいです。

 まず、改革は推古朝から始まっていて、大化の改新で一気に進んだわけではないこと、蘇我入鹿・蝦夷はむしろ改革派だった、ことを著者は明らかにしていきます。
蘇我氏が改革を遂行しようとする側だったとは知りませんでした、意外。

 そういえば、蘇我氏は冤罪だったと何かの本で読んだ記憶があります。
蘇我氏は改革を遂行しようとしていた、では何のために中大兄皇子と中臣の鎌足は入鹿を殺したのか。

 著者は入鹿殺害の現場にもいた、古人大兄皇子という人が大海人皇子ではなかったかと推理します。
大海人皇子の前半生は記録されておらず謎に包まれているそう。
中大兄皇子は入鹿とともに大海人皇子も始末してしまうつもりだった、だがしくじって取り逃がした。
辻褄を合わせるために日本書紀は古人大兄皇子という架空の人物を作り出したのではないか、というものだ。
たしかに、中大兄皇子と大海人皇子は仲が悪かったそうだからありえるかも。

 そして、中大兄皇子をそそのかしたのは中臣鎌足だったと著者は推理します。
この中臣鎌足とは何者なのか?
著者は鎌足が百済様式の墓に埋葬されていることや、百済贔屓のところから、推理して鎌足の正体は百済の王族「豊璋」だったのではないかと推理しています。
鎌足が百済の王族? これはちょっと論が飛躍しすぎではないでしょうか、信じがたいです。
でも、百済様式の墓に埋葬されているなら、百済系ということは考えられますね。
中臣鎌足・・・父母の名前もわからないそうですし、謎の人物です。

 以上が著者の論です。
中大兄皇子と中臣鎌足が入鹿を殺した動機は結論づけられないものとしても、大化の改新が正義の事件ではなかったことはいえると思います。
蘇我氏はおそらく冤罪で殺されたのでしょう、可哀想に・・・

 あと、藤原氏(近衛氏か?)が明治政府の要職について閨閥を形成していたとは知りませんでした。
藤原氏は明治の世になっても権力を持っていたのか、なんと末永く続いたしぶとい一族です。

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