クラウン飲み会ショーvol2
クラウンを知ったのがXのタイムラインだったので、最初の印象が「ピエロ鼻付けてる団体」というなんとも愉快なところから始まりました。
道化を演じるのか?
マジックとかのパフォーマンスするのか?
そうじゃなかった。
たくさんの愛しいクラウンたちがそこにいた。
完成しきったものを観に来たわけじゃなくて
その日その場で生まれるものを体験しに行ったので
「すべっちゃった」とか「間違った」とか
「変なこと言っちゃった」とかは存在しないはず。
お客様と対話できなかったなぁ、とかはあるかもだけど。
以下帰り道で考えてたこと。
舞台から膨大な量の情報を提供するような「一方通行」ではなく、お客さんの表情や口に出した言葉で作り上げていく「双方向」の交流が生まれている空間でした。
脚本があるお芝居って、伝えたいメッセージとか何かしら心に残りますようにって作り上げて劇場でお見せするわけで。
だからこの形式のショーってすごく新鮮でした。
もちろんお芝居だって感情の共有っていう点では「交流」は生まれているのかもしれないけど。
そもそも海外に比べて日本って劇場空間において
「受け手」でいることが常じゃないですか。
上演中歓声を上げたり、心に浮かんだことをついぽろっと出しちゃう(凄いとか怖いとか)のがあまり良くないよ~と暗黙のルールになってる。
もちろん作品を壊すような人になりましょう!ってことじゃなくて
受け手側という意識、受動的な姿勢を崩すところからスタートなのかなと思ったりした。
観客と舞台側の関係性づくり。
これシンプルに私も正解がわからないからたくさん考えたいし、他の人がどう考えるか知りたいな。
ImprOtakuさんのときにも思ったのは
開場中ほぼすべての出演者が舞台にいて
来場した瞬間から話しかけてくれたりする。
話さなくても会釈ひとつするだけで
「初めましての人や空間」から
「さっき挨拶した人、歓迎された空間」になるわけで。
関係性がひとつ自分にとって身近になるだけで
そのあとのショーでの居方が変わるなと。
拍手とかリアクションを素直に出すハードルが
ぐっと下がる気がする。
ただ交流の時間ってひとつ間違えると
内輪感を強めてしまうものだから
そこは考えものだなとも思うわけです。
終演後の面会だって、お友だちや知り合いだけの
時間になってしまうのは違うかな、と。
本当は初めましての方や観て気になった俳優さんに
気軽にお声がけする場になればいいなと常に思ってる。
色んな団体さんの色んな形式の舞台やショーを見ると
つくづく自分が固定観念に縛られているなあと感じます。
もっとやわらかくいたいね。
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