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スーパーマーケットは本屋説

夫はスーパーに寄るのが好きだ。
時間的に閉店間際の半額ゲッターとしての活動が主だが、元々料理が好きで、新商品や旬のものや目新しい調味料を見つけて嬉々として買ってくる。私もまたそれらの戦利品を見るのが好きだ。

ある日、君は一般的な男性というか一般的な人よりかなりスーパーが好き過ぎやしないかと尋ねたところ、
「たぶん、本屋に行く感覚」
と返ってきた。
数年の間に我々の町から本屋が次々になくなっていった。週に何度かあった本屋での期待と探し物の時間。その時間が今スーパーに充てられているという。
「新刊もあるし、目的の本の隣の本が気になって手に取ったりするじゃん。あれがまさにスーパーにはある。」
なるほど!
私にその意識はなかった。行動と偶然。あれか。

「買うものが決まってればOKストア。決まってない時はサミットはやっぱりすごい。“私を買ってください”のプレゼンテーションが強い」
「わかる」
スーパーごとに得意なことが違い、別のスーパーの得意を知ってはまた唸るため贔屓の一箇所だけに固定するのはもったいない。この辺りはTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』開催のスーパー総選挙へのコメントも熱くて毎度感動する。

だがもちろんスーパーは本屋ではない。
「本、買わなくなったよね」
「今もう決め打ちで買うしかないもんね」
「前は買う時は2冊とか同時に買ってたよね」
ないもんね本屋が。
その日の午後を一緒に過ごす本を手に入れる日曜がなくなった。
本屋がスーパーと同じくらいの立地に同じくらいあるのは幸せだったな。どうにかならないのか文明。町が退化してる気がするから、ちょっとだけ戻ってくれないか文明。

スーパーラバーズってこういうことではない。

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