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嵯峨野の月#105 立后

第5章 凌雲3

立后

藤原美都子ふじわらのみつこの父方の祖父は藤原巨勢麻呂ふじわらのこせまろといい天平宝字八年(864年)、藤原仲麻呂の乱で仲麻呂に連座し、官軍に斬殺された。

以来謀反の罪人の孫として美津子は弟の三守と共に不遇の幼少期を過ごした。

が、藤原北家の内麻呂の子息との結婚話が持ち上がった時、父の真作まつくりは「もうこれ以上の縁談は無いから!」と驚喜で顔を真っ赤にして結婚まで推し進めた。

それは従五位下で出世が止まってしまった父にとって降って湧いたような有難い話だったろう。

私みたいな地味な娘が北家の俊英と呼ばれる殿方に気に入られる筈が無い…と自信が無いまま何度か婚儀の為の贈物が交わされて夫の冬嗣と初めて顔を合わせたのが新枕(初夜)の時。

寝所に入って来た白衣に袴という夜着姿の夫の顔を灯火の明かりの中で間近で見た美都子は、

「まあ…まあまあ、なんて目元涼やかで美丈夫なお方なのでしょう!」

と嬉しさの余り思った事をそのまま口に出して言うと冬嗣は呆気に取られ、次に、

「今まで目つきが恐いと父上や同僚からさんざん言われてきたが、俺の眼を褒めてくれたのは貴女が初めてだ」
と初夜の緊張で強張らせていた顔を緩めて笑った。

「お笑いになればよろしいかと思います」

「え?」
「今見ていて思ったのですがお笑いになるともっと美丈夫ですよ」

と決して派手な顔立ちでは無いが頬がふっくらとして目じりが垂れて愛らしい美都子の微笑みを見て冬嗣は…

ああ、初婚の相手がこの人で本当に良かった。この人となら生涯仲良くやっていけそうだ。と思った。

それは美都子も同じであった。

「我の名は冬嗣。あなたの名は?」
「美都子と申します。よろしくお願いします」


結婚から十三年、冬嗣との間に三男一女をもうけた美都子は夫が他に何人側室を迎えようが外に何人愛人を作ってようが生真面目な反面けっこうな艶福家だと知っても…

なにより自分を大切にしてくれるし、
夫を信じているので

何一つ心揺るがず北家の正妻としてゆったりと過ごして来た彼女にいきなり人生の
転機が訪れた。


弘仁五年四月二十八日(814年5月21日)。
嵯峨帝、御輿に乗りて藤原冬嗣邸(平安左京三条二坊)に行幸。

この時美都子は緊張の極みに居た。

嵯峨帝は実に気さくなご様子で冬嗣と美都子夫妻の歓待をお受けになり四人の子供たち長良、良房、順子のぶこ(後の仁明天皇女御で文徳帝の母)、良相よしみに順々に「健やかに育つのですよ」とお声かけなさった後、と御自ら、

「藤の美都子。あなたを従五位下に叙する」

無位の人妻を殿上人の地位まで引き上げる宣言をなさったのだ。

嵯峨帝は冬嗣夫妻としばらく談笑なさってから輿に乗ってお帰りになり、自邸への天皇の行幸という臣下として最高の栄誉の日を滞りなく終えた。

その夜、
「はあ、帝があんなにお若くて闊達で殿にも負けないくらい美丈夫な御方だったなんて…今でも動悸が止まりませんわ」

何もかもが終わったのにまだ緊張している妻を冬嗣は何年経っても初々しく可愛いと思った。

「気後れしてしまったのかい?しょうがない人だねえ」

と背中をさすってあげながら「実は美都子、あなたに尚侍ないしのかみになってもらいたい。と帝が仰せなのだが」と言った途端、美都子の顔からいつもこにこやかさが消えた。

蒼白になった妻が「すいません、気分がすぐれませぬもので」と背中を向けて自室である北の対に籠ってしまった。

「美都子?どうしたというのだ美都子!?」

臣下一の切れ者と呼ばれる藤原冬嗣も、妻の心の機微には疎かったというところか。

「家の事しかしてきていないわたしには尚侍という重職とても務まりませんわ…」

今の時代で言うならずっと専業主婦だった女性がいきなり女性官僚の最高職である宮中女官長になるよう請われたようなものだ。

出たこともない世間、とりわけ宮中、という未知の領域への美都子の怯えは無理もないのである。

「国の重要な書類を作るだなんて大それたことできません…」

「それは今は蔵人くらんど(天皇の秘書官)たちがしてくれるからいいんだよ」

「でも、前の尚侍(故・藤原薬子)みたいに宮中の嫌われものになるのでしょ?」

「そ、それは式家のあの女官が本当に悪い事をしたからであって…あなたはそんな人ではないだろ?新しい御代みよの尚侍に篤実なあなたが適任なんだ。お願いだから参内して俺を助けてくれ!」

と閉じられた戸越しに冬嗣は嘆願したが、「でも…」と妻に返されて夫婦の会話は堂々巡り。一晩経っても出てこないので困り果てた冬嗣は家族総出で美都子説得にあたり、美都子が受諾するまでさらに丸一日かかった。

「で、最後は誰が美都子の天岩戸を開けたのかな?」

と水盆に花を生けながら事と仔細を聞く嵯峨帝の横顔はなんだか楽しげでもあった。

は…と畏まる三守は、きっと帝は内裏では決して隙を見せない冬嗣の困っている顔をご想像なさっているのだろう。

相変わらずお人が悪い。と思いながら報告を続けた。

三守の正妻、橘安子が勅が降りるまで黙っているべき事だけれど…今ここで言ってしまおう!と吃と顔を上げた。

「実は私にも典侍ないしのすけ(尚侍の次官)として宮中に参内するよう帝からお話がありました」

内側からがたっ、と物音がして美都子が戸の傍まで来たのが気配で解る。

「それで安子どのはお受けするつもりなの?」
「はい、喜んで受けます。妹である橘の夫人さまにやっとお仕えできる時が来たのですから」
「…」

「美都子さまの外の世界が恐いお気持ち、私にはよく解ります。

だって、世間の人間の大半は人を貶めて自分のいる『底』に引きずり込むのが大好きな冷酷な生き物の群れなのですから。

謀反の罪人の孫として生まれた私には解るのです」

「私…本当は他人が恐いの」

今まで夫にも話せなかった本心を美都子は涙声で義理の妹に打ち明けた。

「だからってそれが何だというのです?あなたはこれからもずっと心の中の他人に怯えながら生きるの?

いいですか、会ったことの無い他人は居ないのと同じです。

そんなもの、無視して生きて幸せになってもいいのですよ」

戸の向こうで美都子ははっと顔を上げた。

「美都子どの、私がお味方しますから一緒に宮中に参りましょう。お義姉さま」

その一言で美都子の心は決まった。
内側から文机で塞いでいた戸を開いた美都子はちょうど正面に居た安子と

「安子どの」
「お義姉さま」

と涙ぐんで両手を合わせてから夫の向き直り、

「今までの不調法まことに恥ずかしゅうございます…尚侍の件謹んでお受けいたします」

と今まで見せたことの無い強い眼差しと口調でそう告げたのだった。

天鈿女あめのうずめは橘安子であったか、と笑った嵯峨帝はそこで急に

「後宮には後宮のまつりごとがある」
と表情を引き締めた。

「夫や息子たち、弟のお前の説得にも応じなかった冬嗣の妻が義理の妹の言葉一つで動いた。三守、女人同士の連帯は同じ目標を持つと他のどんな絆よりも強いぞ」

「それを目の前にして思い知りましてございます」

「後宮は朕の意思が全て通る領域ではない。新しい尚侍と典侍は朕が信用できる女人たちでないと困るのだ」

菖蒲あやめぐさ杜若かきつばた。見た目は酷似しているけれど異なる紫の花を取りそれを美都子と安子に見立てて水盆に並べて生けた。

こうして、

政変以来空席になっていた尚侍に冬嗣の正妻藤原美都子。

典侍に三守の正妻橘安子が就いて嘉智子を皇后に押し上げる後宮政治への下地は全て整い、同時に妃の高津内親王は急速に後宮での居場所を失って行った…

例え業良皇子の一件が無くても高津廃妃は予定されていた流れだったのかもかもしれない。

弘仁六年七月十三日(815年8月21日)。

白粉を塗った顔に額と両頬に紅色の花子を差し、金銀玉枝で飾られた宝髷を結った嘉智子は…
深紫こきむらさきの大袖に蘇芳と深紫の縁がかった添帯を前で締めて腰より下に纏った蘇芳の裳という最高位の女人が赦される色の礼服を身に纏って裳裾を広げて廊下に端座する一世一代の晴れ姿。

やがて天皇のご意志を伝える宣旨の職にあたる典侍、橘安子がしずしずと廊下を渡り嘉智子の前に止まるとやや緊張ぎみに勅書を広げて…

「此に依って夫人橘嘉智子を皇后に立てるものとする」

と告げた瞬間、嘉智子は皇后となった。

「謹んで、お受けいたします」
すぐに嘉智子は皇后の住居である常寧殿に移り、その間裳裾の両脇を持つ明鏡と貴命の心中は、
この極めて野心も覇気も、ご自分の意思というものも薄い御方が、とうとうここまで上り詰めなさったか…
という深い感慨に満たされていた。

嵯峨帝の母、藤原乙牟漏薨去以来実に二十七年ぶりの立后に実家の橘家と姻戚の藤原北家では盛大な宴が開かれ、
「とうとうここまで来たな」「ああ…」と嘉智子の兄、氏公と従兄の逸勢はしみじみと美酒を酌み交わした。
都の人々も貴族から庶民に至るまで皇后誕生の報に、

これから何となくなにかいいことが起こるんじゃないか。

という明るい気分に包まれ皇后さまばんざい!とあちこちで声が上がり都は活気に包まれた。

さっきまで住んでいた夫人の部屋よりはるかに広い皇后の部屋に移った嘉智子は入侍の頃に実家から持ってきて大切にしてきた厨子を部屋の隅に置かせると、おもむろに扉を開けて中の観音像に手を合わせて拝んだ。

不思議なものです。
このような大事な日を迎えたというのに、わたくしの心は普通の一日を過ごすように落ち着いている。

それというのも先日、空海阿闍梨に「わたくしのような者に皇后という重責つとまりましょうか?」と不安を打ち明けて帰ってきた答えが…

「僭越ながら申し上げます。
仏の教えでは草木や虫、鳥や獣など数多いる生き物たちがいる現世で人として生まれてくるのは、必ず何かしらの意味を持っている。と考えられております。

夫人さまがこれから果たすべき皇后というおつとめは、

例えばご夫君である帝が朝から夕まで政務を行い国土と民の為に働いていらっしゃる天皇と言う名の太陽ならば、

皇后というのは夕べに太陽が沈みあしたまで短い時を御休みになる間、夜空に昇りて優しい光で人々の心の不安という闇を照らす月そのものなのではないでしょうか?」

この阿闍梨の例えばなしを聞いていた時に思い出されたのが亡き父清友が渤海大使の史都蒙しともうさまから受けた月の後ろに太陽有りて橘家は次代で栄達するという予言だった。

それは父清友から皇后が生まれ、その皇后が次代の天皇を産む。という意味。
予言は半分当たったのだ。
再び月に例えられたわたくしはもうこれ以上自分の運命の何を疑う事があろうか。

これは偶然ではなく必然なのだ。

思えば入侍以来わたくしを寵愛し、没落した家の娘から今の地位にまで引き上げて下さった帝を御恩に報いる時が来たのだ。

「ありがとうございます阿闍梨、やはりあなたに相談してよかった」といつもは柔らかく微笑むだけの夫人さまのお目に、初めて意思が宿ったかのような強い光が見て取れた。

じきに皇后になるお方に相応しい表現かどうか分からないが、やっと生きた仏に魂が入りましたな。夫人さまはもう大丈夫や。と空海は安堵しながら退出したのであった。

観音像に捧げた香が燃え尽きた時、子供たちを連れた嵯峨帝が部屋にお入りになり、長女で今年六歳の正子内親王まさこないしんのうは「このお部屋、ひろーい、ひろーい!」とぱっ、と父帝から離れて嬉しそうにはしゃぎ回り、長男で今年五歳の正良親王まさらしんのうは初めて見る母の礼装に「母上、きれい…」と父の傍でぼうっと見惚れながら小さなくしゃみをした。

「そんなに走り回っては贈り物にけつまずいてまろびてしまいますわよ!」

生まれてまだふた月の次女、芳子を抱いた明鏡がめっ!と正子をたしなめると嵯峨帝は「子供はこれくらい元気なくらいがちょうどよいのだ」
と笑った。
「さてこの部屋を気に入ってくれたかな?皇后」と嵯峨帝はそこで初めて嘉智子を皇后と呼び、明鏡は芳子を抱きながら、部屋に居た女人たちは皆、新しき御代の皇后に向かって団扇を掲げて拝跪した。

「はい帝、たいへんうれしゅうございます」
嘉智子はすっくと立ち上がると、嵯峨帝のお手を取ってにっこり微笑んだ。

…もしも予言が全てまことならば、これからのわたくしの果たすべき勤めはご病弱な我が子、正良親王がご即位あそばされるまで無事ご養育し申し上げる事。

そして、この日のもとに輝く日輪であらせられる帝が御身も御心もお休みになられておられる間、わたくしは仏の背後に輝く月輪のように夜の闇を照らしましょう。


神野さまが天皇としてこの国の国土と民と共に生きる決心をなさった太陽ならば、
この嘉智子、喜んで月となりましょう。

それが数多の生き物の中で人として生まれて来たわたくしの役目なのですから。

後記
橘嘉智子、立后の日。























































































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