打ち上げ花火、ヨソから見るか?ウエから見るか?
鎌倉の夏の風物詩のひとつといえば花火大会である。
2024年7月夏、コロナ禍などで5年間の休止を経ての復活開催。過去には資金難で中止などの紆余曲折も経験してきている。だから今回の開催は実に感慨深く、しかとこの目に焼き付けてやろうではないかと現地での見物に出かけることにした。
ひさしぶりに見た花火は驚くほど進化していた。
自分がこれまでニュースなどで見聞きしていた新作花火といえば、球形ではなく、たとえばハート形やキャラクターをかたどったもの(型物というらしい)で、はじめてこれを見たときには「こういうこともできるのか!」という驚きがあった。これからは脱・球形に進んでいくのか、と思っていた。
が、今回の大会で出会ったものは、その進化の方向性とはまったく異なったものだった。
基本的には球形だが、いくつかの束状の光が広がるとともにその先をさまざまな色の星のかたまりが走る。光が作り出す造形はブロッコリーやカリフラワーのような形状を描き、単なる球形ではないあたらしさを感じた。
また、こちらも基本は球形なのだが、開いていく過程で変則的に色が変化する花火には驚かされた。色が変化する花火自体はこれまでも馴染みはあったが、色の変化のしかたがすごかった。
球形を輪切した縞状に分け、それぞれの色が変わっていく。そしてその色は隣の縞に連続的にリレーしていく。うまい表現がみつからないのだけれど、ネオンサインのような感じといえばいいだろうか。
さらにもうひとつ。全体の球形の色の変化にあわせて、球形の中に円環模様が描かれていく。そしてこの円環模様もまた色が変化していく。
自分はこれまで花火はその構造上、同心円状の細工しかできないのではないかと思っていた。しかし今回見た花火はそんな思い込みを壊してくれた。
花火はここまで表現できるようになったのだ。ここまで進化したのだ。ただただ、すごいと驚嘆するばかりだった。
さて。先に書いたとおり、花火見物は本当にひさしぶりだった。
地元なのだからその気になればいつでも行けたのだけれど、会場での人混みを考えると正直しり込みしてしまう。結果、鎌倉だけではなく花火見物自体もう10年以上もご無沙汰となっていた。
とはいうものの、花火をみたくないというわけではなく、ちょっとは楽しみたいなというのも正直な気持ち。
で、どうしていたかというと、中継である。
地元TV(最近ではネットのライブ配信)による中継を見ていた。花火の音は窓から生の音がきこえてくるわけで、モニタ越しの中継視聴ではなく半ナマ体験だ。
エアコンのきいた部屋でのんびりと花火見物というのは、これはこれで快適である。臨場感は微妙だったが、それでも花火大会気分は十分に味わえた。
この方法だと、ありがたいことに他の土地の花火大会(たとえば沼津とかね)も見物できるのところがよいなあと感じている。
今回、鎌倉の花火を本ナマで体感し、そこで得た衝撃を思うと、しばらくは現場で見ようというい気持ちになっているのは確かだが、遠方の花火大会中継はこれからもありがたく視聴すると思う。
花火大会にはちょっとした後悔、というか残念な思い出もある。
関西方面に出かけていたときのことだ。帰る日がちょうど東京の花火大会の日にあたっていた。
そこで、飛行機を使えば、花火を上空からみることができるんじゃないか? なれば、それをしない手はない。上からみるしかない!
というわけで、飛行機がちょうど花火大会開催時間に東京上空にくるような便を選び、座席も窓際を確保し、当日はそれはもうワクワクしていた。
が。結論からいうと花火を見ることはできなかった。
機材トラブルかなにかで出発が1時間以上も遅延し、離陸したときにはもう花火大会は終盤。東京上空にさしかかるころにはとうぜん花火大会は終了していた。
期待すればするほど残念な結果を呼び込む自分のマイナス運気にはいつも驚くばかりである。
花火を上から見る機会はそうそうない。いずれリベンジはしたいと心の底に野望はくすぶっている。ただし飛行機から見るという不確定要素ある方法以外で、だけれど。
やはり花火大会はいいものだとあらためて実感した。昔にくらべて減ったとはいえ、鎌倉に限らず相模湾沿いでの花火大会開催は多い。
そんな土地柄にいることを存分に堪能していくべきだろう。だから夏の風物詩として花火大会とこれからもつきあっていきたいとあらためて思ったのだった。
初出 24年7月19日
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