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CAFE_nerd:恋するロースタリー

詳しくは一話冒頭をご覧ください。⬇︎
L版SSメーカー sscard.monokakitools.net / Photo by 有邑空玖


4.

十二月の凍てついた曇天の────
これと言う進展の無さを愛せる理由があった。

ことさら深めに炒った豆で淹れる珈琲が他のどの季節に飲むより極上であるからだ。年末の煩雑さなどコレさえあればどうにでも出来る。
かく言う需要は寒さと共に急増するが、生鮮食品であるが故にストックには限界がある。つまり非効率を覚悟の上で爆発的生産のピークを迎え撃たねばならないジレンマが供給側には付きものだ。年始休業を確保する為にも、この時期の豆屋などさぞや…


「失礼します!」

忙しないノックの後、顔を覗かせたのはもはや生徒より見慣れた若者だった。

「今しがた豆を使い切ったところだ。」
「やっぱり!そろそろじゃないかと思ってました。その事で、実はお知らせが」

やたらと手荷物の多い豆屋が肩から斜め掛けにしていた魔法瓶と思しきステンレスの大筒をごとりと机の上に置く。

「どういう事だ。」
「お昼から夜まで、たぶん保つ量の珈琲を先に淹れてあります。と言うのも、今日は豆をご用意する時間が無さそうで…」

すっと壁に目をやった彼を追って日付を確認する。


聖夜だ。

無関心を持ってしても世間一般に突如優先される年末行事の存在に気づかされるのは、レポート未提出もしくは遅延の言い訳等々、まさにこの手の勝手な都合が大挙するからだ。

成程、お前もか。
理解しながら意識の底で扉を閉ざす。
しかし消したはずの表情を「豆の声を聴く」だけあって探り当てようとする上目遣いは尚も食い下がった。

「本当にスミマセン!今日だけ!コレで何とか凌いで頂ければ明日朝イチでお届けしますから。」
「別に死にはせん。」
「そんな眇めた目で言われても」
「イブの夜をコレで?と思うと少々楽しみを削がれた気分ではある。所詮、君の秤にはかけられん申し出だろう。年に一度の機会だ。若人の邪魔をする不粋はすまい。」
「出かけ難いですよ充分。」
「せいぜい楽しんで来るが良い。」
「楽しむ?何言ってるんですか先生、僕らにとって今日明日は」

戦いだ。

息巻いた青年の顔つきは普段より好戦的で、物騒な物言いの割には状況を愉しんでいるような男らしさがあった。

同じ年頃の女生徒が興味を持っても何ら不思議では無い。そこまで思い至って初めて、彼がそこそこ見目麗しく他人に好感を抱かせる容姿なのだと気がついた。


その後、時が経つほど淹れたてとは言い難い珈琲を益々よろしく無い苦味と酸味でもって味わい続け、こんな雑念雑味に囚われるくらいならいっそ飲まない方が良かったと結論付けたのは大学の門を出て帰路につく頃だった。

「…、二十三時か。」

未練がましく裏手を覗いた目に瞬くロースタリーの灯だ。



5.

硝子戸を軽く叩く合図で普段通り焙煎所の扉を開こうとして、既のところで思い止まった。

煙の上がらない屋根を見て考える。

今日という日の夜更けに若者が独りで居るとは限らないのだ。それこそ誇らしげに自分の城を誰かに見せながら使い慣れたキッチンで湯を沸かし、振り返った手には二人分のカップがあるのではないのか。

ソレは普段、誰と誰の為の食器であるのか…
もてなされる側は知りもしない。
無論、通い慣れた男が勝手に聖域だと思い込んで居る「定位置」とは、つゆほど思いもしないのだろう。

「…無礼な、」

見もしない相手に腹が立ち、ドアノブから離れた手はコートのポケットの中でじわりと拳を握った。仰々しい溜息が真っ白に見える程、この夜は冷えていた。

建物を見上げそっと遠ざかる。
歩き始めた途端、丁度キッチンがある辺りの窓枠が横に大きくスライドすると、前掛けを振り回し涙目で咳き込む青年が半身を乗り出した。
背後から薄ら焦げた匂いが漂って来る。

「…ッ、、先生?」
「何事だ!」

まさか火事かと駆け寄ると、普段は背景にすっかり溶け込んでしまって開閉出来る事を知らなかった窓から見慣れた空間が見渡せた。室内に妄想の客人の姿は無く、お騒がせしました平気です。と笑って手を振る彼がいつもよりは他所行きの服で新鮮な空気を吸い、耐熱グローブの中に何やら抱え込んだ器具のレバーを絶え間なく回し続けているだけだった。

「え…と、イブですけど。今、お帰りですか?」
「君こそ独りかね?こんな時間にご帰還とは…」
「お世話になってるカフェのオーナーを手伝いに、と言うかクリスマス商戦に駆り出された後ですよ僕は。」

…商戦?

耳を疑った。
てっきり男女間のイベントに意気込んで出掛けて行ったのだとばかり…待て、何もこんな日に。
そうまでして仕事を掛け持たねばならぬ程、ここの経営は危ういのだろうか。
呆然と窓辺に向き合って噛み合わぬ沈黙を過ごす間に、香ばしい火の香りが冷気に混じる。

「まさか今から豆を仕込むつもりなのか」
「先生の分だけでもと思って。」
「子供では無いのだ一日二日待てる。深夜にかけて根を詰める必要は…年末年始に焙煎士に風邪でも引かれてみたまえ、なんたる事だ。其れこそ長期的に我輩が苦しむ羽目に」

畳み掛ける言葉を「静かに」と遮った青年が身を屈め、小型の手回し焙煎器らしきモノに耳を近づける。作業が佳境に入った時の職人の眼差しが面白いものを見せると誘った。

「お時間よろしければ、寄っていきませんか?」




To be continued…

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