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【鑑賞日記】伊藤潤二展を観に行った

伊藤潤二展 誘惑 @世田谷文学館

伊藤潤二といえば富江ですよね。

自分は富江というキャラクターはあまり好きではありませんでした。
表面的には美しく、しかし本質はグロテスクなアンデッドモンスターヒロイン。そう思っていました。たとえば貞子や伽耶子みたいな存在だよね、と。

ですがここ最近、それは間違いだったのでは、と思い直したのです。

富江は決して人を襲おうとしているわけではないし、恐怖を提供しようとしているのでもない。
単に自分の気分のままに生きているだけのわがままな女性である。
ただ困ったことに、”強い再生能力”と”殺されたくなるほどの魅力”という呪いを受けているだけ。
そういう視点で読み返すと、富江の物語もまた違うものが見えてきます。

魔性の女。妖女。ファムファタル。言いかたはさまざまあれど、少なくともモンスターではない。ある意味、純粋な生きかたを(永遠に)する女なのでは。

というわけで今、富江の魅力があらためて見えてきた気がしています。あれ、自分も惑わせられている?

さて、伊藤潤二作品には色々な特徴がありますが、基本的な絵柄は端正で美しいのに、露悪的なグロテクスや粘着的なねっとり感(物理的な)が通底しています。
自分は直接的なグロはそんなに得意ではないので、そういう作品はちょっと退くところもあるのですが、ただそれを超えて描かれる奇想にはかなり惹かれるのです。

一番はじめにそれの特徴を感じたのは「首吊り気球」でした。幻想的にして悪夢的、かつそこにある美しさ。絵としての美しさだけではなく、発想の美しさにものすごい魅力を感じたのでした。

その競う力の最初の到達点が「うずまき」。あの終末観はコズミックホラー(で合ってるかな)として今でも色褪せることはありません。

今回の展示で、伊藤潤二がSFファンであり、子供時代からいろいろと創作していたということがわかり、すごく納得できました。

昔から今までの作品の原画を総ざらい的に観て思ったのですが、絵柄が初期の頃から驚くほどに変わっていません。劣化していないというか、はじめからすでに完成された絵柄だったというか。

もうひとつの驚きは、手書き原稿なのに筆致が読み取れないことでした。え? これってデジタル? とも思ったのですが、ベタやホワイトの使いかたでようやっと手書きかとわかる。それくらい繊細なのでした。
あまり力を入れて描いていないのかも。まあ、あれだけ細い線で描いているということはソフトなタッチなのでしょう、きっと。
ただ、ここ最近はデジタル環境も取り入れているようです。うまく使い分けていらっしゃる。

ここ最近のカラー原稿が油絵で描かれていることも知りました。一時期からニュアンスが微妙に変わっていたのはそういうことだったのか。
ご本人は「引退したら油絵を描きたい」とコメントされていました。うん、確かに本気の油絵作品を観たいと思いましたが、しかし独創にして奇想のあふれるマンガ作品ももっと読みたいので、いちファンとしては悩ましいところです。

ところで、展示は素晴らしかったのですが、スーベニアショップが激混みだったのは閉口しました。3時間待ちって…(ちなみに展覧会初日の話です) ファンの熱量が強いっす。

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