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「好きじゃなかったら、とっくに家からたたき出してるよ」

夫はよく「(私のことを)好きじゃなかったら、〜」という表現をよくする。
それを聞くと、私は息苦しい気持ちになる。

今でも心に突き刺さって取れない棘になっているのは
「好きじゃなかったら、とっくに家からたたき出してるよ」
と、いう言葉。
これって要は、
「家からたたき出されてないだけ、ありがたく思え」
「その気になれば、叩き出すことだってできるんだからな」
っていう脅しにも等しい。

私はその言葉を聞いたとき(一度ではなかったはずだ)そこまで考えが回らなかったけれど、「この結婚はやっぱり失敗だったんだ」「私に男を見る目がなかったんだ」と絶望したのを覚えている。
いっぱいいっぱいだった当時の私は、怖くて身がすくんだけれど、社会復帰して自己肯定感を取り戻した今は違う。

なんでそこまで言われなくちゃいけなかったんだろう。
あなたの子どもを生んで、愛情を持って毎日、丁寧に育ててた。
家事だって人並み以上にこなしてた。

そもそも、なんでこの人は自分に私を家に置くか、置かないかの選択権があると思ってるんだろう。何様?

そういう夫への攻撃的な気持ちが、胸の底でちりちりと燻っている。
たぶん、夫は自分の放った言葉を覚えてもいないんだろう。
でも私の中では確実に、呪いのように、この言葉が胸にこびりついていて、

「あなたが好きでも、好きじゃなくても、私はここにいたくないから出てきますね」

っとやり返してやりたいと、私を意固地にさせる

でも、それが一番の望みなのか?というと、そうじゃない。
私は夫に「絶対的な味方」になってもらいたいのだ。
いつ裏切られるかもしれない相手と一つ屋根の下で過ごすのは、不安なのだ。不安は怒りになって、怒りから夫を傷つけ返してやりたい。と負の感情が生まれてくる。
でもそれは本質的じゃない。
根っこのところでは、夫と信頼関係で結ばれた家族になりたいのだ。

人生はまだまだ長い。子どもたちと、私と、夫。家族4人で楽しいことを、ゆったりとした気持ちでシェアしたい。
それができるのは私にとっては、夫だけなんだ。
「この結婚は失敗だった」
「私に見る目がなかったんだ」
そんな悲しい記憶を否定したい。

夫もまた、相手(私)に否定された経験で傷ついて、私に傷つけられてなるものか、という抵抗から、私に歩み寄れなかっただけなのだ。
根っこでは、私とのつながりを求めているはず。

そんな自分に都合の良い解釈をしたい。
というか、夫も離婚したくないと言っているんだからそのはずだ。
夫の言葉を借りれば、「好きじゃなかったら、カウンセリング受けようとも思わない」はずだ。
だから、カタルシスがあるはずと期待して夫婦カウンセリングを受けてみた。
夫は過去の自分の気持ちを分析するのが苦手で(カウンセラーさんとも試みてるが、笑っちゃうくらいできそうにない)、
どんな聞き方をしても
「そのときはそう思ったからそう言った」
「そのときはそうとしか言いようがなかった」
「今は申し訳ないと思ってる」
と返ってくるのでにべもない。

書きながら思う。
やはり過去から逃げて、関係改善はありえないんだ。
家族全員娘の夏風邪をもらって現在グロッキーなので、これが落ち着いたら、夫と私の「やわらかい気持ち」を知ってもらうための話をしよう。

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