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野宿は場所を選ぼう
もうすぐ体育の日。
体育の日と言えば思い出すことがある。
まだ独身のころだが、体育の日に笛吹川の東沢に行ったことだ。
登る前の日の夕方、場所ははっきり覚えていないが、東沢の河原で野宿をした。
友人2名と一緒だったが、新聞紙2-3枚を敷いただけだった。
ザックに足をつっこみ、寝てしばらくすると背中が冷たくなってくる。
そこで右を向くと、ウトウトし始めるころに右が冷たくなる。
次に左に向くが、又左が冷たくなる。
一晩中こうだった。
友人の一人は小さなシュラフを持ってきていたので寝たらしいが、私は一睡もできなかった。
私が野宿をしたのはこれが初めてではない。
最初は、山を歩き始めたばかりのころ。
全く山のことなんか知らない頃だ。
友人と2人で夜の奥多摩を歩いていて、道が分からなくなった。
しかし、これは半ば予想していたことだから、予定外ではない。
野宿することにした。
当時はヘッドランプも持っておらず、懐中電灯を照らしながら歩いたと思う。
ヘッドランプと言っても、その当時は単一乾電池を3つだか4つだか連ねて腰に巻くような感じだったと思う。
当時の装備はやたらに重かったのだ。
いくら夜でも歳が若くても、道に寝るわけにはいかない。
道から少し外れた疎林の中で寝た。
背中に岩が当たって快適ではなかったが、寒くはなかった。
最初の野宿は夏だったが、背中が冷たくなって眠れなかったのは、季節の違いだけではないと思う。
その理由は、沢のすぐ近くで野宿したからだと思う。
あくまで想像だが、土の下の方が湿っていたのではなかろうか。
沢の近くは気温が低いと言われるが、まさにその通りだった。
マットレスがあれば全然違ったと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1696345767743-t33EgAEizt.png)
東沢で一睡もしなかったとはいっても、当時は若かった。
だから、それでも東沢をつめて甲武信岳の頂上に立てた。
足元は、多分ワラジ履きだった。
その後東沢は立ち入り禁止になったと聞いたが、最近では沢登りの初級コースとして親しまれているらしい。
東沢はナメがキレイなところだったが、同時にオッかないところがいくつもあった。
今でも覚えているのは、岩につかまりながら振り返ると、すぐ脇を流れている水が滝になって落ちていく。
見えるのは沢の水が滝になるところまでで、下の方は全然見えない。
落ちたらどうなる?
いま想像するとゾッとする。
それを思い出すと、あれが初級か?という気がしないでもない。
でも、今の私はどうせ登れないから関係ないか?
(写真はイメージです。東沢の写真ではありません。)
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