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CAFE_nerd:恋するロースタリー

詳しくは一話冒頭をご覧ください。⬇︎
L版SSメーカー sscard.monokakitools.net / https://unsplash.com/photos/ilSnKT11MxE


どうやら本当に、立ち寄りついでに出来る範囲で取り掛かったのだろう。キッチン以外照明を落とした釜場の闇は深く、申し訳程度のキャンドルが幾つか焚かれていた。
迎え入れられたその場所が、他の何者にも侵されて居ない事実に安堵して急速に、身体の強張りが解けた気がする。日中の記憶も曖昧で、果たして五感の全てがまともに機能していたのだろうか。
何時もの珈琲が傍らにあったにも関わらず…
何が不服だったのか、今となっては判然としないのだ。

鎧の様なコートを乱雑に来客用ソファーへ放ったまま、一人ではどうあっても難のある作業現場へと足を踏み入れた。

「手伝おう。」
「あぁ、すいません結局…助かったぁ。」
「手に負える量なのだろうな。」
「キロ行きたいところでしたけど、疲れちゃって半分。」

袖を捲り、床に転がっていたファンを適当な角度で当ててやる。
素直にありがたがる若者を包み込む様に焼き豆から離れた銀皮が舞い上がり、薄暗い焙煎所の一角に雪が降る様だった。
焼成後の変形を防ぐ為に額縁サイズの木枠網を宙で振り回し続けねばならない重労働の最中、目の前の青年は実に幸福そうに笑っている。
同じ工程を普段は機械がこなしてしまうので手焙煎によるこの現象を実際目にする事は無かった。たとえ知識の端にあったとして、文字でこの瞬間を追体験する事は到底出来まい。それほど幻想的で、小さな植物の種に変化を及ぼす職人の手技は魔術と見紛うほど時空を支配する。およそ数分を永遠に感じるのだ。炎と風に新たな命を吹き込まれ、今や完璧な姿に変貌した愛すべき400g少々の熱い息吹きに圧倒された。

「これ絶対、最高のコーヒーになりますから!」

外は厳寒の夜であるのに、絶え間ない豆の行き交う音を聞いていると、まるで春先の海辺に立っているような気がする。さざ波の合間を縫って声高に「満足な出来」を口にする彼が嬉々として自分に見せたがった風景の中に居ると思うと、微笑ましかった。

「、約束もしてないのに先生に逢えたのは」

ファンの音が邪魔で聞き取れないと肩を寄せた。

「タイミングが良すぎて!この子達の仕業かなって思うんですけど」

手掛けた豆を全て親心で扱う彼の発想らしく、そうだな。と頷いて見せる。

「僕、クリスマス嫌いなんです。だって急に独りなのに気づかされるから!先生にも分かりますよね!」
「煩い、黙って手を動かせ。」
「…だから、今日ここに居るの凄く嫌で」

断りも無く風を止めた。
全ての雑音を消して彼の言い分を聞く為だ。

「本当は無理に出かけなくても良かったんです。でも、見たく無い事とか、知らなくて良い情報を知ってしまいそうで…」

例えば何処へも寄らず、いそいそと家路につく気難しい薬学教授のホリデーシーンに鉢合わせる事は、どうしても避けたかった。

そう言って彼の手も止まった。

網の上には見事に焼き上がった豆が黒曜石の様にひしめき合い、まだ熱を孕んだ幾粒かがひとりでに向きを変える。ソレはまるで生き物の様に、我々の出方を窺っているに違いない。

「…」
「あ、痛ッテ」

充分な冷却を終え作業台の上に網を置いた焙煎士が堪りかねた様子でその場へ蹲った。

「腰と腕が、暫く使い物にならないかも。」
「働き詰めで無茶をするからだ。全く…」

後の事を考えると口汚く罵ってしまいそうになるのを距離を取って耐えた。
椅子を二脚引き摺って戻り、腰掛けさせて利き腕を取る。
普段からヒト一人分は重量のある麻袋を扱うだけあって決して細腕ではない青年の、それでも自分よりは幾分頼りなく感じる手首を両手で挟み込んで内側の筋を親指でゆっくりと押し揉んでやる。

「いっっ!…ぁ、」

思わず跳ね上がる声が耳に心地良い。
早速紅潮する顔を盗み見て、生来の意地の悪さに火がついた。

「率直に、いい気味だ。」
「ハイ?」
「君は己のストレスを滞りなく避け、代わりに我輩が要らぬ心労を被った。」
「…ごめんなさい。美味しくなかったですよね? バッチブリューじゃ、」

腕を這う手指が少しずつ肩へ向かい、改めて対面に座り直して膝の間に鎮座した彼が俯きがちになる度、悪辣なツボ押しで上向かせる。

「痛い、先生。」

出来合いの珈琲が問題では無いのだ。
自分も彼と同じ感情を避けようとして、避けられなかった。如何せん、その様に仕向けられた。

気づいてしまえば簡単に腑に落ちて、より一層、報復を考える。

肩の裏と鎖骨を挟む指が深く喰い込むと、一瞬酷く身震いした若者が声も発さずしなだれかかるので揺り起こしてみれば、痛快混濁した表情が間近に迫った。

「…あの、」

焙煎したての豆の、それも求めて止まない深煎りの誘惑が輪をかけて彼を近づける。

初めから予感はあったのだ────

唇が離れても触れる距離のまま「どうして」と溢す相手を前に、よくも言えたものだと皮肉った。
告白めいた言葉を並べ立て、うっかりイブに気持ちを露呈してしまいましたでは済まされんのだ。「何故か」は此方が問いたい。
しっかりと時節にあぶれた者同士とゆう確証を得てから行動に移すなど…ただの豆バカにしてはしたたかで、恋愛に周到なタイプなのかと複雑な気持ちになる。ムッとして見せれば俄かに緊張する様子など、出会った頃より愚鈍な教え子の挙動であるのに。
側から見れば大人が子供を言い含める様に映るのだろうが、救いの神子を賜わりし日に罰当たりな事をしようとしている。ただ諭すにしろ言い聞かせるにしろ、偽りの無い返答を。


「我輩にとって、君とゆう存在は」

最初から

「猫にマタタビ…厳密には製造機か。大差ない違いだが、他ならぬソレだ。」

餌をやり過ぎたな?と、唖然とする焙煎士の手を取って未だ焼き豆の薫る指先へ再び口をつけた。

摂るべくして漸く
夜更けに強烈なカフェインを手に入れた。



END.

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