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大人に相応しい筆箱がみつからない日々


おそらく誰しもが感じていることだろうが、日常生活において文字を書くという機会はテキメンに減った。

いや、文章を書く時間は確実に増えているのだ。仕事の場でもプライベートでも、なんだかんだで書きものをする場面は多い。しかし、ペンを使ってリアルに文字を書くことはどうだろう。

減っている。これは厳然たる事実である。

いや、言い過ぎた。ペンを使う機会は普通にある。
会議や打ち合わせでは必要不可欠だし、旅に出るときのメモ用に持っていないと不便この上ない。けだし、ペンが活躍する場はまだまだ健在である。

さて、ここで問題が生じる。がっつり文章を書く機会は減り、PCがあればいいじゃん。ペンなんかなくてもいんじゃね? という意識になってしまった筆記用具を我々はいかに持ち運ぶべきなのか?

スーツの胸ポケットに、あるいは鞄のホルダーに、ボールペンなり万年筆なりを忍ばせる。これがホテルやショップでのサイン程度なら十二分に事足りるし、スマートではあろう。そういう場面であるならば、自分はなんのためらいもなく(というと若干のウソが入るが)、そのように持ち歩くだろう。

そして実に逆説的ではあるが、ペン1本ですむような場面ではたいてい、ペンが備え付けてあり、あえてマイペンを持ち歩く必然性も(自己のスタイルに対するフェティシズムがないかぎりは)ないのである。

では、持ち歩く必要はないのか? そんなわけはない。会議や研修などに出席する際は、自ら筆記具を持って行かねばならないだろう。しかも、そういうシチュエーションにおいては、往々にしてシャープペンシルや消しゴム、ラインマーカーや数種類のカラーボールペンが必要、あるいはあったほうが格段に便利だ。消えるボールペンは便利だが万能ではない。

結局、筆記用具は(使いかたの若干の変化はあっても)依然として必要だ。

はたして、いったいこれだけの筆記用具を胸ポケットに忍ばせていけとでもいうのだろうか。あるいは、鞄の中に入れ散らかしておけとでもいうのだろうか。

ようやく話の核心にたどりつくことができたが、ようするに”筆箱”なのだ。筆箱に入れて持ち歩く。これが答えである。
ところが、ここで次なる問題が発生する。もうおわかりだろう。いったい自分はどんな筆箱を持ち歩けばよいのか?

大人にとって持ち歩くのに相応しい筆箱とはどういうものなのか?

大人として、社会人として、ビジネスマンとして、そしてなによりスマートでソフィスティケーテッドな紳士として、いったいどのような筆箱を持ち歩けばよいのだろう。
まさか小学生のようなプラスチックケースを使う人もいないだろう。キャンバス地のペンケースは高校や大学生のもので大人が使うべきモノではない。缶ペンケースは昭和時代の遺物である。

こうしてあらためて考えると、これぞ『大人の筆箱』というモノが思いつかないのである。方向性としては革製のペンケースが近いが、巷で販売されているそれは、おしゃれ重視なのかあくまでも数本のペンが刺せるだけで、消しゴムなどの小物までをフォローしてはくれない。

自分が愛用している製図メーカーのシャープペン、木製軸の万年筆や消せるアレ、もちろん数種類のラインマーカーをまとめて、ダンディに持ち運びさせてくれるシックで小洒落た筆箱など存在しない。

スポイルされている。筆記用具は大人の世界からスポイルされている!

つまり、大人は筆記用具を持ち歩かないことが前提となっており、ゆえに大人向けの筆箱もない。ということではなかろうか。

いや、あるいは。
筆箱がないから、ペンを持ち歩くこともなくなったのかも知れない。人は思いのほかスタイルから入るものである。そのスタイルがないからこそペンも持ち歩けないし、ゆえに文字も書かなくなっていくのかもしれない。これは日本語にとって実に由々しき問題なのではないか。

とにかく。大人が持ち歩くに相応しい筆箱が必要なのだ。そして、自分はいまだに納得する結論、納得できる筆箱に出会っていない。

その結果、結局自分は100円ショップで買ったペンケースを使っている。もう10数年も愛用していてしかも結構気に入ってしまっているのが悔しい。

「G式過剰neo」は99年〜03年にかけて断続的に発表していたWEBコラム「G式過剰」のリブート版です。

初出タイトル「大人の器」03年11月5日 初出
24年2月2日 改稿

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